・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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酔言池:5 義理人情

2020年01月30日 | つぶやきの壺焼

昔の武士はを尊びました。
たとえ他藩との間でも、国内問題であれば信義は立派な習慣で、武士としての基本条件でさえあったでしょう。

優れた習慣であれば、世界のどこにも通用すると信じて、見極めが足りずに手を出してしまった大失敗が、四分の三世紀前にありました。
その経験が生かされず、相手の本性には目をつぶって、性懲りもなく今だけの義理立てを第一としている人たちがいます。

義理という言葉をGoogle翻訳で中国語にすると公婆(ゴンフォア)と返ってきますが、これは夫の両親との家族関係の当て訳でしょう。
義理という言葉を持たない人であれば、国外の人との間では、義理の理解も忖度も感情の埒外にある、無関心なこととみなければならないでしょう。
関りを見つけるとなれば、その場その時だけの損得勘定以外には考えられません。

隣国の無辜の民をひとところに押し込めて、教育という看板を立てながら奴隷暮らしをさせるような、非情な独裁者に、義理人情など通ずるはずはありません。

一人を客人として招き入れてしまえば、それより多少まし程度の人でも、むげに断る理由が立ちません。
閣僚も党幹部も、自分が外国に向ける顔は、日本の国の顔の一部であることを認識してもらわなければならないのです。

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