少数は尊重されなければならないと言われます。
そのとおりでしょう。
ところが、少数が稀少にまでなると、尊重どころか放置されやすくなります。
ある稀少が放置されれば、ばらばらに発生した稀少も、それぞれに放置されます。
わけのわからないルール、あってないようなネギの芯に縛られていることも、放置の理由にされます。
見守っている、忘れてはいませんと言っているだけでは、状況の実質は放置と変わりません。
ひどいルールなら断ち切る、出来そうもないことを断行する、それを英断と呼ぶのでしょう。
【平成の証言】という記事がありました。
拉致から24年、政府チャーター機のタラップから祖国に降りた5人は、待っていた肉親の元へ駆け寄った。15日、地村保志さんと妻の浜本富貴恵さん、蓮池さんと妻の奥土祐木子さん、曽我ひとみさんの5人が帰国した。当初は一時帰国とされたが、日本政府は5人を北朝鮮へ返すことを拒否。北朝鮮にとどまっていた蓮池さんと曽我さんの家族は16年に帰国を果たした。だが、帰れない人々もいた。(14年10月)
「無念で残念でたまらない。いつ死んだかも分からない、そんなことを信じることはできません」(14年9月)