そこでは、片づけることができない人、役に立たないものを集めることしかしない人、ゴミをペットと思っている人が集まって暮らします。
他人からは、その人たちは自分の生活に無関心の極限にいるように見えます。
自分の生活には無関心なようでも、この収導院に入ると、他人の生活には、無関心どころか、進んで世話を焼きたがるようになっていきます。
ゴミ収導院は、部屋も建物もツイン構造になっています。
自分の部屋を片付けられない人は、シェアハウスなら隣の部屋を、独り住まいなら隣の家を、気のすむまで片付けます。
片付けられないものは、どんどん捨てられます。
自分のものではないので、どんなものにも未練はありません。
捨てられるのを待ち構えていて、また拾う人もいます。
拾ったり捨てたり、非生産的なその行動は、果てしなく続きます。
それが生活なので、ゴミ収導院の領域外に迷惑はかかりません。
非生産的であることは、スポーツと大して変わりはありません。
生産性への寄与が、プラスマイナス合計すればゼロに近い観客がいるかいないかの違いだけと見立てられています。