・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

歩道にごみはいらない

2012年04月02日 | つぶやきの壺焼

散歩の朝の歩道には、昨夜の風で小さな木の葉はわずかに吹きだまっていたが、目に付くほどでもなく、吸殻も紙切れも落ちていなかった。

子供の頃は、道にごみは落ちていなかった。馬の通った後に盛りあがる黄土色の団子も、すぐに片付けられていた。

道に吸殻や紙くずが散らばり出したのは、米兵が街に出てくるようになってからだ。
吸殻を自分たちが踏みつけないように、指ではじいて捨てる。若い男がその格好を真似て捨てる。
ガムの包み紙を風に乗せてと飛ばす。若い女がその格好を真似て捨てる。
噛みタバコのかすを、歩きながらすぼめた口からピュッと飛ばして吐き出す。それを真似て、たんやつばを吐き出す。
汚しまわり、大声で騒ぎまわるのが進んだアメリカの文化なのだと思いはしないが、毎日見せられればそれが普通と思うようになっていく。
こうして、日本人の行儀は見事にミンシュテキ改革を遂げた。

ディズニーランドに初めて行ったとき、いちばん記憶に残ったのは、箒と塵取りを持ちっぱなしで一日中掃除をしているお兄さんの姿だった。
誰かがぽいとごみを捨てると、さっと行ってごみを掃きとる。
決してノソノソとは歩かない。ごみを掃くのが楽しそうにさえ見える足取り、手つき、リズムを持った身のこなしである。
掃く仕事をなくさないようにと、変な理屈をこねながら吸殻をわざと捨てる人もいた。
動物園のサルに餌をやる情景とどこか似ているようで、嫌な気分になった。
サルまねをまねザルが見ているところを、遠くからわざわざ見に行く気はしないから、誘われてもごめんこうむることにしている。
ほんとうは行列が嫌いなだけなのだが。