ここからは、橋本伊平先生の生い立ちと名古屋布教にでるまでの歩みとなる。
第4節は、入信までの事柄、第5節は入信後の事柄と別れている。
昨日、ほこりの心を払う事について書いた。
伊平先生の入信前と入信後の性分が変わったというように見えるかもしれないが、入信時に心定めた事を全うする中に、同じ性分でも、良いように現れるようになった。と見ることが出来ると思う。
「生きながらに生まれ変わる教え」とも聞かせて頂くこのお道だが、それがここに記載されているとも思う。
また、入信後の事は、名古屋布教に出る前までの事であり、自ら教えを求めて歩む道中ともとらえることが出来るだろう。
系図の中で、愛知大教会4代会長 兼正先生の姉 きくさんの家系は、名京大教会部内 逢阪(あうさか)分教会となっている。
信仰に入る以前であろうが、岡野桂次郎先生が、橋本伊平先生を更生させようと、心かけられたところも見逃すことが出来ない事と思う。
また、おぢばから遠く離れた地での、信仰の仕方も分かるのではないだろうか。
・・・Facebookの私のアカウントへこのブログを張り付けてから、後々の資料になるだろうと、熱田分教会へも張りつけている。貼り付けたら以下の言葉が出て来たので、記録でコピペしておく。・・・・
信仰に入る前と信仰に入ってから、表面的には全く違った人のように思えると思う。しかし、性分は変わっていない。その性分が、信仰前は自分中心だったから悪い方へばかり現れていた。けれども、親神様の話を聞いて、心定めて通ったことから、その性分は良いように現れた。そして幾多の苦労を乗り越えて、人々の手本となっていかれた。
その人々の手本となる前、自ら信仰を求めていた頃までの話が書かれていると思う。
「癖性分を取りなされや」これは教祖が言われた言葉である。癖性分とは悪く表れている性分の事である。これを取ったら良い性分が残る。
たとえば、すぐに腹を立てる人、これは「はらだち」のほこりである。けれども、はらだちのほこりをお嫌いな神様は、ツキヨミ様である。突っ張りの御守護である。自らの上に自分を突っ張って、腹を立てて怒鳴り散らすことは、全くのほこりである。けれども、人の上にこれではいかんと、奮起して突っ張っていくことは「ほこり」ではない。
こうしたところが大切だと思う。(Facebook 天理教熱田分教会)
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【信仰前の橋本伊平】
【信仰後の橋本伊平】
親神様・教祖、どうぞお導きをお願いいたします。
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