あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

今朝の「おふでさき」6-29から54 元はじまりの話。日本においては。。。

2021年07月31日 12時04分13秒 | 思った事

今朝のおふでさきは、元の理(元はじまり)のお話であった。

うちの「おふでさき」の区切りは、6号30からだったのだが、必要と思い、29から書いておく。(この「おふでさき」の後に思う事を書いておく。)

いまゝてにない事ばかりゆいかけて
よろづたすけのつとめをしへる (6-29)

このつとめ十人にんぢうそのなかに
もとはじまりのをやがいるなり (6-30)

いざなぎといざなみいとをひきよせて
にんけんはぢめしゆごをしゑた (6-31)

このもとハどろうみなかにうをとみと
それひきだしてふう/\はちめた (6-32)

このよふの元はじまりハとろのうみ
そのなかよりもどぢよばかりや (6-33)

そのうちにうをとみいとがまちりいる
よくみすませばにんげんのかを (6-34)

それをみてをもいついたハしんぢつの
月日の心ばかりなるそや (6-35)

このものにどふくをよせてたん/\と
しゆこふをしゑた事であるなら (6-36)

このどふくくにさづちいと月よみと
これみのうちゑしこみたるなら (6-37)

くもよみとかしこねへとをふとのべ
たいしよく天とよせた事なら (6-38)

それからハたしかせかいを初よと
かみのそふだんしまりついたり (6-39)

これからわ神のしゆごとゆうものハ
なみたいていな事でないそや (6-40)

いまゝてにない事ばかりはちめるわ
なにをゆうのもむつかしき事 (6-41)

このよふをはちめかけたるしんぢつを
たれかしりたるものハあるまい (6-42)

これからハとのよな事もたん/\と
ゆうてきかするうそとをもうな (6-43)

にんけんをはぢめかけたハうをとみと
これなわしろとたねにはじめて (6-44)

このものに月日たいない入こんで
たん/\しゆごをしゑこんだで (6-45)

このこかす九をく九まんに九せん人
九百九十に九人なるそや (6-46)

この人を三か三よさにやどしこみ
三ねん三月とゝまりていた (6-47)

それよりもむまれだしたハ五分からや
五分五分としてせへぢんをした (6-48)

このものに一どをしゑたこのしゆごふ
をなぢたいない三どやどりた (6-49)

このよふのしんぢつの神月日なり
あとなるわみなどふくなるそや (6-50)

にんけんをはぢめよふとてたん/\と
よせてつこふたこれに神なを (6-51)

いざなぎといざなみいとが一の神
これてしよこの大じんくゝなり (6-52)

またさきハなにかたん/\とくけれど
いまゝてしらん事ばかりやで (6-53)

このさきハなにをゆうてもにんけんを
はぢめかけたる事ばかりやで (6-54)

 

おふでさきの註釈を見ると、29から51をまとめて書かれてある。

「元はじまりの話」「こうき話」を読んでくださっている方には、良く分かる事だと思う。

その中で、

いまゝてにない事ばかりはちめるわ
なにをゆうのもむつかしき事 (6-41)

このよふをはちめかけたるしんぢつを
たれかしりたるものハあるまい (6-42)

これからハとのよな事もたん/\と
ゆうてきかするうそとをもうな (6-43)

として、「これまでこの世の中にない事を始める事は、とても難しい事」と言われている。

これが、どの宗派にも属すことなく、一人立ちする教えと言われるところだと私は思っている。

そして「この世を始め掛けた真実を、知った者はいないだろう」といわれて、「これからは、そうした知らない事を話すので、ウソと思うな」と断言されている。

これから先、というのを、「この歌の後」と読むか、「これから後に」と読むかによって異なってくるかとも思うが、

このお歌の後に、興味深いお歌が出てくるのである。

まずは、

このよふのしんぢつの神月日なり
あとなるわみなどふくなるそや (6-50)

にんけんをはぢめよふとてたん/\と
よせてつこふたこれに神なを (6-51)

真実の神は、月日様「くにとこたち」と「おもたり」様と言われて、「あとの者はすべて道具」と言われている。

そして、「人間を始めようとして、寄せて集めた道具に神名を授けた」と言われる。

50のお歌では、この「あとなるはみなどうぐなるぞや」のお歌を、月日以外のものすべてを道具と言っているのか、人間始め掛けた時の道具に対して言っているのかと、疑問が出て来るが、

51では、人間を始めた時の道具には神名を付けたと明言されている。

ここで、分かりやすいように、神名の覚え を表にして示しておく。

そして、問題に思うのは次のお歌である。

いざなぎといざなみいとが一の神
これてしよこの大じんくゝなり (6-52)

このお歌だけを見ると、「いざなぎ」と「いざなみ」が一番の神である。その他は違う。と読むことが出来る。しかしすでに、前のお歌を見て、ここでいう「一の神」という意味が、人間を創った一番の神という意味ではない事は分かると思います。

では、この「一の神」とはどういう意味だろうか。

次に52のお歌の註釈を書いておきます。

52 いざなぎのみこといざなみのみことは、人間創造の一の神であって、諾冊二尊からお生まれになった天照大御神は、天照皇太神宮にお鎮まりになる。

註 いざなぎのみことと、いざなみのみことは、父性神及び母性神として宇宙神であり宗教神であるが、この理は我が国にては伊弉諾尊、伊弉冊尊である。諾冊二尊の御子神、天照大御神は天照皇太神宮にお祀り申し上げる。

とある。

つまり、「宿仕込みをした一番の神」という事であり、この日本においては、「この理は我が国にては伊弉諾尊、伊弉冊尊である。諾冊二尊の御子神、天照大御神は天照皇太神宮にお祀り申し上げる。」という事になる。

蛇足になるが、

この52のおふでさきの読み方を、私自身いつも迷ってしまう。

それは、専修科の時に、「これでしょうこの」とでも読めるし、「これ、ていしょうこうの」とも読めると聞いたからある。

しかし、このおふでさき註釈からすると、「これ ていしょうこうの だいじんぐうなり」と読むのが良いかと思った。

 

朝づとめ後から書き出して、今お昼となった。調べながら書くととても時間がかかる。

しかし、うちには畑も草抜きをする土地もない。

そう思うと、時間はかかるが、このように調べ物をして、それをブログに記すのが私の訳目かなぁ。

と思う。

読んでくださる方の参考になれば幸いです。


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