橋本伊平先生は、名古屋にて柴田久兵衛ににおいがかかった事から、山名初代会長からの銘をそのまま受けて、山名への住込みとなる。
ここで、岡野桂次郎先生をこれまでは親としたいつとめて来た信仰から、山名初代会長を親と慕う信仰へと代わり、山名初代会長の言われるままに、生涯通られるのである。
そして、明治23年1月15日 山名に入り込んだ数日後、1月26日に名古屋へ向かい、山名初代会長の言葉通りに講社を結成して、2月12日に信者を連れて山名へ参拝するのである。
【橋本伊平、山名分教会住込みと名古屋布教】
明治23年2月12日に山名へ加入名簿を提出しているのであるから、名古屋へでの講社設立はこの日と考える人もあるかもしれない。しかし、この講社というものを、家単位の入信として、山名へ加入したと考える事が、後に名古屋真明組が結成されることからも分かると思う。
当時と今、そして系統や地域によって、考え方が違う場合があるので、こうした点にも注意が必要と思われる。
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