数日掛けて、
今の現状を、おふでさき5号から思う事。。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
を書いてみた。
おふでさきを順番に読みながら書いてみた。
このよふのたしかためしかかけてある
これにまちがいないとをもゑよ ( 3号022)
せかいちうをみな一れつをたすけたさ
そこでためしがゑらい事やで (15号043)
と「ためし」に関する「おふでさき」が思い浮かんだ。
教祖がお通られた道筋は、私たちが陽気ぐらしへと向かうための、ためしが行われたのだと思えた。
そのためしの上に、その後の日本、世界の人々を陽気ぐらしへと導く筋道があるのだと思えた。
また、引用したい文章を探すのに、「復元3号 永尾芳枝祖母口述記」の書き換えデータを何度も読み返した。
今後また探しやすいように、分類項目を作成した。
そして、よくまぁこんな事を書いたものだと、自分自身に感心し、よほど真剣に願っていたのだと思った。
ずっと不思議に思う事がある。
どうして、「教祖やこかん様、本席様などには、親神様のお言葉が出て、その他の人には親神様のお言葉が出なかったのだろうか」というものである。
そして、
様々な問題に対応するのは、親神様の言葉が出る方ではなく、言葉が出ない真柱様はじめ、取次ぎの人々なのである。
また、親神様が先はこうなるからと、注意をしても、その通りにしない人もあり、おさづけで不思議を見せて頂いたら、自分が神だという人も現れるのある。
こうした人間を研究する事が出来たら、何か分かるのではないかとも思った。
まぁ。
ただただ「身上や事情が治まれば良い。」という考えから、
それぞれが「心を切り替える」という考え方に代わらねば、陽気ぐらしは実現しない。
そして今は、その一時の世界の事情だと思えた。
この事情で変わる事が出来る人がどれだけあるだろうか。
・・・
今日、手術のお願いに、姉妹で来られた。
ブログを書いていた時なので、自分の身上が助かりたいというだけではなく、人様に親神様の思いを伝えて、身上や事情が助かってもらいたいという人になってもらいたい。という親神様の思いを話す事になった。
池の中の魚とオタマジャクシの例えと共に。。
先人の方は、身上になる度に教祖の元へ通われて、お話を聞いた。
一度にすべての神様のお話を聞いたわけではない。
そうした話もした。
・・・・
思うがままに。。
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