1月20日
逸話編に、種を売り歩く人の助かった話がある。
この話のなかに、「色々と遠回りして。。ここには皆おいでになるのに」という話がある。
この人は、信心深く、助けて貰うのに、色々な神社などを巡っていた。その中に、おやさまの話を聞いて、お助けを願われた時の話である。
この「皆おいでになる」という言葉を、若い時は沢山の人々が参詣する。と思っていた。
しかし、十柱の神様がおやさまに入り込まれ、親神様のとして働かれているということ、また、神社仏閣を参るときには、天理王命の神名を唱えるようにと言われた話、また元の理の話をこうき話で掘り進めると、人間が沢山集まるという意味ではなく、すべての神様の元になる十柱の神様がおられて、どんな守護も出来ないことはないと言われる意味だと思うようになった。
「おふでさき」を読むと、月日が「一の神様」として、「あとは道具」と言われているが、神名を授けられ、人間の成人のために、知恵を授けるために生をうけて功績を残し、神として称えられ社などで奉られた事を考えると、月日様からすれば道具であっても、人間からすれば神様であると思う。
その神様たちが集い、かんろだいを中心に、つとめるかぐらづとめは、とても重要な意味があると思う。
そして、かぐらづとめとは異なる12下りのおつとめ、これも意味があり重要なものだと思う。
人を助けたいがために、年限を掛けて教えられたおつとめである。
思うがままに。。。
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