「こうき」「こうき話」について説明しようとして「天理教事典」をテキスト化しているのですが、『こうきの研究』が必要かと思ってみたりして、なかなかまとまりません。
そんな中、息抜きと思って動画を見たら、次のような動画を見つけました。
プレアデス星人のアラーエが話したとされる神の正体について - YouTube
これをどう思われますか?
私は、元の理、元はじまりの話、こうき話を読んでいると、十柱の神が宇宙人であっても差し支えないとも思えます。
ただし、ここで言われているように、宇宙人にも良いものも悪いものもあるという事で、問題は、親神様が言われる、私たちの心の成人が一番重要と思います。
思いつくまま書いていますので、分かりにくいかもしれませんがお許しください。
さて、「元はじまりの話」に、月様が日様に相談をして、人間を作ろうと思ったことが一番初めと言われています。
そして、その他の道具衆にも相談をして、協力を願って道具としています。
それらを月日様は食べて、いざなみ・いざなぎに入り込んで、人間を宿しこみます。
この時、いざなみ・いざなぎは食べられていないのです。
日本の一番古い神は、伊勢神宮と言われていますが、その伊勢神宮の神は、いざなみ様です。
元はじまりの話にも出て来ますが、おふでさきにも出て来ます。
肉体のある神と肉体の無い神と考えてみてもつながるかと思います。
その後、それぞれの道具の魂が、人間として生まれ出て、多くの人を導いてきました。
これも、こうき話に書かれています。
その人々を、神として宗祖として、神社や仏閣が作られて参り場所となっています。
天理教では、いざなみの魂が、教祖(中山みき)です。
ところが、人間として生まれ出た魂が、そうしたゆかりの魂であっても、月日親神の思い通りにならないこともある。
それが、甘露台の石の没収であったり、にんそく社と言われていた人々の離反であったり、せっかく与えられたおさづけが止められたりの事柄に現れています。
この原因は、何であるかを考えたら、今の自分たちの日常にも重なると思います。
親神様の人間創造の目的は、「陽気ぐらしをさせたい」という思いです。
その陽気ぐらしをさせるためには、衣食住など不自由な事があってはならないと、肥のさづけや虫払い、雨ごいなどのおつとめも教えられて、不思議を見せて下さってきました。
しかし、そうした事によって不思議にも、不自由が無くなっても、自分の欲得があっては、争いは絶えず、ましてや人を殺める事などがあっては、全く陽気ぐらしにはならないのです。
不自由が無くなっても、「あるが上にもなんぼでも」「欲に切りない泥水」などと、ほこりの心に気が付いて、心を変える事と、心が人の事を思えるように変わらなくてはならないのです。
「虫鳥畜類と生まれ変わりをして」と元の理にありますが、人間の生まれ変わりでも、先日書いたように、魂が生まれ変わりしながら人間に近くなっていくのです。
そして、はじめて人間になった魂は、知恵が十分に使えないのです。この事も教祖の話にはあるのです。
だから、知恵の使えない人に対して、「馬鹿にすること」や「いじめる事」は親神様の思いには反する事で、反対に知恵が使えるように導く事が大切な事なのです。
知恵が使えるように成る段階は、人間が大人へと成人する段階を考えたら分かると思います。
三才までは、親の言う通りです。しかし、段々と自我が芽生えて、親をないがしろにするような言葉を出すようにもなります。
けれども、自分が親の立場になり、子供の事を思うようになると、親の心が分かり、また心が変わるものです。
けれども、ここで親の立場になっても、財産や力があり、子供を自分の意のままにしようとして、心が変わらない人がいます。
ここが問題です。こういう人々は、自分自身の悪を知りません。人が悪いとばかり思い、自分の思いに添わないと腹を立てて、人の事を考える事が出来る人から説かれても分からずに、悪循環に陥るのです。
借金を重ねたり、薬やギャンブルにおちいり逃れられない人々のほとんどは、自分の心に気が付いていません。
自分の心に気が付いても、他人のせいにして、自分を甘やかすばかりで、どんどんと泥沼に堕ちて、抜けられなくなるのです。
以前にも書きましたが、そうした中に助かる人は、自分の悪い性分を取ることが難しい事に気が付いて、神に願った人々であります。
何といっても、問題はそれぞれの心にあるという事です。そして魂は生き通しという事です。
十柱の神様に「切る神様」「たいしょくてんのみこと」がある事を忘れてはなりません。
人間は生きながらえる事ばかりを願っているようですが、思い通りに動かぬ体、思い通りにならない心に気が付いて、自然と出直すことが出来る事も御守護だと思います。
これらを生まれ変わりのサイクルで考えたら、良く分かると思います。
今世では、三才の知恵しかない人でも、また人間に生まれ変われれば、来生では青年までの知恵が使えるように成るという事であります。それを繰り返して、魂が成人するのです。
人間はみな同じ姿をしていますので、皆同じだと思いがちですが、魂によって違うのです。
これらを、親神様は教祖を社として教えて下さいました。
そして、今なお様々な事柄、また人を通して教えてくれているのです。
物が豊かになっても、心が良くならなれば、何ともなりません。
それから、地球にある資源の事については、神が隠しておいたとも聞かせてもらいます。それを見つけてどのように使うかを、楽しみに見ているとの事です。
けれども、この資源は限りがあるのです。だから「菜の葉一枚無駄にしてくれるな」と、物を大切にすることを教えられています。
長く書きましたが、画面がおかしくなりましたので、ここまでにします。
これから、支部の会計さんと予算書を作る事になっています。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。
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