昨日12月23日、無事に愛知大教会の12月の月次祭が終わりました。
それと共に、会報が終わりになります。
作業をする人が出来れば作られるでしょうが、そういう人が現れるかどうかです。
これが愛知大教会のあゆみです。
先日、信者さんが突然出直されて、お葬儀をさせて頂きました。
このコロナ禍で1年以上ご無沙汰していた方でした。
この方は前会長さんの関係の方で、先日前会長さんの夢を見た事から、今月13日に月次祭のおさがりを持って会いに行ってきました。
とても元気にしておられて、近所の方とグランドゴルフを楽しんでいると聞かせて頂きました。
その方が、18日朝、突然亡くなっておられて、2階に住む息子さんが、居間で横になっておられるのを見つけられたとの事でした。
その前日も、近所の方と元気にゴルフをされていたとの事で、本当に突然死でありました。
最近、突然死の話をよく聞くようになりました。
常に連絡を取り合う事が大切だと思います。
突然のお出直しは、残された者がとても大変です。
ぽっかりと心に穴があいたような状態になってしまうのです。
それまでいたもの、あったものが突然に無くなることは、とても寂しく、すぐには心の整理がつかないものなのです。
これが普通なのです。
人間の心というのは、慣れるという特性がありますが、その慣れるためには時間がかかるのです。
だから、突然起こった事に対しても、それを受け入れるためには時間がかかるのです。
最近の風潮で、葬儀もせず、年祭や法事もしないという事をよく聞きます。
葬儀や年祭・法事をしないという事は、親戚や縁者に気を遣う事もなく、お金もかからずに一面楽なように思います。
ところが、そうした風潮に流されて行わないとどのようになるか。
亡くなった事による、心の整理の付き方が違うのであります。
親戚や縁者が集まり、当人についての事を語り、その事を聞く事は、心の整理をつける上にとても大切な事なのです。
斎詞で「ご功績を語らい伏し拝むさまをお受け取り下さり」と読み上げますが、亡くなられた霊様への思いが、残された人々に返って来て、心の整理がついて新しい出発を早く始めることにつながるのです。
「人助けて我が身助かる」と言いますが、「人の事を思いつとめることが我が身に返ってくる」、その一つの事例だと思います。
私としては、「夢でなりともにおいがけ」と言われるように、夢でも親神様は導いて下さっていると思っています。
夢で前会長さんを見せて下さり、出直される直前にお会いできたことをとてもありがたく思いました。
ですから、突然亡くなられたショックも大変大きなものでした。
そして、葬儀に参列された方々に、突然亡くなり葬儀をしない、年祭や法事を行わない方の事例を話し、出直された方の、私が知る面影を話させて頂きました。
「親が子となり、子が親となり」です。生まれ変わり出変わりします。
そして、生まれ変わる先は、「この世に天国もあり地獄もあり」なのであります。
参考になれば幸いです。
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