明治19年教祖は、櫟本分署へ最後のご苦労に行かれて、それから一年後の明治20年陰暦正月26日に現身を隠される。
その間の教祖のようすを、『山田伊八郎文書』から見て見たい。
まず、年表を記しておく。
以下の資料を読めば分かる事だが、私なりに思う事を書いておく。
教祖は眼も見えず、耳も聞こえず、寝返りも打てずという状態になっておられたのである。
(註:目が開けるまで寝ていよう。と言われる通り、後日起きられるようになるのである。)
しかし、それは病気という事ではなく、親神様の思いの上からそうした状態にしており、それの証拠にと、指先で人の手をつままれて、それを示されたのである。
さらには、この状態にしている事を、世界助けに飛び回っていると言われるのである。そしてそれは、家の戸を閉めて人が来て邪魔をされないようにと、仕事に出るのと同じであると諭されており、現身を隠される時に、「扉閉まりて地をならそうか、扉開いて」と尋ねられたことと重なるのである。
色々と悟られる事があるが、今回は簡単にここまでとしておく。
以下に、テキスト化した文と共に画像を掲載しておく。
・・・・・・・・・
教祖お隠れ前の様子資料「山田伊八郎文書」より
152頁~155頁 (現代風に書き換え)
1)明治19年3月12日(旧2・7)
神様の仰せ(最後のご苦労お帰りの後 12日目のお言葉)
明治19年旧2月7日、庄屋敷へ参りがけに、大豆越村山中宅へ、座敷棟上げの日を尋ねに寄り、父忠七殿と同道にて参詣した。神様(教祖)は、休んでおられるのを、父がゆり起こされて、神様が仰せられるのには・・・。
旧正月15日より、神様と、仲田佐右衛門様と伊豆七条村の桝井伊三郎様と、又、神様の付き添いに櫟本村おひさ様と、4名のお方が、櫟本分署へ12日の拘留にてご苦労下され、右拘留は倉橋村心勇組の内より、講中18ケ村が押し込み、無理からでもつとめをさせてもらおうと思って、300人余りの人数を段々願い、これによって拘留された。
帰宅は旧正月26日であった。お帰りの後、戻ってから今日までで12日目となる。それから毎日、寝通しで、耳は聞こえず、目はほとんど見えずである。神様(教祖)がしばらくしてから仰せられるには、天の月日様(親神様)の仰せには、
「どこへ働きに行くやらしれん。それに、起きていると言うと、その働きの邪魔になる。ひとり、目が開くまで寝ていよう。何も、弱りたかとも、力落ちたかとも、必ず思うな。
そこで、指先にてちょっと知らしてある。その指先にても、つくは誰でも、摘まみ上げる力を見て思案せよ。」
父忠七殿、伊八郎両人の手をつまみ上げ下げされ、その大いなる力に、いかにも関心いたす。神様の仰せには、
「他のものでは、寝返るのも、出けかねるようになりて、それだけの力があるか。」
との仰せであった。また、
「人間も、200、300才まで、病まず弱らずにいれば、大分に楽しみもあろうな。そして子供はほうそ、はしかをせんよう、かしら(頭)へ、何一つも出けんよう。また、百姓は、一反につき、米4石、5石までも作り取らせたいとの神の急き込み。この何度も上から止められるは、残念でならん。この残念は、晴らさずにはおかん。また、この世界中に何にても、神のせん事(しない)はさらに無し。
何時どこから、どんな事を聞くやしれんで。そこで、何を聞いても、さあ、月日のお働きやと思うよう。これを、真実の者に聞かすよう。また、今は、百姓の苗代しめと同じ事。籾を撒いたらその籾は、皆生えるやろうかな。ちょうど、それも同じ事。」
右を、ことごとく神様の仰せなり。
ちょっと日々にお悟りより、神様の伺いには、
「今度は、たすけより、残念晴らしが先。」
(註)この2行文頭より移転。
156頁~159頁 (現代風に書き換え)
2)明治19年3月28日(旧2・23)
神様の仰せ並びに伊蔵様伺い仰せ
(最後のご苦労お帰り後27日目のお言葉)
先に、生き神様に、石板にて書いて伺い、そのさしづにて、
「伊蔵様にて頼め。」
との事。
明治19年旧2月22日晩、白米6斗5升、白餅米1斗5升。キリコおよそ9升。かき餅6升。入れ物にて、フゴ2荷盗られた。神様の仰せには、
「どうもこれ長き道でありて、まちだいくつにあろう。ここをよく聞きわけにゃならんで。それ、盗難のところ、世界にはどうも、あこの内にて、家内中いう。しんになりて入られて、物を盗られ、また、家内の者に、目と言えば、あれほど不自由な事はあろまい。と人が皆言うであろう。
さあさあ、ここをよく思案して、ただ、人道で家内中押すなれば、さあ、これからは、何一つも盗られるような事は無し。さあここを神から話しておくによって、よう聞き分けにゃならんで。
この世界、日よく月よくである。日あかき、月おぼろ月もあり。靄がかかれば、暗くなる。今は高山へ入り込んでいるで。この道も赤くなりたり暗くなりたり。今は暗き道でもあり。さあ月が変われば、もようが変わる。また月が変わればコロッと変わりて、赤き道になる。これを家内中へ伝えにゃならんで。」
(註1)おすなれば=生活し通すならば。
3)明治19年3月29日(旧2・24)
神様の仰せ
翌、23日父の金玉が痛み、同晩、私の金玉も大いに痛み、それの事より「翌24日参詣する」と願をかけ、直ぐに全快致した。同日参詣したして、神様にお伺いした。神様の仰せには、
長々の道であるで、この道は、どんな道もあり。不自由な事もあり。難儀な所も越さんならんで。それにこれはどういうものであるやしれん。あちらからも、こちらからもゆいかけられ。ただの一つもこれはという事なし。
この身の障りの所も、今までに身の内へ知らしてあろう。これをよう思案せよ。
元は、いざなぎのたね。いざなみの腹一つ。どこのいづくでも同じ事。身に二つはなし。これをよう思案せよ。
元 いざなみの腹から人間は皆生まれし。
そこで、我が身、あの身というなり。
166頁~173頁 (現代風に書き換え)
4)明治19年5月3日(旧4・2)
神様の仰せ、並びに飯降伊蔵様扇伺言葉
明治19年旧4月1日晩、こいそが、暑くなったり、寒くなったり、肩が凝りつめ、翌2日、神様に石板に書いて、お伺いをさせてもらうと、神様の仰せには、
耳が聞こえず、目が見えず。よって飯降伊蔵様にお願いしてくれ。
との神様よりの仰せなり。それより、飯降様にお願い申し上げると、すぐさま扇をもって、お伺い下さる。
そのお伺いには、
さあさあここを、よう聞きわけにゃならんで。
さあここをしっかりと聞き分けん事には。さあ今までの急き込みというは。段々の話。この話を、あちらからも、こちらからも、多くの人が、よりくる事と思う心が大いに違い。今までに、どんな道になるやら、どういう日が見えるてくるやら、今までに段々説いて聞かせど、いつの事やら、いつ見えてくるやらと思ている。
さあこの4,5,6月を見ていよ。善と悪とが必ず分けて見せるで。この度は、内外の隔てなし。さあ世界中、多くの人にこの話、聞かん者は、さあ、怖くてたまらん。さあ 今までに、神様のお話聞いている者は、さあ 仰った日が出て来たかと思うやろう。すれば直ぐに気が勇やろう。
さあその日来るなら何事も、つとめ一条でおさまるとの話聞かしてあろうが。 また、このたすけも、一村限り、一軒限り、一人限りというは、今の事。さあ今までに、色々と、どんな話も聞かしてあろうが。ここをよう思案してみよう。
さあこの先は、善も早けりゃ悪もはやいで。まだこの先は病人の、医者が手を引く。
今までに色々と急き込み話、どんな話も聞かしてあろう。 これ皆 銘々に思案してみよう。その日が、皆出てくるほどに。さあ 今かかりていると言うたとて、その日来るまでは、世界には誰も知ろまい。さあ今日は、年限、日柄、刻限というは、十分すぎてある故、さあ、見えかけたなら見えてくるほどに。
また、人間にしても同じ事。さあここをよう思案して見よ。 いか程の、悪心が腹にあると言えども、口に出すまでは、見えようまい。ぼちぼち話にかかりたら、さあ、見えて来るやろう。半道中(はんどう中)、話すぎたなら、ほんに腹の悪い人やと思うやろう。それも同じ事。
さあここをよう思案して見よう。
また、神様の御身の障り。この耳も聞こえず、目も見えん。声も出ず。これを世界には、何と思うやろう。さあ人間にしても同じ事。厳しく働く時は、戸を閉めて出て働くやろう。 人が来るとて、この家は留守かいなと言うようにして、働くであろう。 外へ出て働くも、家にいて働くとも同じ事。
そのはずや。厳しく働く時には人が来ては、働く邪魔になる。人間にしても同じ事、それ故に耳も聞こえず、目も見えん。声も出ず。スッキリと戸を閉めて出て神が働きをしている程に。
さあこれまでに、どんな話も聞かしてあるは、これから見えるこの話を、家内中へ伝えるよう。
また、世界の人にも伝えてくれるよう。
との神様の仰せなり。
(註1)はんどう中=半道中、総ての物事の半分。
以上。。
このお話から色々と悟れるかと思います。
世界が一日も早く陽気ぐらしへとなりますように。。。
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