昨日は部内の月次祭でした。
いつも通りに全員マスクをして、おつとめを勤めました。
直会は無しで部内の奥さんが作ってくださったお弁当を持ち帰ります。
うちの教会と違って、この教会では身上の方が数人おられて、毎月おつとめを終えた後に、元気な者(私と部内教会の後継者など)がおさづけを取り次がせて頂いています。
表題に書いた嬉しかったこととは、
うちの奥さんが、初めて、御守護を頂いた話を皆さんの前で話してくれ、それによって、おさづけの取次ぎがより一層ありがたく感じられて、皆でつとめる事が出来た事です。
その話しは、私たちが結婚して、熱田分教会に来たばかりの時の話でした。
私が椎間板ヘルニアで、突然の激痛でうちの奥さんにおさづけを願って、不思議と一晩で痛みが無くなった話です。
その話は、私の方から何度も皆さんにも話し、このブログにも書いています。
しかし、おさづけを取り次いだ奥さんからの視点は違ったものでした。
まったく、天理教を知らないものが、それも若い時におさづけはもらっていたものの、全く信仰など意識した事がない、至らぬ者が、取り次いだおさづけで、不思議を見せて頂いた。という話しでした。
そしてまた、二人の子供の喘息で、両脇に抱えているためにおさづけは取り次げないが、南無天理王命と唱えながら、両脇に抱えながら背中をさするだけで大人しくなった不思議なお働きの話でした。
この話は、私も初めて聞きましたが、この話以上に、私が嬉しかったのは、うちの奥さんがしっかりと話をしてくれたことなのです。
私たち夫婦は、全く天理教の教会に入るつもりはなく、サラリーマンをするつもりで結婚をしました。
しかし、私の親の言うままに、この教会に入る事になったのです。
私は、親のいう事だからと思っていましたが、妻にすれば、納得のいかない事ばかりでした。
ましてや、教えも全く聞く事もなく、人助けなど思いもよらない事でした。
そんな二人ですので、普通の教会の様にはいきません。
教えてくれる前会長さんもありません。
ただただ、信者さんの言われるままに、「では、そうしましょうか」と歩んできました。
大教会から言われることも、伝えはしますが、すべて信者さん方の思われるようにして頂きて来ました。
ですから、すべては伏せ込みだと思って、青年のつもりでどんな事もして来ました。
そうした中、私の身上の度に、うちの奥さんに私がやって来た事を一つずつ手渡して聞きました。
代表的なものは、女鳴物の調弦です。
教会に入った数年間。大教会の婦人会の先生に来てもらって女鳴物の練習を月に1度行う事にしました。
誰も来なくても、うちの奥さんの練習のためにと始めました。
ところが、開始の時までに調弦が出来ていなければ、すぐに練習が出来ません。
うちの奥さんはやったことがないので、全く無関心でした。
そこで、私がピアニカを片手に覚えました。 数カ月かかりましたが、出来るようになり、それからは、月次祭の女鳴物の調弦は、部内も含めてすべて私がしました。
しかし、私が首の手術をした時に、丁度奥さんは大教会の婦人会で調弦の機械が使えるようになってきていましたので、私の代わりに奥さんが調弦をするようにとしました。
そして、3年ほど前、私が車から飛び降りて、脳震盪と鎖骨骨折、肺気胸の身上になった時に、私がいついなくなっても良いようにと思って、奥さんに、私が話をする前に婦人会としての話をするようにと言い渡しました。
うちでは、奥さんが婦人会の話をして、私が話をしますが、部内では、部内の後継者が話をして、うちの奥さんが婦人会の話をして、私が最後話をします。
そして、今月のうちの月次祭の時に、奥さんが「婦人会では、自分のたすかった話や神様の御い守護の話を皆さんにしましょう。 と言われています。」と話をしたのです。
その話を聞いた私が、あとから奥さんに「それならば、あなたの御守護頂いた話をまずして下さい」と言っておいたのです。
その時には心良い返事はありませんでした。
ところが、先ほどの部内の月次祭での話となったのです。
夫婦ですので、なかなか相手のいう事を素直に聞いて実行する事は出来ないものです。
しかし、今回話をしてくれたのです。
私はいつも信者さんに、自分の見せて頂いた不思議な話をしていますが、奥さんはなかなか無いのです。
また、話しをして下さいと言っても、「私なんて」と言って話そうとしないのです。
それが、今回してくれました。 ほんとうに良かったと思いました。
また、今回の部内での私の話は、ここで書いた逸話編「本当のたすかり」について話をしました。
様々な身上事情がありますが、すべては、心を切り替えるためのお知らせである事。
そのためのおたすけであり、おさづけ、おつとめであると話をしました。
来て下さる信者さん方は高齢であります。
高齢で体は動かなくなってきますが、心は動くのです。
心の切り替え、心の気づき、これが大切だと、会長になって28年経ちましたが、ようやく素直に話すことが出来るようになったと、これまた喜ばせてもらいました。
これからもどうなる事か分かりませんが、親神様にもたれて、「急いて急かぬ道」を心に歩みたいと思います。
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