穏やかな初秋の一日&秋桜(さだまさし)

2022年10月02日 23時32分36秒 | 家族

 いつものように家中の窓を開けて廻り、少しだけ歩きに行きました。

日中はまだ暑いですが(今日も30℃超え)、折角朝夕、涼しくなってきたのに、歩けないのが残念。

 

 

 今朝の空

雲がほとんどなかったです。

 

教会に入ると太陽の光が後ろから射してきました。

教会は東に向かって建ててあります。

多分、どこの教会もそうだと思うのですが、クリスマスと冬至の関係と同じで、復活の太陽(キリスト)は東から昇ってきますのでそうのように作られていると聞いたことがあります。

 

今日は特にお婿ちゃんの叔父さんの為に祈りました。

 

 

 

 今朝の朝顔は一輪でした

 

帰ってから、バラや植物に肥料をやりました。

物置から、古い洋ランの肥料も出てきました。

 

勝手口のヘルパーさんの机の上にハロウインの飾りを置きました。

今朝の果物

今日は母がお番茶が飲みたいと言いますので、先日出てきた南部鉄の急須で淹れました。

 

 

 今日の母は一日調子がよく、ゴソゴソしていました。

外は暑くても家の中は湿度も低く過ごしやすかったので、穏やかな初秋の一日を母と静かにまったりと過ごしました。

明日からは又、続けてリハ付きショートですので、私も嬉しいです。

 

 

 

 

 お婿ちゃんからは言っていた通り、お昼頃、電話がかかってきました。

昨日あれから、メッセージも送りました。

通り一遍な言い方ですが、いつも祈っている、いつもそばにいる、そのことを忘れないでみたいなこと。

今日は昨日と違って元気で明るい声になっていました。

遺体はすでに火葬されたようで、日本と違ってとても早いそうです。

新聞の死亡欄に母と私からのお悔やみのメッセージも出ると聞いていましたら、今、ちょうどその新聞のコピーをWhatsAppから送って来てくれました。

最初の言葉は日本語で「お母さん、ありがとう」

そして、お悔やみの言葉を英語に訳してもらいました。

それからしばらくメッセージ交換をしました。

何ともかわいいお婿ちゃんです

お昼間は孫の元気な声も聞こえて、母にも電話を代わりました。

最後に"Love you"と言ったので、母にも"I love you"と言うように言いますと、「アイラブユーだって」と言っていました

夕方になって何を思い出したか、母が「英語で話が出来るんだねぇ」

「え今更」と思いましたが、まだまだダメです。

 今日はお嫁ちゃんからも9月の2人目の孫のお誕生日のお祝いのお礼と沢山の写真が送られてきました。

おばあちゃんが相次いで他界したのでバタバタだったことと思います。

このお嫁ちゃんも本当にいい子で。。。

我が家の娘や息子よりも義理の息子や娘の方が優しいしいい子達です。

お嫁ちゃんなんて、一緒の車に乗る時、助手席をいつも私の為に空けて乗ってくれます。

最初は気が付かなくて、離れて乗るのかと思って不審に思っていたら、息子が「そんなわけないだろ」

ですよね

最初の頃はお互いにわからなくて皆ぎくしゃくした部分もありましたが・・・。

娘の結婚式の時、息子1人がお休みの関係で後から来たのですが、ドーハあたりから連絡が取れなくなって英語も話せないしどうしようかと心配で心配でたまらなかったのですが、彼女がPCでがんばってくれて事なきを得ました。

その2ヵ月後に息子たちも結婚式を挙げましたので、この年は本当に忙しかった

この時にはお婿ちゃんの二人のおじさんも健在でしたが、1人はその年に亡くなりました。

すでに病気でした。

でも、この叔父さんがいたから、彼は日本びいきになったようです。

披露宴ではもちろん、このお二人とも、着物姿でウインナワルツを踊りました。

本当に懐かしい。

帰国する時には2~3回は又、行けるだろうと簡単に思っていましたが、コロナやら介護やらでなかなか遠いです。

 

 

 

 

 

 又、こんな時間になってしまいました

生活を立て直さなくちゃと思うこの頃です。

 

 

 

 

 

 

秋桜 コスモス  さだまさし

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】


なぜ、成功する人はいつも本気なのか

本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる
変わってこなかったら、
まだ本気になっていない証拠だ

本気な恋
本気な仕事
ああ 人間一度 こいつを
つかまんことには

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坂村真民
(「念ずれば花ひらく」の詩で知られる仏教詩人)
月刊『致知』より
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「念ずれば花ひらく」の詩で知られる
 国民詩人・坂村真民(しんみん)さん。
 生涯で残した一万篇以上もの詩は
 多くの人々の心を勇気づけていますが、
 その人生は想像を絶する苦難の連続でした。
 
 小学校校長を務める父親のもとに生まれ、
 何の苦労も知らずに幼少期を送った真民さん。

 しかし8歳で父親が急逝すると生活は一変、

「5人の子供を自分の手で育てる」

 と譲らなかった気丈夫な母のおかげで
 きょうだい離れ離れにならずに済んだものの、
 待っていたのは貧しい生活でした。

 働きにでる母の、少しでも助けになればと
 畑を借りてソバをつくったり、草鞋を編んだり、
 そんな生活を送りながら育った真民さんには
 自然と自分を律する心が芽生えていきました。

 ・  ・  ・  ・  ・

 詩人として知られる真民さんですが、
 若い頃志したのは短歌の世界。

 詩の世界に分け入ったのは41歳と遅い出発で、
 それに焦りを感じた真民さんは
 厳しく自分を律し、勉学に励みます。
 その余りの厳しい生活によって
 片目は失明寸前に追い込まれると、
 次は内臓を悪化させて
 死の直前にまで陥るのです。
 
 それでも何とか持ち直し、
 苦しみから脱した時に生まれたのが、
 
「病が/また一つの世界を/ひらいてくれた
 桃/咲く」

 という詩でした。

「体験が信仰を本物にする」

 と真民さんはよく口にしましたが、
 本日紹介した詩は、真民さんの生きる姿勢を
 如実に表した詩と言えるでしょう。

 皆さまの心の杖となれば幸いです。 
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