母の面会⑬&退院は月曜日

2024年05月31日 21時48分30秒 | 介護

 4時半、目が覚めた時にはまだ雨は降っていませんでしたが、用意している間に降り始めました。

そこで諦めて家の中でごそごそ。

お散歩に行かないと結構朝の時間があっていろいろ捗りました。

朝食の準備も7時前には余裕で終わってしまいましたので、今日は朝ドラをBS(7時15分~)でゆっくり座って観ることが出来ました。

 

 

 

 今日の果物

ゴミ出しの時

  

バラもガーデニアも香ります

今は赤い「サムライ」とこのマゼンタ色の「シェヘラザード」が綺麗です。

 

紫陽花が少し濃くなってきたような・・・

 

午前中は今日もレポート作成の準備だけして、読書三昧。

数冊同時進行で読んでいます。

そして、いつものように母の面会へ。

今日の母も何とも言えない表情で大きく右に傾いて黄昏ていました

が、お食事は結構食べてくれて主食8割、副食8割。

よくがんばって食べてくれました。

 

今日は昨日のブログでもご紹介したカルロ・アクティスCarlo Acutisの話をしたりしつつ、「とりなしをお願いしてみよう」と提案

 そこへ、クリニックのケアマネさんがいらして「退院することを今、知った」と。

「ケアマネの私が知らないなんてどういうこと

しかも、「入院しているから日曜日からのショートに他の人を入れてしまったのでお部屋がない」と言われました。

私こそどういうことでした。

皆が知っているのに・・・

すると「誰がそんなことを言ったの」と言われて「ドクターに聞きます」と言われて行ってしまわれました。

誰がって、ドクターと相談して決まり、毎日面会の行き帰りに訪問看護ステーションや訪問リハ、ソーシャルワーカーさんのおられる場所を通るので日々情報交換しているわけで・・・

当然病棟の看護師さん方も当然ご存じですし。

母のケアマネさんにもドクターとお話をした後すぐに連絡し、ケアマネさんはソーシャルワーカーさんやヘルパーさんなどへ連絡済み。

困ってケアマネさんに連絡しましたら「え~、何、それ~」

帰りにクリニックのケアマネさんとお話ししようと思いお探ししつつ帰りましたが見つかりませんでした。

訪問スタッフも「おかしいねぇ」「こっちのミスだからこちらで何とかします」

そう言われて、家に帰りましたが、母のケアマネさんからお電話があり「今、クリニックのケアマネさんから電話があったのだけど、月曜日の退院は決まっていないと言われたわ」

益々、

母のケアマネさんは「とにかく、もうひとつのショート先に空きがあるかどうか聞いてみます」と言われ、確認して下さいました。

私は私で、母のケアマネさんに頼まれてクリニックのケアマネさんにお電話しました。

するともう帰られたそうで・・・

この状態で土日を挟み、月曜日からのことが決まっていないなんておかしい

ソーシャルワーカーさんも席空きでしたので、訪問看護ステーションに電話を回してもらい、今の状況を説明しました。

ほどなくドクターから直々にお電話がありました。

「ごめんねぇ。私が悪いのよ」

そんなわけないのに、このドクター、元介護士さんだったせいかスタッフを守る思いがとっても強いと常々感じています。

娘もこのドクターと話した後、第一声が「びっくりしたわぁ~。こんなドクターの下で働けるスタッフは幸せだと思った」でした。

ドクター曰く、「やはりもうショートはいっぱい、お部屋もいっぱいなので、今のお部屋で医療入院続行しか手がない」ようでした。

そこで、もうひとつのショート先が受け入れOKのことを話しました。

ドクターのお話では月曜日の朝の点滴で医療処置は終わりで、その後退院OKの状態は変わらないので、私がもうひとつのショート先へ連れて行くことになりました。

このままこのクリニックでショートに繋げられたら、リハビリも出来て良かったですし、リハのスタッフもその方が絶対にいいと言われていたのですが、仕方がないです。

人間のすることなので、ヒューマンエラーはどうしても起こるのは当たり前ですが、今回、このクリニックのケアマネさんが他のスタッフが言われているように「最初から2週間くらいの入院ということはわかっていたのだから、確認をしてショートを組むべきだった」ということがひとつ。

カルテには書いてあるのですからなぜそれを見られなかったのかです。

(お休みだったようですが、それならなおのこと)

そして、もうひとつは不思議なのは今日なぜ何も言われないで黙って帰られたのかです。

これが私には本当に不思議なのですが、医療入院続行と思って帰られたのでしょう。

そうならば、必要のない高い室料差額が発生することをドクターも訪問看護師さんも気にされているのに気が付かれないのかなと思います。

 その後、担当の訪問看護師さんとお電話でお話しました。

「話は聞きました。本当に申し訳なかったです」と謝られていましたが、ドクターが悪いのでも看護師さんが悪いのでもないですし、怒ってもいませんが、ただケアマネさんはちょっと不思議です。

月曜日に母が退院すること、そして、別のショートに移動することを又初めてそこで知って驚かれるのかなぁ。。。と思うと気の毒な気持ちになってきます

多分そこで又、「なぜ私だけが知らないの」になってしまうのではないかと。。。

何だか憂鬱になりそうでしたが、お花を見ながら気分転換

 

雨と紫陽花って本当によく似合います。

 

 雨は午後から止んで、曇りからお天気も回復して、青空も少し見られました。

リサイクルのごみを捨てがてらお買い物へ。

教会の紫陽花です。

 

アナベルもかわいいのですが、

 

この金平糖のような紫陽花の蕾が本当にかわいい

以下10枚、同じ紫陽花ですが何とも多彩

 

 

  

金平糖の色が青色や紫色。

 

でも、咲くと紫からピンクに近い色になります。

 

ゆうちょに行くとご近所に初めて見るバラが

 

長い塀に沿ってかわいらしく咲いていました。

空は青空に

 

 母は明日、月曜日のことを話すと喜ぶかな。

本当は家に連れて帰ってあげて、食事をさせて夕方にショートに送るとか出来たらいいのですが、ヘルパーさんも来られない日ですし、一人で降ろしてお部屋に入れて、又、連れて行くのは私の車には車椅子ごと乗れないですし、ひとりではとても無理。

病院から出られるだけでも気分的に違えばいいのですが。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと346日・°*

 

 

 

 

 

 

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こんにちは。バラ十字会日本本部の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、錬金術師の部屋の再現、ニュートンの蔵書・肖像画、賢者の石であるとされることのある辰砂の写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

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(アイザック・ニュートンと錬金術と賢者の石|最後の魔術師と呼ばれた理由も解説)

━…………………━

早いもので、明日から6月ですね。東京板橋では、クチナシやアジサイの花が開いています。

いかがお過ごしでしょうか。



今回は、科学者ニュートンと錬金術の関わりを話題にしたいと思います。


◆ アイザック・ニュートン

アイザック・ニュートン(Isaac Newton)は、17世紀の中頃にイングランドで生まれた科学者です。

数学(微積分学)と物理学(古典力学)の基礎を作った人で、「近代科学の祖」と呼ばれることがあります。


科学に対する功績があまりにも大きいことから、ニュートンのことを現代風の科学者だと思い浮かべる人は少なくありません。

しかし彼の残した文書から見ると、必ずしもそうではないことが分かります。


少し以前(2016年)のことになりますが、ニュートンが残していたノートの中に、ジョージ・スターキーという錬金術師の文章の書き写しと、自分の行なった錬金術の実験のメモが発見されたというニュースが報じられました。

その書き写しは、「賢者の石」の原料となる「哲学者の水銀」の作り方を暗号で示したものだったとのことです。



余談ですが、同じ年にX(ツイッター)上でこんなできごとがありました。

「#ブロック覚悟でいう」というハッシュタグをきっかけに、科学雑誌『ニュートン』の公式アカウントが、ともすれば怪しい話題が多い学研の雑誌『ムー』に対して、「ムーの中の人は、どこまで信じて原稿を書いているんですか(・・?」という、なかなか挑戦的なツイートをしたのです。


これに対する、月刊ムーの切り返しは素晴しいものでした。

「はい、ニュートンは錬金術師で、オカルティストだと信じております」。

座布団一枚という感じで、思わず爆笑してしまいました。


(写真:バラ十字古代エジプト博物館に再現された錬金術師の実験室(その1))


◆ 幼少期と青年期

アイザック・ニュートンは、ケンブリッジの数十キロ北にあるウルスソープという町で、1642年のクリスマスに生まれました。

もっとも、それは当時イギリスで使われていた旧い暦(ユリウス暦)での話で、すでにヨーロッパ大陸で採用されていた現代の暦(グレゴリオ暦)では、1643年の1月4日になります。


彼の幼年期は、あまり恵まれたものではなかったようです。

農園を経営していた父は彼が産まれる3ヵ月前に亡くなっています

そして、実母はアイザックが3歳のときに再婚して彼から離れ、彼は祖母の手で育てられるようになります。



アイザックは体が小さく内向的な子供でした。

農園を継がせようとしていた実母の反対があったにもかかわらず、親類が学問の才能に気づき、中等学校に入れます。

いじめにも遭っていたようで、その一人に喧嘩で勝ったことがきっかけで自分に自信を持ち、首席でこの学校を卒業したと言われています。

そして、18歳のときには名門のケンブリッジ大学に入学しました



家はそれほど貧しくはなかったのですが、実母の反対のため仕送りは少なく、大学では半免費生という立場で、給仕や雑用をしながら勉強をします。

大学生活の初めの頃のこの立場はニュートンにとって、かなり自尊心を傷つけられる状況だったようです。


そのため、自費で学費を払う学生たちとはあまり親しく付き合うことはなく、孤独な学生生活を送っていました。



この当時、主に大学で教えられていたのは、スコラ哲学という、キリスト教の教義を支えていたアリストテレスの哲学でした。

ニュートンは、それよりも、新しい天文学や数学や、フランスの哲学者デカルトの著作に興味を持ち、熱心に学んでいました。

また、先ほど話題になった錬金術や、旧約聖書、黙示録、神秘学の研究もしていました。


◆ ニュートンの驚異の2年

ニュートンが大学に入学して5年後のことですが、イギリスでペストがはやります。

大学は1665年の夏から2年間閉鎖され、ニュートンは生家のあるウルスソープに戻ります。

そして、この休暇の間に、万有引力と二項定理を発見し、微分積分学の基礎を作りました。

人類の物理学と数学に信じられないほどの発展をもたらしたこの期間は「ニュートンの驚異の2年」と呼ばれています。



ちなみにウルスソープのニュートンの生家には、今でもリンゴの木があるそうですが、リンゴの実が落ちるのを見て彼が万有引力を発見したというのは、本当かどうか分からないということです。

しかし、生家の庭のリンゴの木を見ながら、彼が思索にふけったのは確かだそうです。



ニュートンは、26歳のときに指導教官のアイザック・バロ博士から、数学分野のルーカス教授職という地位を譲り受けます。

この地位には、その後も人類史を代表する科学者が就任しています

「車椅子の天才科学者」として有名な理論物理学者のスティーブン・ホーキング(1942-2018)も1980年から2009年までこの職を務めていました。

ちなみにホーキングの遺灰は、ロンドンのウェストミンスター寺院で、ニュートンとダーウィンのお墓の間に収められているそうです


(写真:ニュートンの肖像画、1689年)


◆ 古代哲学から近代科学へ

ニュートンの業績の中で、最も有名なのは万有引力の発見でしょう

地上の物体に重力が働くことは古くから知られていましたが、アリストテレスの古代哲学では、地上の運動と天空の運動は異なる法則に支配されていると考えられていました。



一方、ニュートンが熱心に研究していた哲学者デカルトは、同じ運動の法則が全宇宙のすべてを支配していると考えていました。


そして、地上に働いている重力と同じ力が、太陽系の惑星にも働いていて、その力が距離の二乗に反比例すると仮定すると、ケプラーが自身の観測の結果から得た、惑星の運動に見られる法則が、正確に説明できるということを発見します。



リンゴの実も、月も惑星も、デカルトの言ったように同じ運動の法則に支配されていたわけです。

デカルトの哲学には、バラ十字会が大きな影響を与えていますので、近代物理学の進歩にも、バラ十字会が一役を果たしていると考えることができます。


参考記事:『バラ十字会の歴史(その9)『哲学者たちとバラ十字』第一部(前半)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125183&c=3304&d=ed84



ニュートンは、これらのことを『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)という本にまとめ、43歳のときに出版します。

この本の題名は、デカルトの『哲学原理』を強く意識して付けられています。

そして、「私が研究するのは、哲学の中でも自然についての哲学であり、それは数学という言葉を使って表わされる」という彼の考え方を表わしています。


(写真:ニュートン自身が所有していた『自然哲学の数学的諸原理』(第二版)、彼自身による修正が書き込まれている。ケンブリッジ・トリニティーカレッジ・レン図書館所蔵)


◆ 最後の魔術師

ニュートンは、日常でも研究活動でも、細かい文章やメモを残す習慣があったそうです。

84歳のときに亡くなりますが、自然科学についての文書よりも、錬金術、旧約聖書、黙示録、神秘学に関する文書の方が、はるかに多く残されていました。



ニュートンには子供がいなかったので、彼の文書を相続したのは甥や姪の方々ですが、彼らはニュートンの名声に傷がつくことを恐れ、自然科学以外の文書を公表することを控えます。

しかし、それらの文書が、さまざまな人の手によって明らかにされ、ニュートンの実像が明らかになっています。



たとえば1936年には経済学で有名なジョン・メイナード・ケインズが、競売にかけられたニュートンの手書きの原稿を大量に落札し、後にこの文書をもとに『人間ニュートン』という論文を書きました。

この論文でケインズは「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師である」と述べています。


◆ ニュートンと錬金術と賢者の石

ニュートンほど聡明な人が、なぜ、錬金術のような疑似科学に夢中になっていたのだろうかという疑問が出されることがあります。

しかし、錬金術とは何かを正しくとらえるならば、ニュートンの行なっていたことの一貫性が見えてきます。



一般に錬金術とは、鉛や錫や銅のような卑金属から純金を作り出そうとして失敗した、初期の化学だと考えられています。

錬金術の研究が、化学の基礎になったという点には間違いはないのですが、錬金術師たちが目的としていたことが、大金持ちになろうとか純金を作ることだけと考えるならば、それは事実からかなり離れています。



中世では科学が、分野ごとに別々になってはいなかったということを考慮する必要があります。

物理学のような自然科学も、文学などの人文科学も、より良く生きる方法を見つけようとする哲学も同じ人が同時に研究しており、物質を研究することも人の体を治療することも、自身の内面を進歩させることも、異なる別々のことだとはあまり意識されていなかったのです。


そのため、錬金術師たちが作ろうとしていた「賢者の石」は卑金属を純金に変えるばかりでなく、延命の作用を持つとされ、またその研究を進めることにより、人は賢者(哲学者)になれるとされていました。


別の言い方をすれば、錬金術とは変化の背後にある原理、つまり、この世の根本にある原理を知ろうとする努力でした。



ちなみにニュートンの遺髪からは、賢者の石の成分のひとつであるとされることのある水銀が検出されているそうです。



参考記事:『賢者の石とは?それは実在したか|錬金術とニコラス・フラメル』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125184&c=3304&d=ed84



(写真:賢者の石だとされることがある辰砂(硫化水銀の鉱物))


◆ 存在の神秘と神殿の研究

私たちは誰もが、生きていて、幸せに感じられることや、そうでないこと、満たされた思いや、満たされない思いを経験します。

そして、限りある時間を意識したとき、自分の魂に導かれるように、いつか、いわゆる「存在の神秘」という問題に突きあたるのではないでしょうか。



それは、この世界には何か隠されたところがある。この世界についての常識的な見方には、どこか分からないけれど、何か根本的に間違っている部分がある。そして、この秘密をほんの少しでも解き明かしたい。そうしなければ、生きていても仕方がないのではないかとさえ感じる思いです。



父を見たことがなく実母の愛を十分に感じる機会も得られなかったニュートンは、大学に入学した当時、孤独な学生時代を送ります。

さらにペストの流行を身近に体験して、人の限りある運命を実感します。


このような状況にある鋭い感受性を持つ若者には当然のことに思えますが、若いニュートンもまた、「存在の神秘」という問題に突きあたったのではないでしょうか。



そして、この神秘を解き明かす鍵だとニュートンが考えたのは、当時の宗教や文化のことを考えれば当然、「神」と「神の性質」のことだったと思われます。


その証拠に、ニュートンは太古の神殿について深く研究しています

神それ自体は研究することができないけれども、太古の神殿には、古代人の英知によって神の性質が現れていると考えたのです。



参考記事:『アイザック・ニュートンと太古の神殿』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125185&c=3304&d=ed84



さらにニュートンにとって自然界は、神が作りだした最も素晴しい作品であり、神の性質が反映されているものでした。


ニュートンが自然科学を研究した動機は、ここにあると思われます

ですから、彼がそれと同時に、錬金術や聖書や古代哲学を研究したのは、ごく自然なことです。物理学者としてのニュートンと、錬金術師としてのニュートンは表裏一体です。


(写真:バラ十字古代エジプト博物館に再現された錬金術師の実験室(その2))


ニュートンは晩年に、次の言葉を残しています。

「私は、浜辺で遊んでいる少年のようなものだ。普段あまり見たことがないほど、すべすべとした小石や、きれいな貝殻を、折々に見つけて心を楽しませているが、その一方で目の前には、真理の大海が発見されることなく広がっている。」



いかがでしたでしょうか。

今回の記事に、少しでもあなたの興味を引くところがあったとしたら、とても嬉しく思います。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



では、今日はこのあたりで。


また、お付き合いください(^^)/~


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■ 編集後記

アジサイが雨に濡れています。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125186&c=3304&d=ed84

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