今日もまだ暑くて30℃を超えました。
明日は31℃予報ですが、その後一気に寒くなってくるようです。
でも、朝は気持ちがいいです。
今朝の空
教会の門扉の修復が少しずつ進んでいます。
昨年に比べて、シュウメイギクが咲くのが遅いです。
今日の朝顔は三輪。
光が射して綺麗でした。
今朝の果物
2回目のお洗濯物を干す為に外にいた時、車のクラクションが鳴りました。
すぐにはわかりませんでしたが、何とあの姉妹のシスターが~
神父様に呼ばれて広島に行く為に出ていらしたようですが、「神父様が帰って来られるまでに15分あったのでお母さんに会いに来ました」
シスターがいらして下さるこの家って素敵って思いました。
母は食卓に座っていましたので、シスター方にもお台所のソファに座って頂きました。
「コーヒーを飲まれる時間位はおありでしょう」
「いえいえ、15分しかないのよ」とおっしゃいましたが、もう無視してコーヒーを淹れ始めました。
朝食を食べられたのかお聞きすると急いでクッキーを食べていらしたとのこと。
「そんなのダメですよ、お野菜とか果物を食べなくては」と又、強引にフルーツをささっと
シスターがいらしたからにはTVのYouTubeも「アベマリア」にしました
シスターが母におっしゃるには「お母さんはダブルですか」
よく言われるのですが、母には日本人以外の血が流れているように見えるようです。
目鼻立ちがはっきりしているせいかも。
そんな話をしていると神父様からお電話が
シスター方は慌てて、「じゃあ、又来ますね、広島に行かないといけないから」と立ちながらコーヒーを飲まれて、母にKiss
お~、シスター、ハイカラ~
保育園や幼稚園の子供達にしていらしたようで慣れていらっしゃるようでした。
今日はリハ付きショートの日ですので、お迎えは10時半。
まだ1時間以上ありましたので、「横になる」と言いましたが、何だかバタバタして結局はそのまま出発。
このパープルに近いピンクのパーカー。
私のですが、気に入ったようですのであげました
何だか最近、華やいでます
今朝のヘアピンもパープルでした。
今朝、気が付いたのですが、ススキの穂が出ていました。
一昨年頂き、昨年は穂は出ませんでした。
今年もお月見も終わり、穂は出ないと思っていましたので嬉しいびっくり
母を見送った時の空
それから1時間後、友人と今日は駅前のイオンへ行きました。
友人が京都に行くために旅行会社に行きたかったのと(ネットで予約しようとしたところゴーツートラベルの関係ですごく高くなっているようです。私は今年も見送りです。まだ県外に出ることは許されません)、私は法務局に行くために、まずはイオンへ。
イオンの中の旅行会社で安く予約できたようです。
それからランチへ。
私は鮭ととろろ昆布のお茶漬けを食べました。
薬味とお出しで美味しかった。
食後のデザートはミニパフェと豆乳のほうじ茶ラテ。
甘ったるくないので美味しく頂きました~
その後、ショッピング。
母の好きそうな紫のパジャマがあったので買いました。
友人が「やっぱりお母さんなんだね」
そして3時半頃、法務局へ。
なんとまあ、土地と家屋の地番。
簡単に終わるものだと思っていましたが、土地が25、家が5。
1つにつき600円。
え~~~
途中で東京の従兄弟に電話をしましたが、従兄弟もどれが必要なのかわからず
でも、友人が「宅地の上に家が建っているのだから、宅地3つでいいんじゃない」
これには東京の従兄弟も「頭いいね~」
そして、一番年下の叔父の名義だとやっと確認が取れました。
(もう亡くなっていて子供がいない)
今後は、私達の時代でとにかく終わらせないともっとややこしくなるということで、次にどうしたらいいか、お互いに聞いてみることになりました。
私は明日、司法書士さんに又電話をしてみます。
東京は20分と決まっているようですが、岡山はそんなことはなさそうです。
土地のこともありますが、先祖供養の問題もまだあります。
従兄弟も「一度帰るから」と言っていました。
あれこれ、あれこれ、私達の代で終わらせないといけないことが多いです。
Amazonで購入したカーテンフック
今日の母は一日調子が良かったようで、お食事もちゃんと食べたようです。
リハもがんばったそうです。
良かった
今日はイオンの中をウロウロしましたので、脚が痛くなって以来の8500歩越え。
脚が痛かったですが、今は大丈夫そう。
明日は整形外科に行く日です。
又、断捨離デー。
★致知一日一言 【今日の言葉】
能力を最大限発揮する「脳の使い方」
「つらい」「苦しい」「無理」
といった否定語を言わない。
「これ以上は無理だ」という
ブレーキをぶち破ってこそ、
自分の秘めたる力が出せるのです
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林成之(脳神経外科医)
月刊『致知』より
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★致知出版社の「ご縁メール」
最新号のトップ対談には、
日本の脳神経外科をリードしてきた
脳神経外科医にご登場いただきました。
常に最後の最後まで患者さんと共に
病気と闘う姿勢を貫いてこられたお二人。
その言葉には、医者としての矜持のみならず、
医者として覚悟が随処に込められています。
佐野公俊医師と上山博康医師。
脳神経外科界のトップを走り続ける
お二人の対談に興味は尽きません。
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★対談の様子はこちら
【佐野】
簡単にできる症例だけやっていればスマートでいられる。
私も手を尽くしたけれど麻痺を出してしまった
患者さんのリハビリを見に行ったり、
亡くなってしまった患者さんの葬儀に参列して、
ご遺族に頭を下げたことがあります。
「力及びませんでした」って。
でも、難しい症例や辛いことから逃げていたら、
絶対に成長はないですし、一所懸命に誠意を尽くせば、
その姿勢は患者さんやご家族にも伝わるんです。
【上山】
私も失敗した時には、すぐ患者さん、ご家族のもとにいって
「私の責任です。すみませんでした」って頭を下げます。
そのためか、厳しい症例ばかりやってきたにも拘らず、
これまでにただ一度も訴訟がないんです。
誤魔化したり、自分が正しいという
姿勢でいるから裁判になるんですよ。
少し前、5つくらいの病院に断られ、
私のところにやってきた患者さんのご家族に、
「難しい症例です。治せる自信はありません。
ただ、やらなきゃ100%死にます。
勝ち目は薄いですが、やらせてください」って伝えたら、
「その言葉を聞きたかったんです」と泣き出しましたよ。
そこを見捨てたら医者やっている意味がないんです。
一点でも助かる可能性があれば手術をやる。絶対に逃げない。
その信念を貫いてきたからこそ、佐野先生も僕も、
〝最後の砦〟と呼ばれるようになったんでしょう。
【佐野】
ちなみに、その手術はうまくいったのですか。
【上山】
うまくいきました。手術が終わり、ご家族のもとにいった
私の第一声が「勝ちました!」です。
もう震えるぐらい嬉しかった。
だから、どんなに難しい状況でも
徹底して患者さんと一緒に戦ってあげる。
沈む船であっても最後まで
逃げないで乗り続けてくれる医者。
それが名医だと思います。
私の母は、娘の私が言うのはなんですが、若い頃オードリー・ヘップバーンに似ていると言われていたらしいです。奥目だったから、ハーフっぽく見えていたようです。
私は昔は父によく似ていると言われていましたが、年を取るに従って、母に似てきました。
娘も年と共に私に似てきています。
でも、ハーフっぽいかしら?
日本人っぽいと自分では思っているのですが
息子は父親にそっくりになってきました。
やはり同性の親に似てくるのでしょうか?
水仙さんのお母様、美人さんですね。
きっと水仙さんも美人でいらっしゃると思います。