母は大丈夫そうです。②

2024年05月19日 22時53分00秒 | 医療、病気

 母が居なくても4時過ぎに目が覚めてしまいました。

いつものように。

今日は雨がもっと降るのかと思っていましたが、ほとんど降りませんでした。

 

 

 今朝の果物

10時から面会が出来ますので、お熱が下がったかだけでも知りたく思い、病院に行きました。

いつものように、外来の受付で病棟に電話をしてもらいOKが出ると2階へ。

そして、検温し名簿を書き、看護師さんに一言伝えてお部屋に行きます。

この時、母の様子や結果についてお聞きしましたが、「今日とは聞いていないから今日の予定はありません」

ドクターは今日と言われましたが、その予定はないと言われました。

様子をお聞きしてもノーコメント。

「医師から伝えます」

それはわかりますが、知りたいのは詳しい検査結果などではなく、熱が下がったのか、今大丈夫なのかそういうことです。

仕方がないのでとにかく母の部屋に行きました。

中のカーテンが開いていて外から母の様子が見えました。

母は又、ベッドの硬い柵の上に頭を置いて、変な顔をしつつ口を触っていました。

急いで中に入り、母に「こんな痛いところに頭を置いてはいけない」と言いましたが、正直どうしてこんな状況で放っておかれるのか理解出来ませんでした。

他に枕も何もないので、おむつにひざ掛けを撒いて頭とベッドの間に入れつつ、母に「お熱は」と聞くと「熱は下がったけどなあ、息が出来なくて苦しい」と言いつつ、キッチンペーパーで舌を触り続けています。

口腔ケアもまだの様子でした。

とにかくこの状況を何とかして頂けないか、頭も気を付けてもらえないかと思っていたら、先程の看護師さんがいらしてドアの外から「面会謝絶」だと言われました。

コロナの検査をもう一回するからと。

そして、癖でいつも柵に頭を置くので頭が痛くなるから云々と話し始めると、そんなことはどうでもいい、コロナの再検査が終わるまで入れないのだから出て下さいと言われました。

そこへ検査の為に別の看護師さんがいらして、母のおむつの件とか入院中のことや持ち物についての確認がありました。

そこでもう1回、頭が痛くなるから何かを挟んでほしい旨、伝えました。

結局、母から聞きましたので熱が下がったことはわかりましたから安心しましたが、熱が下がったことなどは何も言われませんでした。

「医師が電話をしますから、面会はそれまで遠慮して下さい」

いつコロナの再検査の結果がわかるかお聞きしてももう無駄なこと。

母の頭のことをお願いして、とにかくお熱が下がったことはわかったのでひとまず安心と思い、外に出ました。

でも、何か悶々。

今日は昨日とは違って、「落ち着こう、落ち着こう」と思いながらバラの写真を撮りつつ歩きました。

 

 

 

バラ達は本当に綺麗。

 

けやき通り

 

 

写真を撮りながら「そうだ、こういう時こそ訪問看護ステーションにお願いしよう」と思いました。

 

 

 

訪問看護師さんも病棟に看護師さんには遠慮されている風ですが、

 

聞いて下さったりは私よりも確実に出来そうなので、訪問看護師さんを通じてお聞きしようと思いました。

 

 

 

そして、電話をしたら、ちょうど担当の方が出られて、「今、院内にいますよ。昨日はごめんなさいね。大変でしたね。私も気になったのでささっき病棟に行って様子を見てきました。お熱が下がって良かったです。カルテを見ていますが、炎症の数値が高くて・・・」と教えて下さいました。

そうそう、知りたかったのはこれ。

「今、ステーションに居るので来て下さっていいですよ」

 

 

 

そこで、「では、直ぐに行きます」と言うことで行きました。

看護師さんは「今、行って来たのよ。私も気になって。」

「お熱が下がって良かったわ~」

そして、カルテを見ながら数値を教えて下さいました。

私は来ていることは車でわかったそうですが、病棟にもいないからどこにいるのかと思っていらしたようです。

先程の病棟での出来事を全部話しました。

バラで落ち着いていたのに、思いっきり話したものですから血圧があがった気がします

看護師さんは「わかるわ~。私も同じ立場ならそうだから。まず知りたいよね。子供が入院した時子供は自分で話せるから〇〇しなさいよと口で言えるけど、お年がお年だしねぇ」

そして、「これから1件訪問があるけどお昼には帰るから、又、連絡します」と言って下さりやれやれ。

そこへ、以前母が別の総合病院に救急車で搬送され、今後の延命処置などの話があり、母は母で縛られたりミトンをはめられたりして、嫌がって泣いて大変だった時、私の血圧が200まで上がり、ここのクリニックに経過報告に電話をした時に「こっちにおいで。血圧ぐらい測ってあげるから。いつまででも待っているから大丈夫よ」と言って下さった外来と往診の看護師さんがいらっしゃいました。

まだお若いですが、もう無条件のオーラが出ていて、彼女の顔を見ると泣きそうになるのですが、やはり、今日も悲しくもないのに2人の看護師さんに受容してもらえた安心感からか目に水が・・・。

涙ではないのですが、目から水がじわっと~。

いえ、それを人は「涙」と呼ぶのですが、何だか勝手に水が瞳の中にじわっと湧いてきたみたいな・・・

「私もうブラックリストに載っていますよね」と言いました。

「何ですか、それ」と言われるので

「娘がそう言うんです。私なら要注意人物として〇しておくわ」と以前、娘に言われたことがあります。

「娘さん、面白いこと言うね」

うるさい家族だと思われているかもしれませんが、欲しいのはたった一言「お熱、下がりましたからね」

それに99歳までがんばって生きている人を粗末に扱って欲しくないと、自分のことは棚に上げて思うのです。

決して粗末には扱ってはいらっしゃらないこともわかりますし、一人にかかりっきりになれないのもわかりますが、家族はいつも心配しているのです。

 

 その後、予定通り、前のお隣の奥さんとのモーニング会へ行きました。

 

今日は彼女の希望で、シェアしました。

11時前から12時半くらいまでいつものようにおしゃべり。

その後、1時前にお約束通り訪問看護師さんからお電話がありました。

コロナは今日も陰性。

炎症反応の中の細菌性の項目が高いみたいです。

続けて1時過ぎにお約束通り、ドクターからもお電話がありました。

今までの経過と結果を詳しく教えて下さり、「今後のショートとかどうなっている

「夕からお食事も開始になり、お熱も下がったので、退院とか今後のことは明日担当医と相談して決めて下さいね」

夕方、病棟の看護師さんから、母が家から持参したボトルを割ってしまったので廃棄してもいいかということと、又持って来て下さいと電話。

様子を知らせて下さり「ご機嫌いいですよ」

良かった

 

 

 今日はコメダに入る直前にお婿ちゃんから昨日に続いて電話があり、続いてドラッグストアでも電話があり~。

やっと家に帰ってから私からビデオ電話をかけて落ち着いて皆と話しました。

入れ替わり立ち代わり4人と話をしましたので、4時間くらい話したかも。

今の生活や旅の話など本当にいろいろな話をしました。

一番話したのは娘。

最初は母の話をしばらくしました。

確か「プロカルシトニン」の数値が高いと言われたような・・・

その時は覚えていたのですが。

「熱で入院させてくれたの」と驚いていました。

高齢ですし日本ではそうなると思いますが、このような手厚い国はなかなかないようです。

その後は娘の挫折感のような話でした。

やはり英語が出来ても特殊な環境下での英語能力が求められますのでそれは大変だろうと思います。

娘に言いました。

「人生に成功も失敗もないと母は思うよ。あるのは体験だけ。その経験を大切に。誰でもこの経験が出来る訳ではないのだから、大変だと思うけどね。楽しんで」

孫娘は最後にご飯と豚汁と昆布と梅干しを食べているところを見せてくれました

冷蔵庫の中も説明してくれました。

孫息子は恐竜の話オンリー。

この子は日本語がかなり怪しくなっていました。

お婿ちゃんともあれこれ話しましたが、おかしかったのは孫娘がパパに抱っこをせがんで抱っこした時"jealousy"

娘にキスしつつ"jealousy"

はいはい、jealousyよ

面白い子です。

癒し系

話し続ければまだまだ続いたことと思いますが(特に娘と)、4時から私はZoomでカウンセリングのお約束をしていたので切りました。

その後、2時間会話。

今日は一日中しゃべってばかりとなりました。

一日中誰とも話さない日もあると思いますので、こんな日もありです。

とにかく、母のお熱が下がってくれたからこそおしゃべりも楽しく出来ました。

 

 

 

 

朝花開き始めを取れば良かったのですが、時間がなく夕方撮りました。

「サムライ」です。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと358日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.5.19

 

盲目の人間国宝が教える幸せに生きるコツ

 

私はいい人と歩けば祭りだし、
悪い人と一緒だと修行だと
思っていつも歩いてきました。

━━━━━━━━━━━━━━
小林ハル(越後瞽女・人間国宝)
○月刊『致知』2000年4月号
特集「苦難は幸福の門」より
━━━━━━━━━━━━━━

三味線を弾きながら民謡を唄う
盲目の女芸人・瞽女(ごぜ)。

その瞽女として
人間国宝にも選ばれた
小林ハルさんは、
生後100日の時に
両目の視力を失い、
その後幼いうちに
両親を亡くすなど、
様々な困難を経験されたと
いいます。

100歳を迎えた
小林さんが語る
人生を幸せに生きるコツとは――。


* * *


瞽女は目が見えないので、
必ず「手引き」という目の見える人と
組んで旅に出かけます。

いつも気の合う人と
歩ければいいのですが、
そういったことは滅多になく、
あの人と歩いたり、
この人と歩いたりと、
いろいろな人と
組まなければなりません。

だから、瞽女の組み合わせは
一つの修行といってもよいかもしれません。

私はいい人と歩けば祭りだし、
悪い人と一緒だと修行だと
思っていつも歩いてきました。

七十三歳の時、
私は老人ホームに入りました。
このホームに入っている人たちは
ほとんどが目の見える人たちで、
同室になった四人のうち
一人だけ意地悪な人がいました。

その人は私よりも
二つか三つ年下で、
連れ合いを亡くし、
子どもたちがみんな独立して
自分一人になったので
ホームに入ったようです。

入った時からその人は、
私にいろいろな意地悪なことを言いました。

「目が見えなくたって、
ごはんが食べたいんだか」

とか、

誕生会で唄を唄うと

「瞽女だと思っていい気になっている。
目の見えないざまして
いっちょうまえ(一人前)の
気になっている」

と事あるごとに
意地悪なことを言うのです。

家のやっかいになるまいと思って
ここに来ましたが、
ここもまた切ないところだなと思いました。

しかし、年を取って
どこも行くあてがなくて
ここに来たのですから、
諦めるより仕方がありませんでした。

どこへ行っても、
いくつになっても
いろいろな苦労があるものです。
しかし、神仏はすべてお見通しです。

人に言いたいこと、
したいことを
何も考えないでしていると、
必ず天罰があたる。

私は決して無理なことを言ったり、
したりしないですべて
神仏にお任せしてきました。

言いたいことは
いっぱいありましたが、
それを口から外に出してしまえば
必ずバチがあたります。

ホームでこうやって
世話をしてもらうだけでもありがたい。
いくらなんでもこの年になって
外や雨のあたるようなところには
いられないのですから、
ここへ来たらそれが務めだと思って、
そういう人に対してはなおさら
気がねして努めてきました。

考えてみれば、
ホームの組み合わせは
瞽女と同じようなものです。
ホームも組み合わせで
良い人と組めば祭りだし、
悪い人と組めば修行です。

それでも瞽女は短くて一か月、
長旅でも半年もすれば
組み合わせが変わります。

ホームは一度組むと
二年も三年も一緒ですから
辛いところもありますが、
幸い私は三年目から
いい人と同じ部屋になり、
もう姉妹のように
お付き合いさせていただきました。

私は目が見えないので、
どんな目に遭っても、
どんなことがあっても
人には背くまいと
思って生きてきました。

そうやって努めてきたからこそ、
いまはこんなに幸せで
気ままに生きさせて
もらっているのだと思っています。

若い時の苦は楽の種という
言葉がありますが、
百歳になったいま、
そのことをしみじみと
実感しています。

コメント (6)
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