ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

中越地震から2年

2006年10月23日 | その他

 新潟県中越地震から2年が経ちました。

  2年前の10月23日は土曜日で、夕飯の支度をしようとしていたら、埼玉でも、今まで経験したことがないような揺れが何度もあり、結局火を使うのを止めて、その日の夕食はおむすびになりました。

  実家は、新潟県十日町市。震源地です。

 ニュースで地震の状況が伝わるにつれて、十日町の被害もかなりひどいということがわかってきました。実家に電話をしても、全く繋がりません。不安でイライラしている間にも、私の実家が十日町だと知っている友人・知人から、何度も電話、メールなどが届きました。
 今になると、心配してくださった方の親切をありがたく思えるのですが、あの時は、とにかく母か兄から、何か連絡がないか、と不安でたまらない気持ちで、連絡待ちをしていたので、しょっちゅうかかってくる携帯の着信音さえも、神経に障りました。

 母と一緒だと思っていた兄の携帯電話から、「知人の結婚式で、新潟市に来ていたら、道路が通行止めになって、今晩は十日町に帰れない」という連絡がありました。とりあえず、兄の無事だけはわかったのですが、震源地に母だけ残されているというので、いっそう不安になりました。
 東京に住んでいる兄とも連絡を取り合いましたが、状況がはっきりしないのは、同じです。

  母と連絡がついたのは、丸1日たった翌日でした。

  家は潰れていないけど、電気も水道も止まっているし、また、いつ次の地震がくるかわからないから、家を出て、隣の家の車内で寝かせてもらったようです。10月後半の十日町といえば、夜はかなり冷えます。

 地震で新幹線も止まったので、実家に帰ったのは、ひと月ほど経ってからでした。実家は、あちこちにひびが入ったり、曲がったりはしていましたが、何とか住める状態でした。でも、全壊した家もあるし、そうでなくても、住むには危険で、家尾を捨てなくてはならなかった人たちも大勢いました。十日町だけでなく、隣町の小千谷市や、旧山越村の方が被害が大きく、今でも250世帯が仮設住宅に暮らしているそうです。

 雪国の仮設住宅。

 地震の起きた年と、次の年は、最近なかった大雪でした。他の家の苦労もさることながら、仮設住宅の平らな屋根には、毎日信じられない量の雪が積もったでしょう。薄い壁や床の底冷えもかなりのものだったと思います。地震以降、石油ストーブや、豆炭こたつは、火事が恐くて使えないとも言っていました。

  今年、十日町市では3年に1回の「大地の芸術祭」が開催されました。地震の後、ますます寂しくなっていた町が、久しぶりに活気づき、たまにしか帰らない私も嬉しかったのですが、地震の被害はあちこちに残っていました。商店街や住宅地の作品の多くは、地震で潰れた家の跡地や、人が住まなくなった家を利用しています。

 映画館やボウリング場の入った娯楽会館。小さな町だったので、映画はほとんどここでしか見られませんでした。楽しい思い出しかない場所だったけど、地震のあと、壊れたままで建っていました。
 あの日、結婚式の2次会で来ていた人の1人が、地震が起きたので、外に出ようとして、亡くなりました。


娯楽会館

今年の冬は、雪がたくさん降りませんように。


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