きょうは父の日。舅は結婚する十年以上前に亡くなっていますし、私の父も15年前に亡くなったので、父の日のプレゼントはなし。
父が15年前に亡くなって、菩提寺から、俗名を聞かれた時、我々家族一同は顔を見合わせ、即答できませんでした。
というのも、父の名前が「ノリマサ」なのか、「ノブマサ」なのか、はっきりしなかったから。たしかに、以前は、「ノリマサ」と名乗っていたのですが、晩年は、「ノブマサ」と言っていたような…。
日本の戸籍には、名前の読み方は明記してありません。漢字の名前の場合、点がついているとか、いないとか、けっこう細かく区別しているようで、届け出た通りの漢字の名前に決定してしまうようですが、読み方については、そもそも届け出る必要もないようです。原則として、同じ戸籍の親子・兄弟姉妹は、全く同じ文字の名前をつけられないようですが、たとえば、親子や兄弟で、「務」「努」「勉」「勤」というように、すべて「つとむ」と読みそうな名前にすることはできるらしい。
住民票の扱いは市町村によって別々で、読み方のフリガナをつけるところも、つけないところもあるようです。同じ市町村でも、時期によっては、つけたりつけなかったり。しかも、一昔前は、本人が届け出なくても、役所で勝手に判断してフリガナをふっていたところもあるらしく、「パスポートを申請するとき、住民票の表記を訂正してもらった」なんていう人もいるようです。
パスポートも、戸籍抄本と住民票、本人であることを確認できる証明書があれば、申請できるので、「本人であることを確認できる証明書」にフリガナがなければ、好きな読み方で申請できるはず。運転免許証は、かつては、自動的に名前の漢字を勝手に音読みでふっていた時代もありますから、これもあてにはありません。パスポートの期限が切れるのを待って、新たに申請すれば、同じ漢字でも、別の読み方の旅券ができるようです。
川端康成を、「カワバタヤスナリ」だけでなく、「カワバタコウセイ」と呼ぶ人もいますが、日本では、固有名詞というのは、漢字を異字体で書くことは失礼でも、読み方の音はそううるさく言わなかったのかも。
「かなぐすく」さん、「きんじょう」さん、「かねしろ」さん、「かなしろ」さんと、いろいろな読み方をするけど、みんな「金城」さんで、同じ親戚だと聞いたときには驚きましたが、戸籍的には不思議でもなんでもないらしい。
先日、実家を整理していて、母方の祖父から父に宛てた祝電をみつけました。昭和50年のその電報には、「****ノリマササマ」という文字が打ってありましたが、昭和61年の十日町市の住民票には「****ノブマサ」。現在の十日町市の住民票には名前の読み方は振っていないようです。
最近の親は、我が子の命名にものすごくエネルギーを費やす。どうしても「悪魔」と名付けたい・・とか。
知人の子は、静心(つぐみ)・隼吾(しゅんご)・翠心(みこ)の3姉兄妹。
別の知人の子は、大和・武蔵・飛鳥と言う3兄弟。
名前の読み方を間違えては、赤面。
昭和生まれだから、昭子・和子なんてテキトウに付けた時代もあったね。
うちの(実家の)名前をつける基準は「読み間違いされないこと」なので、私らはひらがなと漢字の混じった名前になりました。うちの娘らも同じですが、娘1のとこの子の名前はもしかしたら読めないかも。
男性の名前は、読み方がわからない場合、音で読んでおけばとりあえず失礼にはあたらない、と聞いたことがありますが、真偽のほどはわかりません。
最近、音読みの名前が多いのは、最初から音でつけておけば間違われないということかと勝手に思ってます。
出生名が何だったのか確認のしようがないのは、国の制度の落ち度だと思いますが、そもそも「正式」とか「正確」な名前という意識が制度的にあるのかないのか…?
他と区別するという意味では、名前も記号なので、何でもいいとは思うのですが、幼名は親がつけて、成人してからは自分で名前を付け直すチャンスがあるのもいいかも。私は自分の名前は好きですが。
名前の音だけじゃなく、文字面、画数までこだわると、命名も大変でしょうね~。それがまた日本人の楽しさなのか。