ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

熊田千佳慕の横浜ハイカラ青年期・貧乏期

2008年07月23日 | 
 というわけで、『横浜ハイカラ青年記』『横浜ハイカラ貧乏記』を購入しました。『横浜ハイカラ少年記』と合わせて3部作です。

 『青年期』は、熊田千佳慕ちゃんの中学生時代(大正後期)から、東京美術学校(芸大)に進学、日本工房に就職、徴兵、日本写真工藝社に入社し、会計係だったすぎ子夫人と結婚、終戦までの20数年間。『貧乏記』は、終戦後から現在まで。

 「軟派をした」とか、「つかみは大成功」、など、千佳慕ちゃんらしい、お茶目な表現で、軽快に書かれているけれど、もちろんそんな生やさしい生活ではありません。

 2004年にテレビ番組で、千佳慕ちゃんの家を見ましたが、なんと、その借家には、昭和21年に住み始めたのだとか。農家の物置を改造したもので、6畳+3畳の二間だったところを、お子さんが大きくなってから、大家さんに交渉して、もう一間、6畳の部屋を建て増ししたものだとか。もちろん風呂なしです。昭和21年当初から、畳はずぶずぶしていたそうですが、2006年まで住んでいたそうです。そこで傑作が次々と生まれたんですねぇ…。しかし、その傑作も、制作に時間がかかりすぎて、時間給に換算すると、とんでもない低賃金になってしまうので、いろいろな賞をもらった今でも、相変わらず貧乏だとか(千佳慕ちゃんは、貧乏は一過性じゃいので、「ビンボーズ」と、複数形で使っています)。

 さらさらっと書いてあるけれど、相当すごい人生です。

 
 旧制中学の図案科や、東京美術学校にいた頃から、頭角を出していた、千佳慕ちゃんのセンスは、日本工房や日本写真工藝社でも存分に発揮されます。口絵の作品を見ると、つくづく、アーティストというのは、一般人とは違うんだなぁと、思い知らされます。

 日本写真工藝社で、軍の要請で、ビルマ文字の活字を作ったエピソードも、フォント好きの私には興味深かったです。

 徴兵されて、点呼を取るとき、「イチッ!ニッ!サンッ!」と、威勢のいいかけ声が続く中、おっとり育ちの千佳慕ちゃんが、「ジュウ!」というところを、思わず「とお」と言ってしまったという箇所にも、思わず笑ってしまいました。


 時代の流れにも、社会の人間関係にも、貧乏にも負けず、ただ好きな絵を描いてきたという千佳慕ちゃん。そんなに好きなものがあって、それを100歳近くまで続けていける人って、そうそういませんよ。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
3部作読みました! (みゆ)
2008-08-15 22:07:01
熊田千佳慕のおやゆびひめで育ったみゆです。
はじめまして。
昨年、父親を亡くしました。おやゆびひめを与えてくれたのも父親でした。JAPANの雑誌の表紙も幼い頃見たような気がしています。ダンディで絵や写真が好きだった父親とゴローちゃんがかぶって見えたりしています。1日でも長生きして、そして虫になってほしいと思います。
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私も好きです (とーこ)
2008-08-15 23:12:41
みゆさんはじめまして。

私も「おやゆびひめ」好きでした。子供の頃に持っていた「おやゆびひめ」は、表紙が現在刊行されているものとは違い、おやゆびひめのアップでした。母がその絵本を従姉妹にあげてしまったので、買いなおしましたが、昔の表紙の絵本はもうありませんでした。

日本工房で出していた雑誌は、NIPPONだと思いますが、私は展覧会で見ただけです。
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