ふるさとの新潟県妻有地方の十日町には、「たつけなし」ということばがあります。「意気地なし」というか「甲斐性なし」という意味で使っていたような気がします。「杉と男はまっすぐ育たない」と言われる雪国で、主に男性をののしる時に使っていたので(^^)、てっきり「立つ気なし」だと思っていました。
きのう実家の母から届いた『ゆずり葉』という地域のミニコミ誌を読んでいたら、「万葉集に探す妻有方言」というコーナーにこの「たつけなし」が出ていました。
大船の上にしをれば天雲のたどきを知らず歌ひこそわが背 (3898)
恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは吾が身なりけり (4087)
コーナーの執筆者、南魚沼市の中山康夫さんによると、「たどき」(方便・跡状、=たよりどころ、「たづきなし」は、頼るものがない」から、次第に意味が広がり、更にその人自身の性格が「頼りにならない」となり、方言では「意気地がない」となった、とのこと。同時に「めごい」(「めじょげ」で、「可愛い」と「かわいそう」の意味)の解説も掲載されていました。
大学の「国語学」の講義で、『「しょったれ」という方言を使う地方から来ている学生はいるか?あれは「塩垂れ」という言葉から来ている」と言われ、びっくりしたことがありましたが、妻有(つまり)は、(雪が深くて、先に進めない)「どんづまり」から来ている地名という説もあり、古い日本語がそのまま残っている地方でもあるようです。
うーん、そうかぁ。「たつけなし」はたどき、行き先しらずでふわふわしている根無し草の頼りなさなのか。さもありなん…と、思い浮かべる兄達の顔…なんちゃって。
ところでこの地域のミニコミ誌『ゆずり葉』ですが、創刊300号になる今年の6月で閉刊するそうです。実家で暮らす母には、毎週電話をし、手紙も定期的に書くようにはしていますが、忙しくて少し時間があいたりすると、リマインダーのように、母からこの『ゆずり葉』が送られてきていました。パソコンで編集するのがあたりまえの世の中で、手書きの6-8枚の冊子。毎年8月の戦争記念号は16枚、24枚で、さすがに手書きだけでは間に合わないのか、ワープロ入力のページもありましたが、ぬくもりを感じるミニコミ誌でした。戦争を体験した我々の親世代がだんだん少なくなっているということでもあります。私に対する母のコミュニケーション・ツールであった『ゆずり葉』がなくなると、手紙の催促もしにくくなるだろうから、こちらから定期的に出さないとなぁ。母も片目が失明して、読み書きも昔のようにはできないけれど、電話と違って、あとから何度も読み返すことのできる手紙はやはり嬉しいようです。
復活おめでとうございます。
ふーん。そういう語源があったのですか・・・
しかし、なつかしい響きですね。よく言われたもんです。それじゃ はちゃね
京都で昔使っていた流行言葉が西へ東へ流れていって、金沢と富山で使っている「ダラ」というバカを意味する言葉が山陰の松江でも使われているそうです。
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調べると、九州あたりでも同じ言葉を使っているところがあるかもしれないですね。
レスが遅くなってすみません。
「はちゃね」って他で聞かないね~。
週末から外出していたので、すっかり返信が遅くなってしまい、失礼しました。
「ダラ」は、ゲゲゲの女房でよく出てきましたね。
15年間十日町市に住んでいましたが、その頃は、「はちゃ」は、「では」という意味、転じて「ではまた」…「はちゃね」=「またね」という意味で使っていました。
では→じゃあ→ちゃ と転訛したのでしょうか?私も由来は存じません。