ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

UMRAO JAAN

2007年10月21日 | 映画

 京橋にあるナショナル・フィルム・センターで開催中の「インド映画の輝き」という映画祭で、「UMRAO JAAN(邦題:踊り子)」を見てきました。

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 アミーランは、ファイザーバードに、父母と幼い弟の4人で暮らしていた。アミーランはまだ10代の少女だが、最近、婚約式を済ませたばかり。父はバフー・ベーガム廟の管理人で、そう豊かな暮らしではないが、幸せな生活を送っていた。

 ところが、アミーランの父が、裁判でした証言のために、15年間の服役が決まったならずものが、逆恨みして、アミーランを誘拐する。ならず者達は、アミーランを殺さずに、ラクナウの置屋に売り飛ばす。アミーランはその置屋で、「ウムラーオ」という新しい名前を与えられ、歌や踊りの芸を徹底的にたたきこまれる。

 歌や踊りがうまいだけではなく、ウムラーオ(レーカー)には詩才があった。ウムラーオの養育係の愛人である、ガザルの教師について、詩作の腕も上げていく。

 美しいだけでなく、踊りの名手であり、詩つくりにも秀でているウムラーオは、売れっ子の芸妓となる。その名声に惹かれ、詩のすきなナワーブ・スルターンも、日頃はあまり足を踏み入れない娼館にやってきた。ウムラーオの美貌、踊り、歌と、詩を解する教養に魅せられたナワーブ・スルタンは、彼女の虜になる。ウムラーオもまた、詩を語りあえるナワーブ・スルタンに恋をした。

 しかし、芸妓は芸妓。しょせんナワーブ(地方荘園の領主)と結婚できる身分ではない。置屋の女将ハーナム・サーヒブの娘、ビスミッラーの恋人も、ナワーブだが、結婚話を進めたがる家族に頼まれたハーナムが、二人の間を裂いてしまう。ウムラーオも、妻にはなれないとわかっていたが、結婚式の招待状を持って訪れたナワーブ・スルタンに失望して、他の客、ファイズ・アリーと、置屋を飛び出す。しかし、ファイズ・アリーは、実は盗賊で、逃避行の途中で、追っ手に撃たれて死んでしまう。ウムラーオは、ラクナウの置屋には戻らず、ファイズ・アリーが行こうとしていたカーンプルで、踊り子として暮らし始める。

 そこへ、置屋の居候のミルザー(ナスィールッディーン・シャー)が、ハーナムが危篤だと言って、ウムラーオを連れ戻しに来る。ハーナムは、娘のビスミッラーも、誘拐され、すっかり弱ってしまったと。ウムラーオはすぐにラクナウに帰るが、ハーナムはピンピンしていた。しかも、自分が知らないうちに、ミルザーと結婚したことになっていて、1人ではラクナウから出られくなっていた。

 まもなく、セポイの乱の影響で、ラクナウの町も壊滅状態になる。ラクナウから脱出したウムラーオは、いつしか、生まれ故郷のファイザーバードにたどり着いていた…

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 1800年代中頃のラクナウが舞台。ラクナウは、サタジット・レイの「チェスをする人」でも舞台になった町です。映画の制作は1981年。UMRAO JAANは、最近、アイシュワリヤー・ラーイ主演で、 リメイクされましたが、この映画を見ていると、アイシュのウムラーオが想像できないほど、レーカーが役にはまっています。なんたって、踊りがうまいし、きれいなんだけど、凄みのある顔で、これでもか、というくらい不幸が続くのに、本人の輝きはあせない…。アイシュの方が、美人だし、スタイルもいいけど、この「不幸の中でも輝く」強さというのは、レーカー以外にはなかなか出せないんじゃないでしょうか。前に見た映画でも、そう思いましたが、強い女であるがゆえに、頼れる男がいない、というわびしさが漂います。簡単に、泣ける女は楽よねぇ~。

 一方、「全然頼りにならない男」ミルザーを演じている、ナスィールッディン・シャーは、大人の包容力と、したたかで、しなやかな強さが魅力的でした。

 インド映画は長いし(この映画は145分)、会場は京橋で、うちから遠いし、休日に出かけるのは億劫でしたが、思い切って行ってよかったです。映画もおもしろかったし、こんな映画をたくさん所蔵しているフィルム・センターの存在を知っただけでも、収穫がありました。

 「インド映画の輝き」は、11月16日まで開催中。


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