せつなく朽ちた鉄扉

雑草地帯・日記部門。硬軟色々取り混ぜて、よろず話題の書き捨て場。
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遠距離肉体労働

2011-06-14 23:15:24 | 旅行
まー暫くBlog休んで何してたかと言っても何とも書きようが無いくらい色々あったんですが、取りあえず簡単に説明できそうなものだと、東北にボランティアしに行ったりしてました。
ってことで、せっかくなので暫くは災害ボランティア関係の話でも書いてみます。


●2011.04.10 宮城県岩沼市

岩沼市に泥かきに行った件は以前ちょっと書いて消しましたけど(笑)、大体あの記事以外に書くことも無いので割愛。(記事はそのうち復活させときます)
今思うと、そんなに大きなセンターでもなかったのに、資材もあって送迎もあってと、当時としては凄く立派な運営をしていたんじゃないでしょうか。

まーそれでも当時は「こんなてきとーで大丈夫かなー」とか心配でしたけど。
他所を知ると何処もそんなもんなんで、あああれで良かったのか、と今になって分かる感じです。(笑)



そもそもこういう看板のボランティアセンターを未だ他に見ない。
岩沼はなんか独特だった。



あ、この日の被災地の写真は無いです。
被災された方が実際に住んでいる家の敷地だったので、撮影は控えました。


●2011.04.24 宮城県石巻市

石原軍団が帰った後くらいを見計らって石巻入りしてみました。
まぁ色々あったんですが、それはまた別に書くとして、昼休みに撮った現地の写真でも。



住宅団地の中だけど、周りじゅう瓦礫と土嚢の山。そして凄い臭い。
家は残った地区だけど、家だけでも残って良かったね、では全く済んでない。




こういう場所は、大抵、元空き地か公園。今じゃ集積所。


石巻はとにかく臭いが強烈でした。化学肥料と、パルプと、ヘドロが混じって発酵した臭い。
これから暑くなる時期、どうなるのか心配です。


●2011.05.14 福島県新地町

本当は相馬市に行ったんだけど仕事が無くて、代わりに新地町のボランティアセンターを紹介されたので行ったという、あんまり主体的でない参加理由でした。
でもここも大変そうだった。実際に津波が来た被災地の中にボランティアセンターを設置していて、一歩先からは瓦礫と荒野しか無いという、まさに震災と戦う最前線基地でした。




やったことはセンターの近くのドブさらいだけどねー。上が作業前、下が作業後。
ここが終わった後は被災者宅の片付けにも行ったけど、個人宅なので写真は無いです。




●2011.05.15 福島県相馬市

2日連続での作業。今度は念願かなって(?)相馬市で作業をゲット。
かなり大手の園芸農家さんの、壊れたビニールハウスの撤去でした。

と言ったって、津波でも流されなかった(そして泥に埋まってしまった)ビニールハウス、簡単に壊せるもんじゃありません。
恐らく誰一人経験したことの無かったであろう大型ビニールハウルの解体ですけど、素人が15人程わらわらと群がって、気がついたら外枠残して綺麗さっぱり解体されてました。

やれば出来るもんだなぁ。




依頼主宅の周辺の、恐らくは3月まで田んぼだった場所。
泥に埋まり、塩に侵され、灌漑設備も壊れ、もはや日本とは思えない風景。
まだまだやることはありそうだが……ボランティアの手には余るな。




●2011.06.12 福島県南相馬市鹿島区

前から行きたかったけど全然情報が得られなかった南相馬市にようやく参加。
新地や相馬では「まだボランティアセンターは立ち上がってないとか……」「県外の人はまだ受け入れてないとか……」等いろんな噂を聞かされたんですけど、ちゃーんとやってましたよ。

ちなみに南相馬市は市内にボランティアセンターが2つあるんですが、今回は鹿島区の方に参加。
真野小学校という学校の片付け、と聞いていたんだけど、結局やったことはお馴染みの泥かき。疲れた。



すいません、その船、駐車違反です。


誰かが救い出して座らせてくれたらしい。お前も大変だったなぁ。


場所柄、やはり気になるのは放射能。休憩中はそんな話が出ますねやっぱり。
とはいえ、みんなそんなこと承知で来ているので、逆に士気は他の地域より高かったです。

自己責任、という言葉が他よりずっと意味を持つ、ボランティア活動でした。



以上、今までの活動をさらっと紹介。
各ボランティアセンターのもうちょっと詳しい話なんかは、個別にそのうち書きますんで。