せつなく朽ちた鉄扉

雑草地帯・日記部門。硬軟色々取り混ぜて、よろず話題の書き捨て場。
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今度は真面目にやってみた。

2006-04-10 00:31:12 | 雑談雑感
 ■一文を短くって言うけどさ1(ブログ文章術)

 お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。


前も書いたけど、今度はTB打つんで真面目にやってみた。(笑)
確かに要約しちゃうと1文で終わる内容なんだけど(笑)、一応元の雰囲気が残るように書いてみる。

 お皿ひとつひとつに、お台所に残っているものを一切合切、それぞれ1品ずつ盛ってみる。ハムや卵、パセリ、キャベツ、ほうれんそう等など、色とりどりに美しく並べるのだ。 1つ1つはちっともおいしくはないのだけれど、食卓はずいぶん賑やかに、華麗になってくれる。手間もお金もかけていないのに、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。


 自分が書くならこうなるだろうなぁ。4文字増えてしまったが。
 こういう文しか書けないから、自分はSSしか書けないだという気もしないではない。


 しかし文学として文章を考える場合、読みやすいだけが文章なのか、という疑問を感じる。

 この元文にしたって、確かに読みにくいかも知れないが、いかにもその場で感じた生の感情をつづっているような生々しさがある。大抵、感情とか感想なんて、そう順序良く浮かんでくるものじゃない。そういう、感情の無秩序っぷりがそのまま文章になっている感じがするから、読みにくくても単純に駄文だと断ずる気にはなれない。

 それに、心理的な作戦というのもある。元の文章を読むと、「いつ文章が終わるんだ?」とイライラ、ハラハラしてくるのが面白い。そういう、わざと読み手の感情を振る文章というのは、効果的に使えば面白いと思う。


 今の時代、読みにくい文章はそれだけでスタートラインに立てない事は確か。
 確かに「読んでもらう」立場なら、読みやすさは最低限守るべきマナーだと思う。

 でも、何だって解は1つじゃない。数学だってn次方程式ならn個の解がある。文章ならなおさらだろう。そう思うから、今でも駄文を垂れ流しているし、自分なりに考え続ける事が出来るんだと思う。