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天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

人に生かされる

2019-11-25 10:28:15 | 神と人


2019・7・8、人に生かされる
[人のなかりせば]

この言葉は、考えも及ばないことばです。『もし、無人島に漂着したとしたら、まず何をしますか?』という、質問はよくありますね。

この世の中で、『自分ひとり』『人がいない』なんて、考えたこともないでしょう。でも実際には、家族、仕事先、学生、趣味の仲間、ボランティア仲間たち、地域のひと、数えあげれば、キリがないくらい人びとに囲まれています。そして、毎日生きて生かされているのです。

しかし、心の内を覗くと、夫婦がうまくいかない。友人と対立した。恋人と別れた。親子が意見の対立。職場の上下関係がひしめいている現実があります。

『私はひとり』『誰も私の気持ちはわかってくれない』と、『孤独を深め』『笑顔を失い』『すべてがうまく回らなくなる人』が、あまりにも多い世間です。その人から見れば、『人が見えていない』のです。

その生き方は、自由気ままで、好き勝手な生き方の結果かも。しかし、人間として生まれた以上、『人と共に生き、人を思い、人に思われ、愛の生活』にいそしまなければ、生きられないようになっています。だからこそ、『人と人の間に神を置き、我ひとりにあらず』『神の結びにより、ここに善隣の道により、人となる必然性』が生まれてきます。!

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4/11 神の愛

2019-04-28 13:55:49 | 神と人


31・4・11
[10本の指を、愛するが如く、汝と人とを愛すべし]

『隣の人と愛ある生活』『生き甲斐ある人生』
いつも寄り添う夫や妻、家族から、海を挟んだ隣国まで、すべての人間を包み込む神の愛
御神尊様は、運命の道理として、救済の道を確立されています。

[汝ら常に我を愛するが如く、すべての人を愛せよ]とあります。
人は、自分のことになると、極端な可愛いがり方をします。そのように、我が身を愛さずには、おれない愛を、人様に注ぐのが本当の愛です。

それを御神尊様は、10本の指をいとおしむ姿で、教えられています。
あるのが当たり前、この指は必要、小指は役に立たないから、要らないなどと、考えたことはないでしょう。それを、[10本の指に対して、無差別平等の愛情を持つ]と言われています。
私たちは、自覚なしに、無差別の愛を体験しているのです。

[我が家族は、10本の指なり]と慈しみ、周りの人にも、10本の指の愛念を広げていきたいものです。
それも、今日より(こんにちより)という、強い意識をもつことです
私たちは、得てして、明日の約束はしても、実行を後回しにしがちです。これでは、幸運の扉は開けません。

10本の喩え(たとえ)は、親指、人差し指、中指、薬指、小指、が互いの個性を生かしあって、働いている姿です。1本でも傷つけば、残りの指が、不自由になります。傷が癒えれば、すべての指が、元気になり、存分に行動ができるようになります。

私たちも、それぞれの個性を認め合い、一人として欠けることのないよう慈しむのが、『愛の道』です。
どうぞ、縁ある方々と共に手を取り合い、人生の苦楽を歩もうでは、ありませんか!
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4/1 赦し

2019-04-06 15:15:53 | 神と人


31・4・1、人格と運命
[神のごとく、広くあれ]

自分の狭さは、折にふれ、時にふれては実感するところです。
では、本当に失礼ですが、神さまのふところの広さ、深さとは、どんなところに、見ることができるのでしょうか?

まず人間は
❶人間は、わずかなことで、感情に走る
❷わずかなことに、とらわれる
❸わずかなことで懊悩する

広い心になるように、教えられますが、さて広いとは、どのようなことをいうのでしょうか?

まず、前提として、神は光明です。
そもそも神さまは、『天地を動かすこと』で、『忙しくて、何かに囚われている時間がない』のです。
『神は、うしろを見ず、足踏みをやめ、前に進む』そして、ひたすら『公道を歩み続ける』のです。
なにもかも受け入れ、すべてを洗濯して、『新生命に再生』しながら、『私たちの、良いも、悪いも、引き連れて』『昨日から、今日、明日へと、すすんでいる』のです。
『清濁併せのみ』ながら、『平気で新陳代謝』ができるのです。

私たちも、神に真似して『とんがらず』『許しを覚え』『赦しの中』に、
そして、神が広くあるように、私たちも、『人のために広く努めたい』ものです。
『共に手を取り』幸せの高みにのぼりましょう。
※許し、(外面から)赦し、(内面から)の意味。
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3/27 運命の道理

2019-03-31 10:04:16 | 神と人


31・3・27、神と経典
[神は、経文、聖書の中にあり]

御聖経に、<人生は苦悩なり>とあるように、誰でもが、不安や、悩み、苦しみにおそわれ耐えられなくなることも、たびたびです。そして、その苦しみの中から、道を求め、救いを求め、それに応じて、神は手を差し伸べてくださることになります。

神は日夜に渡り、新しい命を供給されています。
忙しく立ち回る日常生活では、実感、体感するのは困難です。
そこで、御神尊様は、神の存在を実感できるようにと、御璽経
[天地一切一心正念経]と御聖経『善隣の園』を授けてくださったのです。

私は御聖経をお唱えするたびに、『人生は苦悩なり、』そして『されど一度び道を知らば、憂苦は晴れ、光明となる』(66節)を、この聖句にさしかかると、『20年の御行』という、字間の字が浮かんでくるのです。

世の人々が、苦悩から解放されには、『運命の道理を解明』『この道を創元』された苦行に思いをはせるからでしょう。
かつて、御神尊様は、『私が亡き後、教えが神になる、』といわれたことがあります。まさにその通り、その見えざる字間の字(85節)は、慈悲、慈愛のしずく、あなたの祈りが徹底されていけば、『御聖経が道をひらく』ことになりましょう。 合唱
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3/17 自分の評価は?

2019-03-21 08:49:27 | 神と人


31・3・17、神と運命[常に、神を見ながら、我を見よ]

昨日の言葉を、より信仰面から、具体的にいうと『己を省みず、神を拝まず』
おかげのみ頂くのは、なかなかないことですね。

いのちの親様、神を見つめということは、教えを手本に生き方を考え、時により軌道修正、生き甲斐ある人生にシフトする努力にあります。

ところが、なかなか自分を見つめる習慣は身につかないものですね。
これが、身につくと楽しいものです。

買い物をした友人が〈とても待たされた〉と言います。
〈予約をしていたのに、あの店員はさばけない〉と評価をしていました。
自分が日頃仕事ができなくても、自分の立場がお客様だと、店員さんの仕事振りを、批判するのです。
自分の評価は忘れて、「あの店員は仕事がさばけない」には、考えさせられました。
自分を見つめ、自分の足らない部分を補う努力さえ、怠らなければ、幸せはあきらかですね。

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3/11 神の化身

2019-03-11 18:45:03 | 神と人


31・3・11、愛と神 [神は愛そのものにして]

『神は愛そのもの』です。

『神は、けして、憎み、とがめをされません』
だから、『あなたが神を忘れ、信仰を忘れ、切れて離れよう』と、神の方には、絶対にそれがないのです。神はいつも、いつまでも、あなたから離れることはありません。
あなたも、神の化身そのもの、愛念は無尽蔵です。


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1/15 神に至る道

2019-01-16 11:21:34 | 神と人


31・1・15、〔感謝は神に到るの道]

おはようございます。
昭和57年10月21日〔御霊殿建立、新本部道場拝受〕を記念して、新宗連全国総会が行われました。
そして夜には、筑紫野市二日市温泉、大丸別荘で懇親会が開催されました。

来賓の各宗教の教主様、会長を代表して、東京のG会の会長先生が、ご挨拶されました。
私は、そのお言葉に感動して、いまだに忘れずにいます。

右手に御聖経を掲げ、〔69節の感謝〕を挙げて
『ここまで、感謝の意味を解説された、経文を知りません』とお述べいただきました。

ここに改めて、記してみました。

[天地一切のものと、和解するとは、これ天地萬物に感謝することなり]69
[先ず、天の一切に感謝せよ 地の一切に感謝せよ]70
[汝等の祖先に感謝せよ]71
[父母に感謝せよ]72
[子に感謝せよ]73
[夫に妻に感謝せよ]74
[兄弟姉妹に感謝せよ]75
[而して、すべての人に感謝せよ]76
[かく偕に感謝の生活に、生き抜くことこそ 則ち神に感謝することとなる]77
[これ神に到るの道にして神のもっとも、よろこび給うところなり]78

この経文には、縦の命の流れと、横の命の結びは、すべて
[感謝の2文字]の実践にかかっていることを、お示しになられています。

合掌








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10/28 神の目

2018-11-06 17:39:04 | 神と人


人間関係の特徴のひとつに、感情の対立があります。
「私が間違っていた。」ときずいても、なかなか謝罪できないものです。
なぜなら、長年かけて築いたプライドが邪魔するからです。
そしてそれが、〈死んでも許さない〉となります。
これが、運命を狂わす事情に育つのです。

そもそも神の目とは、どこにある?

御神尊様は、20年苦行のなかから得た結論は、

「神さんはおらんとばい。人の心の中におらすとばい」と、
長崎県平戸の50日苦行の中から、お悟りになられたものです。
これは、完全に従来の神観を否定したもので、革新的なさとりでした。

そして、「神明の舎」まで、断言されました。
隣にいる人こそ、神の目を持ち、あなたの行為、行動、言動を、みまもり、「変化を求め、」「変える力」で、「かわる力」をひきだそうとする、神明の舎です。

死んでも許さない方は、あくまでも、言いつのり、一歩も引かず、不幸のドロ沼におちて、不運をなげくのです。

言波は千里をはしる。
あなたの人柄は、隠せません。
喧嘩対立は両成敗。勝者はいません。
あるのは、神の目。
口角泡を飛ばす関係に心配をされています。

神の目のくもりは、感情で塞がれます。
みがき治したいものです。
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9/29 御神尊様御帰幽

2018-09-29 13:46:07 | 神と人


昭和52年9月29日午前4時33分、70才でお亡くなりになりました。

いまも、昨日の事のように52年9月29日を思い出すのです。

当時私は、戸畑支教会の准教師をつとめていました。

午前中、教会長より電話に耳を疑ったものです。
思わず受話器を取り落とし、家族が心配するほど号泣しました。

親を亡くしたきの、涙の非ではありませんでした。
命のもと、頼みの綱がプツンと切れて、空中に漂う思いでした。

10月1日から、3日まで瑞光殿に安置された、御神尊様とのお別れにまいりました。

亡くなられて、なお神々しい、オーラに包まれたみすがたに、おすがりしました。
信者さんで、あふれかえっていました。

御神尊様は、小学校で学んだだけですが、〈人間運命の解明〉に捧げられた一生でした。
救済のみ教えと殿堂をお建てになられた、偉大なおかたです。

そして、永遠の救いのあかしとして、《御右手御遺顕》をお残しになられれました。

その後、聖主様の50日大行によって、《神如善隣教祖、力久辰斎、幽顕自在之尊》 と、御神名をいただかれたのです。

私もまた、今朝の祈りのなかで、不退転の決意を新たにしました。
やります!

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9/24 満3年、千回記念日。御璽経(ごじきょう)

2018-09-25 10:58:24 | 神と人


3年、千回の記念日、伝えながら、私はいのちをいただきました。

〈天地一切一心正念経〉とは、
私たちの、気力、念力を育て、人生変革の力を与えてくださる《天地の大経文》です。

生きたる天地の間にあって、すべてのものは、
ひときれ、ひときれ、(一切)に見えれど、
その命の奥は、霊性によって繋がっている。《一心》
だからそこに目覚めて、切れてはなれることなく、《正念の行者》となりて
《縦のいのち、横のいのち》
の交わるところ、愛の生活にいそしめところに、万物霊長人間の使命がある。

現象にとらわれて、だまされるな、誤解するな、
それぞれ、バラバラにみえるけれど、命の奥はみんな一緒。

合掌
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