面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

彼岸まで

2008年03月19日 | Weblog
 マネージャーのKくんに誘われ、中新に下りて、パスタとピッザの昼食を摂った。40年近い付き合いになるが、僕がしてあげたことより、世話になったことの方がはるかに多い。それは、付き合った全ての人に云える。自分がどれだけ我が侭か、胸に手を当てなくてもわかる。沢山の人に見捨てられたが、Kくんのように、何の得も無いのに付き合ってくれる人もまだいる。ありがたいことだ。

 これから実家に墓参りに帰るというKくんに、執筆を励まされて別れたが、そういえば、明日は春分の日、お彼岸である。予定では九州に帰り、母の墓参りをしているはずだった。母の危篤にも芝居中で帰らなかった僕が今更何をと笑われるだろうが、4月9日の命日には必ず帰るからと西に向かって手を合わせて謝った。

 人間には忘れて良い事もある。それを忘れられないのも又、人間である。目に見えない絆がある。目に見えないので疎かになる。バカにに付ける薬は売っていない。自力でバカを治すしかない。壁は高い。少し仮眠を取って、明日の朝まで書き続けよう。
 暑さ寒さも彼岸まで、というが、今年の彼岸は雨になりそうだ。僕は彼岸まで原稿を書き上げねばならない。大切な時に頚椎が疼き出す。2008年3月19日、アーサー・C・クラーク氏が逝かれた。スリランカの病院だったらしい。享年90歳。合掌。

壊れたものが元にもどるなら

2008年03月19日 | Weblog
 現実とは、決して巻き戻すことの出来ない時間の中の出来事。物語では、それが大切なものなら、壊れたものでも元にもどすことが出来る。今、家族の再生の物語を書いている。現実での体験がどれほど役に立っているかはわからないが、時々、自分を重ね合わせて失敗することがある。僕は物語の語り部であって、決して登場人物ではないのだ。かといって、あまり突き放しては、彼らの息遣いが伝わってこない。その匙加減を体得するのが修行であろうが、実践でもあるので、難しいものだ。徹夜も二日目を越えると、体調との戦いも加わる。実験的に、原稿用紙とワープロの両方で交互に書いているが、どちらが優勢とも言えなくなってきた。最終的にはワープロ原稿を渡すことになるだろうが、いまだに原稿用紙も捨てがたい。

 いよいよ3日目にはいる。物語も佳境である。現実ではひとつの家庭も作れなかった僕が、物語の中の家族に祝福を贈る。これが僕の人生の罪滅ぼしだとしたら、何と悲しい哀れなことだろう。現実の僕にはカタルシスの欠片もないのである。いかん、脳が制御不能になってきた。何を書き出すかわからないので、今日はここまで。では、又。