マネージャーのKくんに誘われ、中新に下りて、パスタとピッザの昼食を摂った。40年近い付き合いになるが、僕がしてあげたことより、世話になったことの方がはるかに多い。それは、付き合った全ての人に云える。自分がどれだけ我が侭か、胸に手を当てなくてもわかる。沢山の人に見捨てられたが、Kくんのように、何の得も無いのに付き合ってくれる人もまだいる。ありがたいことだ。
これから実家に墓参りに帰るというKくんに、執筆を励まされて別れたが、そういえば、明日は春分の日、お彼岸である。予定では九州に帰り、母の墓参りをしているはずだった。母の危篤にも芝居中で帰らなかった僕が今更何をと笑われるだろうが、4月9日の命日には必ず帰るからと西に向かって手を合わせて謝った。
人間には忘れて良い事もある。それを忘れられないのも又、人間である。目に見えない絆がある。目に見えないので疎かになる。バカにに付ける薬は売っていない。自力でバカを治すしかない。壁は高い。少し仮眠を取って、明日の朝まで書き続けよう。
暑さ寒さも彼岸まで、というが、今年の彼岸は雨になりそうだ。僕は彼岸まで原稿を書き上げねばならない。大切な時に頚椎が疼き出す。2008年3月19日、アーサー・C・クラーク氏が逝かれた。スリランカの病院だったらしい。享年90歳。合掌。
これから実家に墓参りに帰るというKくんに、執筆を励まされて別れたが、そういえば、明日は春分の日、お彼岸である。予定では九州に帰り、母の墓参りをしているはずだった。母の危篤にも芝居中で帰らなかった僕が今更何をと笑われるだろうが、4月9日の命日には必ず帰るからと西に向かって手を合わせて謝った。
人間には忘れて良い事もある。それを忘れられないのも又、人間である。目に見えない絆がある。目に見えないので疎かになる。バカにに付ける薬は売っていない。自力でバカを治すしかない。壁は高い。少し仮眠を取って、明日の朝まで書き続けよう。
暑さ寒さも彼岸まで、というが、今年の彼岸は雨になりそうだ。僕は彼岸まで原稿を書き上げねばならない。大切な時に頚椎が疼き出す。2008年3月19日、アーサー・C・クラーク氏が逝かれた。スリランカの病院だったらしい。享年90歳。合掌。