夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

富良野やすらぎの刻(とき)第62夜

2024-04-21 08:11:01 | 日記

昨日は、毎月恒例となった「富良野やすらぎの刻(とき)」のため富良野へ出かけました。脚本家・倉本聰さんがこれまでに書いた作品1000点以上の中からご自分で選んだ作品を鑑賞した後、彼が主宰した富良野塾の卒業生を交えて作品の話題や近況などを話す企画です。

毎月1回無料で提供してくれるこのイベントは私達にとって楽しみで、予定表にはこの先もずっと第3土曜日はやすらぎの刻と書き込んでいます。今年90歳になるという倉本さんの健康状態だけが気がかりですが・・

昨日は、TBSテレビで60年以上続いたと言う東芝日曜劇場に書き下ろした中から1976年放送の「ひとり」と1977年放送の「時計」の2作を鑑賞しました。

作品について、トークショーの第一声は「若かったねぇ、恥ずかしくなった。」でした。彼が41歳の時に書いたものだそうです。「ひとり」も「時計」も確かに今のテレビドラマではお目にかかれないような芸術的な作品で、見た者に様々な思いを抱かせるような内容でした。これについて書く余裕はないのでネットから次の情報だけをピックアップしました。写真は控えました。

東芝日曜劇場はTBS以外にTBS系列の北海道放送(HBC)や中部日本放送(CBC)など地方局も制作をしており、これらはいずれも北海道放送が制作したものでした。北海道放送と倉本聰さんがタッグを組み北海道を舞台にしたたくさんの作品を作っているようですが、とりわけこの2作のディレクター守分寿男(もりわけとしお)という人に彼はすごい思い入れがあったようです。

脚本家と演出家という関係には2通りあって、脚本家の意図を十分にくみ取ってくれる人と演出家として自分の思いを打ち出してくる人がいて、守分さんは前者であり最初にして最後の素晴らしい監督だったと感慨を語っていました。

そこから話は後者の演出家の代表として黒澤明監督の話題になり、彼は一緒に仕事をしたことはないけどハリウッド映画「トラ・トラ・トラ」を解任された後自殺未遂をした黒澤監督を見舞った時に「一緒に仕事をしないか」と誘われたそうです。

しかしその話が「1か月ほどエーゲ海をクルーズして構想を練り、その後フランスで2か月くらいそれを書き起こし、それから日本に帰って熱海あたりで2か月くらいかけて本にしよう」というものだったそうで、とんでもないスケールと1週間に1作を書かねばならない当時の倉本さんの状況ではとても無理と丁重にお断りしたというエピソードが話されました。

終了後に見る新富良野プリンスホテルと富良野スキー場

ドラマとか映画作製の裏話も聞ける本当に面白い「やすらぎの刻」です。

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