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林檎の唄 ~ アップルビデオ高津店オフィシャルブログ

アコースティック・バンド「アップルビデオ高津店」
火曜に店長、木曜にVROOOM、土曜につぁんが投稿します。

バンドの歴史58(鉄は錆びる)

2024年08月10日 15時38分33秒 | バンドの歴史

はい、みなさま、お元気でございましょうか。

夏が続いておりますなあ・・・(遠い目)

涼しくなる秋が待ち遠しいですわ。

 

さて、それはともかく、前回は、鉄製のリゾネーター・ギターを買った、というところまで。

リゾネーター・ギターのおかげで、おいらの音楽人生はかなり充実したと思うっす。

なので、そこについては、何の後悔もしていないのですが・・・

このギターに関して言うと、いくつか大きな問題があったのです。

 

そのうちの1つが、

鉄製のリゾネーター・ギター

であるということに起因します。

 

そう、題名にも書きましたが、当然のことながら、

鉄は錆びる

というわけなのですわ(苦笑)

 

しかも、アメリカの南部とかならともかく、ここは、日本ですからね・・・

梅雨

なんてものがあります(遠い目)

 

もちろん、このギターも錆びないようにクロム・メッキがされています。

だから、そう簡単には錆びないように思われたのですが・・・

 

 

冒頭の写真にもあるとおり、

ギターの右肩の部分に、スライド・バーが当たったことによって、メッキが剥げて錆びました(涙)

いや、普通に演奏していたら、スライド・バーが当たらない方がおかしいっす。

とくに当時は、スライド奏法を始めて、まだ間もない頃ですからね。

これ、相当前の写真ですので、現在のこのギターは、さらにもっと、完全に錆び錆びです・・・(遠い目)

 

 

 

というわけで、

玄関に雑紙を敷いて、錆止め剤を塗りつけることに。

なんだろう、ギターのメンテナンスとは思えないこの情景(苦笑)

 

んで、結論から申し上げますと、どんなに錆止め剤を塗っても、

錆びは止められない

ということでした(滂沱の涙)

 

そりゃそうだ、メッキが剝がれたところの、片っ端から錆びていくんだもん。

なので、途中からあきらめて、錆びるがままにすることにしました・・・

表面がひと通り錆びれば、なかなかそれ以上は進展しないから、もう、放っておくっす(遠い目)

 

とは言っても、肌触りとか、見た目とかは悪くなる一方なので・・・

おいらは、錆びにくいギターが欲しいな、と考えるようになります。

 

 

そして、このギターの問題点その2ですけども。

これは、先ほど書いた点と関わるのですが・・・

ギターの右肩の部分にスライド・バーが当たる。

ということですよ・・・そう、つまりは、

カッタウェイが無い

ということが問題なのです。

 

高音域にスライド・バーを滑らせようとしたら、

ガツン

とぶつかってしまうわけですね(涙目)

これはねえ、思ってもみなかった問題点でした。

というのは、だいたいこの時期くらいから、うちのバンド内での役割が変わりつつありまして。

 

昔はギター・ソロをとるのは店長で、おいらはバッキングを担当する。

という不文律があったのですが、おいらがスライド・ギターをやるようになってから、

おいらもソロをとる

ようになっていったのですね。

バッキングするだけなら、カッタウェイなんていらないけども、ソロをとるんだったら、カッタウェイが欲しい・・・

 

こうしておいらは、このギターに不満を募らせていって、ついに新しいギターを購入しようと考えることになります。

ただ、今でもこのギターは使っているし、おいらにリゾネーター・ギターのすばらしさを教えてくれたわけで。

このギターには、深く感謝しております。

これからもよろしくお願いします、錆びさせてすいません(陳謝)

 

というわけで、おいらの、理想のメイン・ギター探しの旅が始まったのでした。

 

おいらが掲げた条件として、

リゾネーター・ギターであること

錆びない(錆びにくい)こと

カッタウェイがあること

この3つの条件を満たすギターこそが理想!!

 

ところが、それは、そんな簡単な事ではなかったのです・・・

以下次号じゃ!!


バンドの歴史57(リゾネーター・ギター)

2024年08月03日 07時27分34秒 | バンドの歴史

さて、みなさま、お元気ですかな?

これは、2015年の年末忘年会の様子。

前回の記事に書いた、お客さんが2人出演者が5人、その時の5人ですね(笑)

いやあ、なんか、みんな、当然のことだけども、

若いなあ(遠い目)

 

 

さて、バンドをやる上での「音楽仲間の大切さ」について、前回語りましたが。

今回からは、いよいよ、おいらが新しいギターを買った件についてです。

そう、リゾネーター・ギターですね。

これも、おいらの音楽人生にとって、ものすごく大きな出来事だったと思いますわ。

 

 

というのも、現在の時点から振り返ってみると、おいらにとっては、

リゾネーター・ギターをメイン・ギターにして、悪かったことは、ほとんどなかった(はず)

と思っているからです。

 

 

さて、おいらは、2015年の12月に、

このギターを購入します。

というか、もっと詳しい経緯を説明しますと、ネット上でこのギターを発見して、ポチっとしたら、

お店の手違いで、もう店頭にはなかった・・・

んで、お店の人に

アメリカの工場に発注をかけるので、数か月待ってください。

と言われたのですわ。

そして、待ちに待って、届いたのが2015年の12月ってことですね。

 

そうか、もう10年くらいたっているのか・・・(遠い目)

 

このギターには、いくつか問題がありましたけども、今でもVROOOM宅に置いてあって、

バンド練習の時に使っております。

その問題点については、また書くとして。

 

リゾネーター・ギターを購入し、メイン・ギターとして使うようになって、

良かったことを列挙してみましょう。

 

 

 

1・見た目のインパクト

これは巨大ですわ。

おいらが知る限り、リゾネーター・ギターを買ってから、10年くらいたちますが、おいら以外で、

リゾネーター・ギターを弾いている人を、見たことがない。

というのがあります。

いろんなライブ・ハウスに行って、いろいろイベントにも参加したんですが。

もちろん、映像ならいくらでも見られますが、現実に目の前にいる人で、

リゾネーター・ギターを使っている人は、まだ見ていない・・・(遠い目)

でも、それぐらい、珍しいってことなんですよ。

だから、1度見た人は、絶対においらのことを憶えていてくれる、というのは大きいですね。

 

 

2・スライド・ギターとの相性が抜群

これは、多くのところで語られている事なんで、今さらでしょうが。

リゾネーター・ギターが開発された動機としては、エレキ・ギターが開発される前の時代に、

音が大きいギターをつくりたい。

というものだったようです。

その目的自体は、エレキ・ギターが開発されて過去のものになってしまったわけですが。

その独特の音色が、スライド・ギターにピッタリだったわけですね。

おいらも最初はその独特すぎる音色に驚きましたが、使い続けていくうちに、どんどんそのになっていきまして。

おいらは、リゾネーター・ギター以外は買わなくていいかな、とさえ思ってます(鼻息)

 

 

3・ライブ中に弦が切れなくなった

これも、すさまじい効果でした。

おいらはこの記事にもあるとおりマーチンD28を使っていたころは、ライブの度に弦を切っていました・・・(呆然)

それはもう、本当にひどくて、この頃のことを思い出すだけで、胸が痛くなります。

ところが、リゾネーター・ギターにしてから、ライブ中に弦を切ったことは、

1度もありません(歓喜)

10年くらいの間に、1度もないわけですから、これはもう、何かが根本的に変わった、としか言いようがないでしょうな。

おいらが思うに、これはブリッジ部分の形状の違いだと思ってます。

そのあたりのことについても、ここで考察していますので、よろしければどうぞ。

 

 

4・店長のギターの音と差別化できた

これもうちのバンド的に、とても良かったと思ってます。

店長が使っているギターが、ブリードラブの12弦ギター

すごくきらびやかで、いかにもアコースティック・ギターという感じの、繊細な音が出ます。

それに対して、金属製のリゾネーター・ギターは、風呂場で鳴らしているような独特の音が出ます。

この違いがあまりにも明確なので、うちのバンドのアンサンブルが際立つ、という効果があるわけですな。

 

 

以上の点から、リゾネーター・ギターを使うようになったことは、大成功だったと考えてます。

ただ、最初に買った、この鉄製のリゾネーター・ギター、良い部分もすごく多かったんですが、

悪い部分も、ちゃんとありまして(苦笑)

 

そこらあたりは、以下次号じゃ!!

 


バンドの歴史56(お客が2人)

2024年07月27日 06時24分02秒 | バンドの歴史

はい、みなさま、お元気でございましょうかな?

前回、立川の音楽居酒屋、農家の常連になって、たくさんの音楽仲間と知り合えた、というところまで語りましたな。

本当に農家の常連(農民)さんたちは、気のいい人たちが多くて、しかも年上の方たちばかりなもんだから、

大変かわいがっていただきました(感謝)

 

 

農家の女将さんには、

あんたたち、農家じゃ若手だよ。

と言われまして、セッティングなどの肉体労働を、どしどし手伝ったもんです(笑)

それこそ、たくさん歌って飲んで笑って、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 

 

「農家の歌会」はだいたい毎週土曜日に企画されていて、連日大盛況

レギュラーバンドが3~4組、それぞれ30分くらい演奏して、その後はオープンマイクという流れ。

そのオープンマイクのために、農民さんたちがたくさん押し寄せて、入れ代わり立ち代わり歌ってました。

 

 

ところが、女将さんがレギュラー・バンドをブッキングしていたのが、だんだん大変になっていったみたいで。

この日は、このバンドに全部任すから、お願いね~。

というシステムになっていったのです(笑)

 

任されたバンドが、他の出演者を誘ったり、観客を呼び込んだりするわけですね。

これは、任されたバンドにとっては、なかなかプレッシャーのかかる仕事ですぞ。

お店の売り上げに直結するわけですからね。

 

でも、そこは農民さんたち、仲間のユニットを誘ったり、観客を呼んだりして、連日盛況だったようです。

 

そしてなんと、うちのバンドに、ある土曜日が任されてしまったのです(仰天)

 

はい、おいらたちは、路上出身のバンドですからね。

そもそも、集客という概念が無いのです(爆笑)

だって、道行く人が、お客さんだもの(開き直り)

 

 

そして、冒頭の写真のように、

何の手も打たずに、ワンマン・ライブが開催されることになったのです・・・(遠い目)

いや、オープンマイク目当てに、農民さんたちがたくさんいらっしゃるだろう、と甘く見ていたわけですわ。

 

 

その結果、お客さんは、せいいちさんとやまちゃんの、2人だけ・・・

2人・・・(絶句)

 

うちのバンドが3人

裏ビデオのボーカルのツッカさん

そして、裏ビデオのフルートやピアニカ担当のヨメ

 

つまり、出演者が、5人!

観客が、2人!

せいいちさんは、洋楽が好きだから、来てくれるつもりだったらしい。

というか、毎週土曜日には、農家に来てました(笑)

そのせいいちさんが、やまちゃんを誘ってくれたとのこと。

 

つまり、せいいちさんが、もし、その日来なかったら、お客さんは

0人

だったということなのです(絶望)

 

最大30人くらい入るお店に、お客は7人だけ・・・

おいらは顔面蒼白になりましたわ(真っ白)

 

これ、お店が赤字になって、おいらたちの出番はもう、無くなるんじゃないかなと・・・(震え)

 

すると、ヨメが、

これは、飲んで食べなきゃダメだよ!

みんな、飲めるだけ飲んで!!(必死)

と言いだしまして(苦笑)

 

いやあ、とにかく飲みまくり食べまくったら、女将さんが、げらげら笑いだして、

なんだ、それなりに売り上げ出たじゃん!

と言ってくれたのです。

 

その時の経験が、おいらには忘れられないのですわ。

つまり、うちのバンドは、どこかのライブハウスで、ワンマンでライブやって、集客する、なんてことは、

不可能

だということです(苦笑)

 

そこでおいらは、せいいちさんに頼み込み、うちのバンドの対バンとして出演してもらうことにしたのです。

そうすれば、せいいちさんの友人たちも来てくれるから、かなりお客さんが来てくれる。

完全にせいいちさんのふんどしで相撲を取ることになりますが、それしかないもん(開き直り)

 

 

そして、それ以降、

農家の歌会シリーズの中に、この組み合わせが定着することになります。

そして、2~3か月に1回のペースで、おいらたちは農家でライブが出来るようになったのです。

 

 

それ以降、うちのヨメが、職場の上司や友人を誘ってくれるようになり、

そこから生まれたバンド、蘆ノ湖スカイラインズもレギュラー・バンドに加える形になって。

ひとまず、集客としては、安定しました。

というか、コロナで大変なことになるまでは、毎回、大盛況でして。

 

女将さんに、

やっと、アップルの時代が来たな(ニヤリ)

なんていう、お褒めの言葉までいただけるようになったのです。

 

この時期に、お客さんとして来てくださった方や、対バンとしていっしょに出演した人たちが、

おいらたちの一番の仲間であることは間違いないです。

この関係が、後に、おいらが主催する

「マーチンD41と鯛めしを愛でる会」

へとつながっていくことになります。

 

 

プロのバンドでさえ、集客に気を遣っているこのご時世、集客を一切考えずに、ライブハウスでライブなんかできないわけですね。

 

おいらたちは、この事件で、大きく軌道修正することになりました。

音楽仲間たちに頼んで、お客として来てもらう、ということは現在までやっていませんが。

素人がバンドを組んで音楽をやるためには、たくさんの音楽仲間が必要である、ということは痛感しました。

 

なので、いろんなイベントに出演させてもらって、そこでいろんな人たちと知り合いになろうと努力するようになったのです。

 

というわけで、以下次号じゃ。


バンドの歴史55(素敵な農民たち)

2024年07月20日 08時17分02秒 | バンドの歴史

みなさま、お元気ですか?

いよいよ、本格的に、夏ですなあ(遠い目)

今年の夏も暑くなりそうですなあ、去年の夏みたいだと嫌だなあ・・・(ため息)

というか、もう、東京はとんでもない暑さになりつつありますが。

 

 

さて前回、立川の路上で演奏していて、警察の方に注意され、誓約書を書くことになったところまで語りましたな。

いやあ、もう10年以上たっているから、冷静に考えることができるので。

あの時は、見知らぬおじさんのマンションに迷惑をかけてしまっていたんだろうなあ・・・

と申し訳ない気持ちになりますが、当時は、それどころじゃありませんでした(遠い目)

 

当時のおいらたちとしては、迷惑にならないようにずっと配慮してきたつもりだったのに・・・ダメなのか・・・

という絶望感と、虚無感と、これからこのバンドをどうしようか、という不安と・・・

いろんな気持ちでいっぱいでした・・・

 

 

当時のうちのバンドにとっては、路上ライブができないという事は、人前で演奏ができないという事。

つまり、バンドとして、完全に致命傷なんですわ・・・

もちろん、うちのバンドの再結成のきっかけになったイベント、ホット・ロッキン・ナイトがありますけども。

これは当時は、年に1回しか開催されていませんでした(遠い目)

年1回しかライブをやらないバンドなんて・・・(さらに遠い目)

 

そういうふうに考えて、不安な気持ちになっていた時に、

これも前に書いた通り、おいらがマーチンを修理したお店で、農家のことを紹介してもらったのです。

立川で音楽をやっているなら、農家を知らないといかんよ。

とまで言われたら、気になりますよね(笑)

 

おいらはワラにもすがる気持ちで、農家に連絡を取ります。

調べてみたら、アコギで弾き語りをするのが主流な、かなり小さなお店だったので、

うちのバンドが出演したら、カホンがうるさいんじゃないかなと。

 

そこらあたりを心配して、

カホンを叩いても大丈夫ですか? 

とメールしてみたわけです。

 

 

そうしたら、女将さんから、

全然かまわないですよ~。

いつでもいらしてください~。

というあたたかいお返事がいただけまして。

 

まずはオープンマイクに参加して、

その後、毎週土曜日に開催されていた「農家の歌会」のレギュラー・バンドにしてもらって。

みるみるうちに、おいらたちは、すっかり農家の常連さん(「農民」と呼ばれる)になっていったのです。

こういうのって、やっぱり相性がありますからね、今考えてみると、

最初に農家を選んだのは、大成功だったと思ってます。

たまたま、うちのバンドがドラムを使わないバンドだったからできたことでもあるでしょうね。

 

 

「農家の歌会」というのは、だいたい3~4組くらいの出演者があらかじめ決まっていて。

聞きに来た観客が、その後のオープンマイクで2曲ずつくらい歌う、というイベントでした。

これはいつも大盛況でして、おいらたちは、たくさんの人の前で演奏できる機会があって、とても嬉しかったのです。

しかも、チケットのノルマなどが無いことも、とてもうれしい事でした。

ライブハウスに出演することの、1番大きなネックは、チケットの販売、集客ですからね・・・

これについては、次回詳しく書くことになります(遠い目)

 

そこに集まっている人たちは、おいらたちよりも10歳くらい年上の方たちばかりでして。

昭和歌謡やフォーク・ソングを好きな人が多かったので、おいらたちは浮いていたんですけども。

ビートルズ大好きなせいいちさんに、かわいがってもらえたことが大きかったのですわ。

 

せいいちさんは、農家で知らぬ者がいない程の常連さんで、ほぼ毎週末、農家に来ている人でした。

そのせいいちさんが好きな音楽と、おいらたちの演奏する音楽が、ほぼいっしょだったのです。

おかげで、せいいちさんを通じて、他の農民さんとも、どんどん仲良くなれたのです。

 

やまちゃん

こまっちゃん

よしえさん

ダニエルさん

きんちゃん

まささん

たまちゃん

あまちゃん

みっちーさん

へっどさん

ちーちゃん

それこそ挙げていけばキリがないくらいの農民さんと知り合いになることができたのです。

これはほんとーに、大きなことでした。

おいらたちはずっと路上で活動していたから、音楽仲間と呼べるような人たちが居なかったのです。

 

ホット・ロッキン・ナイトでご一緒する人は、1年に1回しか会わないわけですからね・・・

それが、年上の優しい「音楽仲間」と呼べるような人たちと、たくさん知り合うことができたのです。

農家が閉店してしまった今も、牛浜の「しろうたカフェ」や、東大和の「COO」などで、ご一緒すると本当に楽しいです。

 

やっぱり、バンド活動には、バンド・メンバーだけじゃない「仲間」も必要だと痛感しました。

 

ここで手に入れた人脈のおかげで、おいらたちは、人前で演奏する機会をより多くもつことができるようになったのです。

 

以下次号じゃ!

 


バンドの歴史54(路上ライブの限界)

2024年07月13日 07時24分14秒 | バンドの歴史

みなさま、お元気でしょうか?

バンドの歴史シリーズを続けたいと思います。

前回、立川の音楽居酒屋、農家を、うちのバンドのホームグラウンドにした経緯について書く、と予告しましたが。

実はそれは、そんなに単純で、簡単なものではなく・・・

 

いろいろと、紆余曲折があったのです。

 

その前に、うちのバンドと路上ライブについて説明しておきましょう。

うちのバンドは、1996年くらいに結成されました。

そのあたりの経緯は、このシリーズのバンドの歴史5(路上でバンド結成)に書いてあります。

 

そして、池袋の西口、芸術劇場の前の広場で、路上ライブをやっていました。

 

当時は、路上ライブに対する世間のとらえ方は、まだ寛容でして。

というか、池袋では、おいらたちくらいしか、やってなくて、うちのバンドはその意味では先駆者でもあったのですわ。

もちろん、路上出身の「ゆず」とかのバンドが、出てきたのもこの頃です。

なので、だんだんと、路上で演奏する人たちが増えてきて、活気も出てきたんです。

 

場所が良かった、というのもあるでしょうが、この時代、ほとんど苦情を言われることはありませんでした。

警察の方が何度も目の前を通ったけど、チラ見する程度で、見逃していてくれました。

それよりも、スケボーで遊んでいる人たちを注意している感じでしたな。

 

 

ところが、うちのバンドが10年くらいの休眠時代を過ごして、再結成されるまでの間に。

路上ライブに対する世間の反応は、完全に変わってしまっていたのです・・・

 

 

くわしいことは不明なのですが、おいらたち路上ライブ関係者の間では、

2000年代の初頭に、川崎駅前で、路上バンド同士の場所の取り合いから、ケンカになって、

けが人が出て大騒ぎになる事件があった、と言われています。

たぶん、その件だけじゃなくて、全国のいろんな場所で、路上ライブをやっている人たちが、いさかいを起こしたんでしょうね・・・

 

 

 

路上ライブに対して、ものすごーく不寛容な時代が来てしまっていたのですよ。

 

 

 

おいらたちは、立川北口駅前のコンコースの目立つところで演奏すると、すぐに警察の人に止められるので。

 

 

駅からかなり離れている、しかも付近に民家がない場所で演奏していました。

この場所ですね。

まだIKEAができる前だったので、人通りはまばらでしたけども、常連客のお婆さんがいたりして、とても楽しく演奏させてもらってました。

 

当時、この場所での演奏の映像を、懐かしいので入れておきます(笑)

One of us アップルビデオ高津店 2013 路上

うわあ、みんな、若い・・・

 

 

 

んで、忘れもしない10何年前の夏の日、こんなふうに演奏しているおいらたちに、見知らぬおじさんが話しかけてきまして。

 

そこのマンションに住んでいるから、迷惑なんで、演奏をやめてほしい。

 

と言われたんです。

 

そこのマンション、と言われても、それはけっこう離れているマンションでして、

え、そんなところまで、聞こえているんだ、と思って、すぐに謝って、場所を移したんです。

 

 

そのマンションからさらに離れて、向きも変えてそのマンションに聞こえないように、演奏したつもりなんですが。

どうやら、110番通報されたらしいのですな。

 

警察官が2人来まして、

「今すぐ演奏をやめなさい」

「この書類にサインしなさい」

と言われたんですわ。

 

 

これ、けっこうびっくりする案件でして、おいらたちはこれまで、路上ライブをやっていて、

「ここでは演奏をやめてください。」

と言われたことは何度もあったんですが、

その度に、すぐに謝って演奏をやめて、場所を変えたら、それ以上のことはありませんでした。

 

この時のように、

「もう2度と騒音は出しません」

というような内容の書類に、サインさせられたことはなかったのです。

度重なる勧告に従わなかった、よほど悪質だ、と思われたようなんですね。

いや、そのおじさんに注意されて、場所を移したけど、それだけじゃダメだったってこと・・・?

 

 

というか、警察の方は、だいたい、

「いや、苦情がきちゃってるんだよ、これぐらいの音量だとそんなに気にならないはずだけど、申し訳ないけど、やめてください」

みたいな言い方をする人がほとんどです。

 

なので、おいらたちは、そういうときは、すぐに謝って、場所を移して、

もっと迷惑にならないだろう場所へと、どんどん避難していったわけですね。

 

だから、立川の駅前からかなり離れた場所で演奏するようになっていたわけです。

なるべく誰にも迷惑にならないようにしよう、というのがうちのバンドの鉄則でしたから。

もちろん、路上ライブは厳密にいえば「違法と言えば違法」ですからね、堂々とできることではありませんし。

そこらあたりのことは、ネット上のいろんなところで議論になっていて、法律家の方などが語っておられます。

 

 

そうやって移動に移動を重ねた先でも、こうなっちゃったわけですから、これはもう、本当に、

立川で路上ライブをするのは無理だな

と感じたんですわ。

 

 

というか、もう、

路上ライブそのものができない

と思わざるをえなかったのです。

 

それくらい、その当時(2010年代)の日本は、路上ライブに対して不寛容な時代だったのですなあ。

そう考えると、今は、だいぶ、路上ライブが冷たい目で見られなくなっているような気もしますね。

いやあ、ありがたいことです(滂沱の涙)

 

 

その時のVROOOMは荒れてましたなあ(遠い目)

いつもはあんまり感情的になることがない男なんですが、その時には抑えるのに苦労しましたわ。

店長がうちのバンドの責任者なんで、彼が書類にサインしてくれることになって、なんとかその場は収まりました。

店長は警察の方が差し出す書類に「どうもすいませんでした」と言いながらサインを始めました。

 

 

おいらは、その間に、もう1人の警察の方と話をしました。

荒れているVROOOMを見ながら、その警察の方は、

「今日はおとなしく引き下がった方がいいよ、その人(通報してきた人)たぶん、ここを遠くから見てるよ」

「え??」と驚いたおいらに、

「こういうことって、よくあるんだよ、通報してきた人がお客の中に混じって、

私たち(警察官)とバンドのやり取りを、最後まで見ていることが多いよ」

とおいらにボソッと、耳打ちしてくれました。

 

 

 

そうか、どうしても路上ライブをやめさせたい人がいるんだなあ・・・

 

 

 

その時、おいらは路上ライブに対する世間の冷たさを実感することができたのです。

もちろん、何度も言いますが、路上ライブを騒音だと思う人がいるのは十分理解できます。

バンド側も「申し訳ない、なるべく迷惑にならないようにしよう」と考え続けることがマナーだと思ってます。

でも、誰にも、絶対に、迷惑にならないようにする、ということも、不可能に近いわけで・・・

 

 

路上ライブのためのバンドが、路上ライブをできなくなる。

 

 

この事態に直面した時に、はじめて、おいらはライブハウスに出演することを考えるようになったのです。

 

以下次号じゃ。


バンドの歴史53(執筆再開)

2024年07月06日 04時42分26秒 | バンドの歴史

さて、みなさま、お元気でございましょうか?

はい、本当に久しぶりに「バンドの歴史」をまとめていこうと思ってます。

 

というのは、うちのバンドの歴史をまとめたこのシリーズ、

2015年10月1日

に更新した記事が最後になっております・・・(遠い目)

 

 

現在は、もはや、2024年の7月ですぞ・・・

そうか、もう10年くらいになるのか(さらに遠い目)

「バンドの歴史」はVROOOMの作成した、カホンの4号機について語ったのが最後だったわけですが。

おいらとVROOOMの出会いから書き始めて、その時に、現実の時間に追いついたんでしょうな。

なので、その時点では「歴史」はすべて書き終えた、と思って筆を置いたわけです。

 

 

 

しかし、時間はどんどん流れていくものですからね。

 

 

 

10年も経てば、書かなければならない「歴史」も、また、たまっていくわけです。

 

 

その後もこのブログはずっと書き続けてきたし。

うちのバンドも、コロナとかいろいろあったけど、現在でも活動しております。

 

いやあ、考えてみたら、本当に、よく続けてきたなあ(さらにさらに遠い目)

 

いっしょに活動してくれる、うちのバンドのメンバーに、改めて、感謝ですわ。

 

 

たぶんですけど、誰かが倒れるか、そういうよっぽどのことがないかぎり、

音楽性の違い

とかで解散することは、もうない気がしてます(爆笑)

 

 

いやあ、音楽性の違いで解散したバンド、どれくらいあるんだろ?

ほんとうは、お金とか、人間関係とか、もっと、どす黒い(以下自主規制)

 

 

さて、それはともかく、時計の針を、2015年10月に戻しましょうか。

そして、そこから、うちのバンドがどのような道をたどってきたのか、まとめていくことにしますよ。

 

 

 

 

おいらのスマホで撮りためている写真の、

2015年10月のあたりを見返してみますと、

こんな写真がありました。

立川の音楽酒場、農家ですね。

おいらたちにとっては、本当に大切な主戦場でした。

路上ライブが主戦場のおいらたちにとっての、数少ない、屋内のホームグラウンドでした。

ものすごーく、お世話になったお店で、大好きな場所でした。

というのは、残念ながら、もう閉店してしまったからですね・・・

 

 

うちのバンドは、ライブハウスとかで演奏するときには必ず、

「路上で演奏していたら、何度も捕まってしまったので、

ここ(ライブハウスの名前)に逃げこんできました! よろしくお願いします!」

と自己紹介するようにしています。

 

 

このセリフは、実は、初めて農家で演奏をさせてもらった時に、おいらがしゃべったものでして。

ネタですけども、ネタではない(事実)というか・・・(苦笑)

 

 

農家をうちのバンドのホームグラウンドにした経緯については、

バンドの歴史40(ホームグラウンド)に、書いてあります。

 

 

その前の記事「バンドの歴史39(いつでもお引越し~)」には、

おいらたちが演奏していた場所のすぐそばにマンションがあったから、

迷惑にならないように移動した。

というように書いたんですが。

 

もう10年以上経っているから、本当のこと(というか、その詳細)を書きたいと思っているのですよ。

というのは、今思い出してみると、その事件は、うちのバンドに大きな変化をもたらしたからなんです。

ただ、もう、かなりの長文になってしまっていますんで、その内容は次回書きたいと思いますわ。

 

 

とうわけで、以下次号じゃ!!


バンドの歴史52(四号機の成功)

2015年10月01日 05時05分05秒 | バンドの歴史


さてさて、みなさまお元気でしょうか?

火星に、火星液体の状態の水がありましたよっ!!
NASAの発表で、久しぶりに興奮したぜっ!


まあ、「その可能性が高い」ってだけで、確定ではないらしいのですが・・・

いや、実はおいら、太陽系の惑星とか、すごく好きなんですよ!
一時期は、寝る前に「金星をどうやって地球のような環境に変えるか」なんてことを考えてから、眠りについていたものです(爆笑)



それはともかくっ!(笑)

前回は、VROOOM入魂の参号機が、高級木材と接着剤の相性が悪くて、ライブの途中で壊れてしまい、持ち運び便利な携帯用カホンに作り変えられてしまった、というところまで。

で、もちろん、VROOOMはすぐに四号機の作成に取りかかります。

これまでの弐号機・参号機の問題点は、ずばり台形の構造!

なるべく前傾姿勢にならないですむように、打面を斜めにしたことによって、当然のことながら上面の面積が減ってしまい、座りにくい、というのが難点・・・
さらに、打面を斜めにしたことによって、当然のことながら全体の容積も減ってしまいます。
容積が減れば、当然のことながら、音の響きも弱くなります。


ここで、VROOOMは大きく発想の転換をします。

打面を斜めにした上で、座る面積も減らさず、さらに容積も減らさない!!

そのためには~~!!

平行四辺形にしてしまえばいい!!

こういうことですね!!

こうすれば、上面の面積も増えるし、全体の容積も増えるし、構造もシンプルになるっ!!
コロンブスの卵的な発想ですね!!


でも、素人考えですが、後ろにひっくり返りそうで怖くありません??

で、それをVROOOMに聞くと、

いや、まったく大丈夫だな。台形のときよりも座りやすいよ

とのこと。

確かに良く考えてみれば、カホンの上面の前側のほうに体重がかかるわけだから、ひっくり返るわけがないのですね。


で、完成したのが~!!

四号機!!


ん~、冒頭にアップした画像が「四号機」でGoogle大先生に聞いてみた結果なのですが・・・
四号機って、こんなんだったっけ??

今回、このVROOOMの自作カホンについてブログを書くにあたって、エヴァンゲリオンと連動させてみたんだけど、そもそも、四号機って、あったっけ??
ん~、なんか記憶があいまいなのだが、作ってる途中で爆発かなんかしたんじゃなかったっけ??

四号機っていう、存在そのものに対する記憶がございません・・・

それはともかく、自作カホンの四号機の出来は、というと~!!

大成功!!

と言っていいのではないかと!

まず、音量!
高音低音、申し分ないっ!
低音ブースト装置は配備されていないのだが、そのぶん、容積を有効活用するシンプルな構造により、迫力のある音が出る!

そして座り心地!
お尻がはみ出すこともなく、後ろにひっくり返ることもない!

さらに見た目!!
弐号機・参号機と同じように、薄くスライスされた高級木材を貼り付けてあるのだが。
この木目のダークさ!!(笑)

VROOOMいわく、目をこらすと、小さな顔がたくさんあるように見える・・・(爆笑)


この四号機カホンを、VROOOMとしては、オリジナル・カホンの(ひとまずの)完成形と位置づけ、しばらくはこれをメイン楽器として使用していくらしい。


まあ、VROOOMの性格を、よ~~~っく知っているおいらからすると、

また、何かのひらめきが降りてきて、猛然と五号機を作り始めるのに、65535マッカ賭けてもいいです(爆笑)

続きは・・・・あるのかな?(笑)

バンドの歴史51(参号機の失敗)

2015年09月24日 12時08分59秒 | バンドの歴史


さてさて、シルバーウイークも終わってしまいまして、泣きそうな木曜日ですな。

前回はVROOOMが作成した自作カホン「弐号機がかなりの良作であった、というところまで。


演奏のしやすさ、音色、見た目、そのどれをとっても合格点でしょう!!


弐号機、何度見ても、いい出来ではないか!!

ところが、VROOOMはまだ満足せず、新たなカホンの製作に取りかかるのです!


その原動力となったのは、「素材を良くしたらどうなるか」という疑問だと思われます。


そもそもアコースティック楽器というのは、使用されている木材の良さが、ダイレクトに音質につながってしまいます。
たとえば、おいらが持っているマーチンのD-28
はるか昔のマーチンのギターには「ハカランダ」という木材が使われてまして。

これがハカランダ!!
見た目だけですごい木材なんだって伝わってきますねっ!!


やはり、音色のほうも、素晴らしく枯れたいい音が出ていたそうです。

ところが、「ハカランダ」は希少になってしまったため、伐採が禁止されてしまいます。
だから、往年のマーチン・ファンの中には、
ハカランダを使ってないマーチンはイマイチ
と考える人もいるくらいなのです。

そう、アコースティック楽器は、木材などの材質がすべて!!

その上で楽器職人の腕が生かされて、はじめて一流の楽器になる、というわけですね。

ちなみに、おいらは「ハカランダ」が素晴らしいということは知識では知っていても、実感したことが無いので(笑)
現在のDー28に、完全に満足しております・・・

それはともかく、我らがVROOOMも素材の重要性に気づかないわけはありません。
これまでの零号機初号機弐号機は、なんだかんだ言っても、安物のベニヤ板を使っていたに過ぎない。

そこで、参号機を作成する上での、以下のコンセプトが決まります。

打面だけでも、良い木材を使う。
さらに、初号機のときに導入した、低音ブースト・システム、あれの真価を発揮させる。
初号機のときは全体の大きさが小さかったため、低音ブーストといっても、ブーストしませんでしたが(笑)

このかわいい初号機の下に開いている四角い窓が、低音ブースト・システムの証!
そして、弐号機の斜め打面の採用、そのための台形フォルムの採用。

つまり、これまでVROOOMが培ってきたカホン作りのノウハウをすべて叩き込んでみようということですね。

そして出来上がったのが、

これ!!

ほら、低音ブースト・システムが組み込まれていますね!
そして打面の木目が、これまた美しいですな!!
もちろん、これもまた、弐号機と同じで、薄くスライスされた木材で、シールのようなものなのですが(笑)


で、肝心の楽器としての総合評価ですが。

弐号機より、確実にパワーアップしたと言ってよいのではないでしょうか!
低音は、ドスドスと響き渡り、高音部分もメリハリのきいた音に仕上がってます。
打面の高級木材がきいているのでしょう、音の輪郭がくっきりしている感じ。

楽器職人としてのVROOOMが成長しているのが見えます。


ところが!!

参号機悲惨な末路をたどります・・・(涙)

東福生のライブハウス「UZU」でのライブにおいて、
曲の途中でカホンが壊れる、という未曾有の事態が起こってしまうのです!

やはり、参号機は壊れてしまう宿命なのか!
トウジ! トウジ!! しっかりしろっ!!

じゃなくて(笑)

そしてライブの途中に
「観客のみなさまの中で、養生テープをお持ちの方はいらっしゃいますか?」
マイク・パフォーマンスするVROOOM(爆笑)

楽器の破損さえもギャグにしてしまう、さすがだぜ!


この事故の原因としては、使徒が侵入したんではなくて(笑)打面の高級木材の堅さが今までと違っていたため、VROOOMが使用していた接着剤との相性が悪かったらしい。

VROOOMが使用しているのは木材用の接着ボンドなんだけど、おいらに言わせれば、

使用が難しいかもしれんが、ニカワを使えっ!!

って感じ(笑)

まあ、外野は何とでも言えるので(爆笑)
ヴァイオリンもギターも、接着剤として使われているのは、はるか昔からニカワ
市販のカホンにもニカワが使われているのかどうか知らないけど、絶対に合うはず!

いつかVROOOMに、ニカワを使いこなしてほしいっす!!

そして無残に破壊された参号機は、解体されて、持ち運び便利な小型カホンに作り変えられるのです(笑)
大幅に薄くなって、低音ブースト・システムも廃棄された、この「参号機・改

これを見るたびに、諸行無常と思ってしまうのは、おいらだけですな(笑)

続きは次号やでっ!



バンドの歴史50(弐号機の安定)

2015年09月17日 05時55分55秒 | バンドの歴史


前回は、VROOOM初の完全自作カホン「初号機」が、独自の設計思想を持ちながらも、出来としてはイマイチであった、というところまで。


そして今回は、リベンジに燃えるVROOOMが、次なる完全自作カホンの作成に踏み切るというところ。


で、その進化の速さといったら無いですぜ!!

まず、前回の復習。
これが、初号機です。

まるで遊園地の遊具のような、黄色く、かわいいカホンですな~。
なんか、ほのぼのしてくる。
これはこれで、かわいいから嫌いではない(笑)



ところが、この次の弐号機は、

これですぜっ!!

アコースティック楽器としての、風格というか。

高級感が違う!!

その大きな理由として、木目の存在が大きいかと!!

縦に入った、色濃い木目が、否が応でも高級感を醸し出す・・・

さぞかし高級な木材を使ったんだろうな、というそこのあなた!!


甘いっ!!!

あんころもちのように甘いっ!(笑)


この木目実は高級な美しい木材を、ものすごく薄く、うすぅ~く、削ってあるシールのような存在(笑)

これを何の変哲もないベニヤ板に張り付けるだけで、あら不思議!
高級感あふれる外見になってしまうじゃないですか!!


これは家具などによく使われている手法で、森林資源が枯渇して高級木材が不足しがちな、現代らしい発想なのですよ。


これをカホンの打面の一番目立つところに張り付けて、高級感を漂わせる、VROOOMのセンス恐るべし!!


繰り返すが、これがついちょっと前まで、まっ黄色のかわいいカホンを作っていた男とは思えんぜ!!



しかも、このカホン、打面が斜めになってます。
カホンという楽器は前傾姿勢で演奏しなければならないところが、泣き所。
これだと、コーラスをつけたりするときに、背筋が伸ばせないのが痛い・・・


それを少しでも改善するために、打面を斜めにしてあるのです!!(驚愕)
簡単に言うと、底面と上面は、地面に平行で、背面は地面に直角。
だけど正面の打面だけは、斜めになった、台形の構造なのです。

まさにチラシの裏に書かれた説明図(爆笑)

白いノートに描けばいいものを、つい、チラシの裏をつかってしまう、おいら。
貧乏性なんだよね~。

とくに、ノートとか、大切に使います。
考えてみれば、ジュース1本くらいの値段なんだから、どしどし使えばいいのに。

紙は高級品!

という、まるで昭和初期のような考え方が、おいらの頭に浸透してます・・・
親父の影響だな・・・(笑)

おいらが小学校のときに死んだ親父、チラシとか包装紙とか、ちまちまと集めてメモに使ってたなあ(遠い目)



それはともかく!
横から見たら台形のカホン!!
これは、カホン界にとっては画期的なことではないのかと!!
問題点としては、上に人が座って演奏するとなると、いまいち安定性が弱いこと。
でも、それも気にならない程度で、VROOOMによれば、実用面では概ね快適だったとのこと。


しかも、音が良い!!
市販品と比べても遜色ないどころか、低音の迫力、高音の伸び、ともに市販品を上回る出来!!

なんと、完全自作2つめのカホンで市販品を超えるという快挙!
やはりVROOOMの工作技術は高い。


ていうか、さすが、弐号機!

兵器としての完成度は最強だぜ!
なんたって、ドイツで作られてるからな!
パイロットの精神状態が良ければ、無敵だぜ!(鼻息)



あれ、何の話をしてたんだっけか?(笑)


そう、ひとまずこれで、納得がいく実用レベルのカホンが作れたわけなんだけど。

VROOOMは、進化の道程をまだまだ突き進むのです!!

以下次号じゃ!!



バンドの歴史49(初号機の迷走)

2015年09月14日 13時42分18秒 | バンドの歴史



さて、前回は、VROOOMが「カホン自作セット」を購入して、零号機を作成した、というところまで。

で、この零号機なのですが、市販品のカホンと比べると、やや弱い、といったところかと・・・

もちろんカホンという楽器として、演奏するぶんには、なんら問題が無いのだが。
問題は音量ですよ。
カホンはアコースティック楽器であるという側面があるので、アンプなどを使って、音を増幅させることは、基本的には想定外。
ということは楽器単体で、どれほど大きな音が出せるか、という問題がいつもつきまとうのです。


VROOOMも、そこはいろいろと試行錯誤したらしく、カホン自作に踏み切る前に、前回も紹介した、スプラッシュ・シンバルの導入をやっています。

これによって、けっこうな音が出せる。


カホンだけだと、いまいち弱いので、それを補おうとしたわけですね。
ところが、ここで直面するのが、腕は2本しかないんだよ問題(笑)

ふつう、ドラムセットの場合だと、足でバス・ドラムを叩き、両手でスネアやタム、シンバルを叩きます。
両足でバスドラを叩く、ツーバス、なんていう猛者さえもたくさん存在します。


でも、カホンの場合、足で叩くことは基本、ない。
(中には、足を使ってカホンを演奏する人もいるらしいですが・・・)
バスドラを担当するのも、腕、なわけだから、通常のドラムの人に比べても、使えるコマが1枚足りない・・・

そこで、VROOOMはシンバルを足で叩くことを考えます。

ハイハットの導入ですね!!
これなら、足を使ってシンバルを担当することができる!!


さらにさらに、VROOOMの看板楽器、「与作の導入!!

正式名称、ヴィヴラ・スラップといいます。
北島三郎の名曲「与作」において、ここぞとばかり多発して使われているので、通称「与作」!!

これをシンバル・スタンドに取り付けて、さらに音色のヴァリエーションを増やす!!



そう、前回書かなかったのですが、VROOOMはカホンを自作する前に、アタッチメントの部分に改良を重ねていたわけですね。
このアタッチメントの部分は、パーカッションとしての、オリジナリティを決める大切な部分でもある。
ここに、まさか「与作」を持ってくるとは(爆笑)

これ、立川の音楽居酒屋「農家」のライブで、冗談抜きに、鳴らすたびに爆笑をとったほどのもんですよっ(笑)
どうやら、この楽器を知っている人にとっては、笑いのツボを直撃してしまう存在らしい。

さて、そこまでやった上で、カホン自作に踏み切ったVROOOMですが、その理由はわりと単純らしく。



「ネットで見たら、自作している人がけっこう存在したから」


たった、それだけの理由かよっ!!(爆笑)


そして、試作零号機に満足するはずもなく、やつは新たな地平に進んでいきます。


で、作成されたのが、記念すべき初号機!!


これだあ!!(爆笑)
初号機なのに、まっ黄色!!


よく見てもらうと横幅が狭いのがわかるはず。
全体的に小型化しています!
カホンというのは、四角い箱の上にまたいで座る必要がある楽器。
これは、VROOOMが、股を開いて演奏するのがはしたない(うそ・笑)から、なるべく股を開かなくていいように設計したらしいのです。
それから、下の部分に四角く穴が開いていることがわかるはず。
これは、容積が小さくなったぶん、低音が響かないことを考慮して作られた、低音ブースト・システム。

そう、初めての完全自作カホンにしては、かなりの独自設計思考!!

で、これがうまくいったのか、というと・・・


てな感じ(爆笑)

まっ黄色なボディは、まるで遊園地の遊具のようで。
板の厚さの問題かなあ、音がくぐもったように聞こえ。
低音ブーストは、まったくブーストせず・・・
アコースティック楽器って、小さくなるとダメなのねえ、の典型・・・

自分が作ったわけでもないのに、この評価、VROOOMすまん(笑)

ここから、VROOOMの反撃が始まります!

まだ、続くぜっ!