弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

「君」は要らない-才悩人応援歌

2017-01-03 00:03:58 | 思考
新年、初めて書く日記がこれなのはいかがかと思うが、何か文字を打ちたい気分なので。

歌詞の中で、「君」という言葉が使われるとき、それは大概異性の恋愛対象である。
そして、例え、その歌がどんなに他の部分で励ますような歌詞だったり考えさせられるような歌詞でも、この単語が出てきた時、私はフリーズする。
頑張る、いや、生きていく理由を他者に求めてはいけない。
というのも、それは一生涯相手が不在のまま終わりそうな我が身にとっては、存在自体を匂わせられること自体で、萎えてしまうからだ。

青春時代から発症し、恋愛も出来ない・許されない我が身にとっては、特定異性の存在を自身の生存の根拠にしてはならない。
かといって、形而上学的なものも存在根拠にならない。

ところが、自己複製を任務とする生命にとっては、配偶者(配偶子)が現世的な存在理由となるし、死後という意味では形而上学的存在に頼らねば存在の不安の渦に巻き込まれてしまうだろう。

歌で言えば、ミスチルが代表格だ。
現状苦しいよね→でも、頑張ろう→でも挫折→でも「君」が・・・
こういう流ればかり。

そういう「君」が一生涯出来ないものはどうしたらいいのだろう。
紅白でRADを初めて聴き、それは「哲学的でロマン的」と触れ込みだったが、そこには失望しかなかった。
久々に聴いたイエモンの「JAM」も最終的に、「希望の在り処」は「君」頼り。

結局、同じパターンか・・・
結局、売れるものは、大方、ポピュリズムに汚染されたもの=「君」を作れるリスナーに支持されるもので、それ以上でもそれ以下でもない。

・・・新年に世界の裏側でテロが相次ぐ。
「そこ」にも「此処」にも「君」はいらない。「あなた」もいらない。
自身の内側で自身だけによって芽吹くものしか、「私」は信じない。
誰にも伝わらない、誰にも分からない、伝える必要も分かってもらう必要すらない。
「君」とは関係ない次元に・・・そんな旋律こそを求める・・・





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