弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

異性不信と対人恐怖-更に相反する親和動機

2017-02-26 21:03:18 | 思考
高2の頃に被害関係念慮が芽生えてから-いや、或いはその前にシャイネスとして-異性を怖がっている。
無論、それは男子校だったからだが、被害念慮は同性にも拡大した時期があった。
直接、「キモイ」とかを異性から言われたことはないのだが、関係念慮がの発端が醜形恐怖的な観念だった以上、容姿をもとにそういうことを言われないかとビクビクしていた。
今でも、それが基となって、容姿への言及はないものと分かってはいるものの、根っこの部分で警戒している。

と、因果的に書いたが、
対人緊張が関係念慮からきたのではなく、おそらくそれらが相互作用を起こして強まり、そこに醜形恐怖的なものも混じったのだと思う。
(今でも写真を撮られたり、他人がいる前で鏡で自分の顔を見つめられない)

こうも、対人に難がある症状ばかりを持ってい(る)たが、異性と付き合ったことが無いという劣等感から大学時代は恋人を強く欲していた。
だが、大学入学以降、ネット経由で恋人になった人2人を通じて、同年代の異性というものに恐怖だけではなく根本的な不信を抱くようになってしまった。
そのことは、家族-高3で父を喪ってからは母と姉-との関係性にも端を発している。
父を喪う経緯やその後のやり取り、更には大学卒業後に症状で辛かった時期の母と姉の対応、に不信感を抱いてしまったのだ。

・・・結局、ネットでほとんどの異性との関係を築いてきたが、昨日、部活の同期でも割と話しやすい女性に、
理屈で考えすぎだ。
と言われた。その女性も信用していないし、部活の人間関係でもすったもんだがあったので、根本的な意味で他人を信頼というのはしていないのであるが、自分にそういう部分はあることは否めない。

・・女性は感情的だというステレオタイプがあるが、自分の経験上、やはりそうなのだと思う。
だが、根本的な部分で自分は感情的ならぬ感性的な人間なので、そういう女性とうまくやり取りをするのが難しいのだとも思う。
それは、自分の感情・感性を理屈で解きほぐして、主張・弁明・弁解するという傾向にあるので、完璧な感情的なやり取りにもならず、かといって、理性でそういうを女性を諭すようなことにもならないということだ。

拡大した人間不信を貫ければ、逆にそんなにつらくないのだと思う。
人間関係が希薄な職業を好んでやろうとするだろうし、活動も制限される。
だが、おそらく自分は親和動機(※社会心理学の用語で、親密な関係の構築と維持への動機づけ)が強い。
この由来は何であるかは分からないが(親の養育態度?人生初期の人間関係?)、おそらく被害念慮を頭の中で持っているだけで、ネットではないリアルなところでそこまで酷く扱われたことがないからというのもあろう。
どちらにせよ、そういう動機が強いと、上述の活動制限とは逆の方向にいるので、何もかも定まり切らない。

ハリネズミのジレンマ的だな、と自分でも思う。

薬のせいか病状のせいか知らないけど、外でいらつくことも多いので注意せねばならないが、いっそのこと、針が全て抜けるか、逆に近づけないほど針が伸びるかしてくれないと、常に葛藤状態にあり、辛い。
大きいプラスかマイナスのイベントが発生すればいいが、それもないのであろう。
結局、積み上げていくしないのだと思うと、倦怠感だけが募っていく。


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