弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

死ぬ覚悟と生きる勇気

2019-01-20 01:25:32 | メンタル
行く予定の大学院で奨学金が給付される博士前期課程とは別のプログラムがあってそれに申し込もうと考えていたのだが・・・
おそらく、条件満たさないので出願すらできない。

障害年金が打ち切られることも考え、また、研究費(専門書は高いし学会への移動費などでお金がかかる)の補助にもなると思っていたのだが。。

博士後期課程までの学費だけなら相続した分で賄えるが、正直、家賃と生活費までは賄えない。
母親からの食費の援助もあるが、障害年金が打ち切られたら、その時どうなるか分からない。

・・・となると、必然的にバイトをしなければならない。
教育関係であれば、集団の塾講師以外は働く意欲がない訳ではないし、博士卒業後にも非常勤講師とかのポストに就けなければ、そういう働き方で身を立てていくしかないと考えていた。。。

・・・のだが、色々考慮すべき点があって、今週ずっと表題のことを考えていた。

・そもそも、今の年齢で指導経験がない年増の大学院生が重荷にならない程度で個別指導や家庭教師になれるのか
・仮になれて、かつ、博士課程卒業後に教育関係で生計を立てていく気概―勇気はあるのだろうか。
・大学でのポストは教育関係のバイトは明らかに関係ない。

この条件で、他人より気力も体力もない自分が、在学中にアルバイトを探して研究をしていくことなど出来るのか。
東京だったらともかく、住んだことのない関西圏で。
少なくとも、学術振興のDC1は絶望的になるだろう(学振が貰えれば、費用の問題は当面は問題なくなる)。

というか、非常勤講師にも特別研究員にもなれなかった時、本当の本当に教育関係の仕事で食べていく気は自分にあるのだろうか。。

秋の時点で過労死の事件が取りざたされ、そもそも病気を抱えたままでは教育関係の仕事など無理だと思ったのではなかったか。
教えるのにそれだけ魅力を感じていればいい。だが、それも未知数な上に、受験産業には嫌気が差している自分もいる。

じゃあ、当初の予定通り、研究の道でにっちもさっちもいかなくなったら自殺。それでいいのではないか。
もうあまりしたいこともやり残したこともない。
のに、友人に説明する時には、「生きる前提」で話をしなければいけないから、ダメだったら教育産業でとかお茶を濁し、自分の本音が分からなくなる。

つまり、余分なことは削ってダメなら死ぬ覚悟が必要だ。そういう気概でやらなきゃ多分また納得がいかないまま時間だけ過ぎていく。
それであれば、この道以外は今のところ考えず、奨学金など利用できる分だけ利用したらいい。

勿論、スポンサーである母親には自殺の件は伏せたうえで説明する。
(多分、自分がのうのうと生き続けるより奨学金未返済で自殺の方がお金がかからない)
我儘なのだろうか。

いや、他人から見て我儘なんてもうどうでもいい。
行くとこまで行った。もう一回死んだ。
そうmECTを受けて思ったはずではなかったか。

それでも、この道の途上で研究以外にやりたかったり、死ぬのが嫌になったら障害者採用でいいのではないだろうか。
もっとも、博士号持っている30後半の男性の需要など無いかもしれないが。。。
生き恥晒して、それでも生きていたいなら・・その時こそ必要なのが生きる勇気であろう。

まとめるとこうだ。
死ぬ覚悟で研究に取り組んでダメで、その途上で生き続ける勇気が芽生えた時のことを考えても、「保険」は障害者採用だけでいい。
保険すらきかず、また、他に生きていく手立てがなかったら、芽生えたものごと自分を殺す。
それでいい。

と、現時点で思いつめている訳だが、
・そもそも障害者年金がどうなるかは分からない
・研究がダメでも、障害者採用でも教育関係でもなく働けるような術が見つかるかもしれない。(資格とか?)
・博士号持っている精神障害者などほぼいない。
だろう。
加えて、
・学内のバイトで軽いのがあれば応募すればいい。元々、TAとかありつければいいと思っていたわけだし。

ともかく、じゃあ、本格的にバイトしなきゃと今思って、焦燥感と不安感で何も手につかないのは意味が無い。

自分が賭けているもの。それだダメなら自殺も考慮に入れる。そういう緩やかな自殺念慮はきっと必要だ。

(※前回の日記で気晴らしや趣味とか書いたが、それも嘘ではない。煮詰まる時は煮詰まるだろうし、そういう時には気分転換が必要なのはどの職業でもそうだろう。ただ、それも決めておく必要はない。研究に疲れた時、気が向いたことをすればいいだけ。)


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