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史跡福谷城跡

豊田知立線54号沿いの福谷区民会館の所に看板がありました。福谷城跡の案内と配置図が。こんなところに案内があったとは知りませんでした。


2019-12-28 福谷城跡
マンション近くに福谷城跡があることは以前から知っていましたが、今日は天気がよく初めて来てみました。まるで丘の上の空き地ですね。 

史跡 福谷城跡(うきがいじょうせき);案内板の内容
所在地:みよし市福谷町市場
面積:約20.000㎡
時代:室町時代後半〜戦国時代
福谷城は、室町(むろまち)時代(15世紀後半)に築造された戦国時代の平山城(ひらやまじろ)です。1984年から実施された発掘調査により、Ⅰ郭(本丸)を中心に、Ⅱ郭(二の曲輪)、Ⅲ郭(北腰曲輪(きたこしぐるわ))、Ⅳ郭(東腰曲輪)、Ⅴ郭(隅櫓)の5つの郭(かく)と、北、西、南部は空堀(からぼり)、東は崖(がけ)を配した構造であることが判明しました。
遺物はⅡ郭で最も多く出土していますが、白磁小杯(はくじしょうはい)、天目茶碗(てんもくちゃわん)、茶入(ちゃい)れなどの喫茶用具と共に、すり鉢(ばち)、内耳鍋(ないじなべ)などの炊事・調理用具が出土し、当時の城内での生活を知る事が出来ます。 又、城主は、後に徳川四天王の一人と言われた酒井忠次(さかいただつぐ)、地元の土豪(どごう)原田氏重(はらだうじしげ)の名が伝えられ、尾張、三河が緊張関係にあった16世紀中葉には、柴田勝家(しばたかついえ)を将とする織田方と激しい攻防があり、多数の死傷者があったと伝えられています。
この地域の歴史を物語る貴重な文化遺産であり、後世に正しくその姿を伝えていきたいと思います。 

ついでに、別の丘の上に行って見たら仏像さんが沢山ありました。知る人ぞ知るという隠れ場かも? 
このような石造が道に沿って沢山ありました。後ろの石造には南無阿弥陀仏と。

結構大きな仏像が数体ありました。

ここが頂上です。いろいろな神様の名前が書かれていました。

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