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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

大腸内視鏡検査は怖くない

2013-10-26 07:34:18 | コラム
 関東は台風です。今日は珍しい休みでラッキーでした。普段は土曜日も仕事ですからよかったです。
 さて、金曜日に30年ぶりに大腸の内視鏡検査を受けてきました。30年前は。本当に苦しい思いをしたので戦々恐々でした。詳細はよく覚えていませんが、大腸を膨らませるために空気を送り込まれて検査するために、腹が張り、便意を我慢するのが苦痛だったように思います。そのときは過敏性大腸症と診断され大事には至りませんでした。
 今回は、検査着に着替え、後ろの開いたパンツまで用意されていて快適でした。検査もベッドに横たわり、内視鏡を入れるのに合わせて体位を変えたりしながら、医師と一緒にモニターを見ていました。苦痛と言えば、おそらく肛門を開いておくためにはめられた管状の器具?の違和感と、時折、内臓に内視鏡が触れるモゾモゾした感じが何とも不愉快ではありました。やはり空気を送り込むので、腹部が張る感じはありました。しかし、30年前の苦痛に比べれば、ないも同然の苦痛でした。検査後も検査着の一部に体液がついたくらいで、検査着が汚れたり、トイレに駆け込むこともありませんでした。私の場合、腸が長いそうで、最後に行くまでのところで、時間を要しました。20分くらいかかったでしょうか。こういう場合の時間は長く感じるのでしょうから、もっと短かったのかもしれません。
 それでも、特別の異常は発見されず、帰宅することができました。事前に、ポリープなどを切除した場合は、大事をとって1泊してもらうと言われていたので、ほっとした次第です。1か月以上、下腹部に鈍痛があったので、今度は何かあるかもしれないと覚悟をしていました。家財を処分することなども漠然と考えていましたが、異常がなくてやはりほっとしました。
 帰りは先日行った店で酒を飲んで帰ってきました。おいしい酒でした。こういう話題で書くようになると、歳とったと実感しますね。
 
 

冬の予感

2013-10-16 06:46:37 | コラム
 10日くらい前だったでしょうか。通勤のために家を出て、ドアの鍵をかけたとき、空気が変わっている気がしました。
 私は四季には香りがあると思います。夏の匂いは草いきれ、冬の匂いは灯油と雪の匂いという感じでしょうか。さすがにそれほど強い匂いではありませんでしたが、確かに冬の到来が近いことを予感させる香りがありました。
 年齢を重ねると、季節というものがいとおしくなるものですね。あと何回の春を迎えられるのかと思うと、暗い気持ちになります。一方、考え方によっては、今年も新しい季節を迎えられてよかったと明るい気持ちにもなります。
 考えてみれば、過去は過ぎ去って帰ってきません。未来のことは誰にもわかりません。どんな未来を夢想していても、たった今、心臓発作で死んでしまうか、わからないのです。
 自分はなぜ生きているのか、人生の目的は何か、若いころには悩んだりしました。しかし、ニヒリストのように言うならば、人生の目的は死です。人生がたどりつくところは、そこだからです。以前、このブログに旅の目的について書いたことがありました。旅の目的は、その終着点から言えば自宅です。しかし、家に帰ることが旅の目的というのは極論ですね。私たちは普通そのようには考えないでしょう。旅先で観光などを楽しむのが旅であって、帰宅することは最後の目的地であるというだけのことです。それではどう言ったらよいかと考えれば、プロセスを楽しむのが旅だと言い換えられるのではないでしょうか。それなら、何となくしっくりします。同様に人生を考えれば、人生もやはりプロセスということになるでしょう。
 プロセスとは何でしょうか。プロセスを作り上げるのは「今」でしょう。人生の過程は「今」の積み重ねでできるからです。林先生ではありませんが「今でしょ!」というわけです。つまらない理屈をこねて、平凡な結論で恐縮ですが、今を大切に生きるということしかないのだなあと感じられます。
 以前、ホスピスでボランティアをし始めた頃、不思議に思うことがありました。死を待つ患者さんも、それに関わるスタッフも、あまりに淡々と生活なさっているように感じたからです。私が想像していた死を待つ人の姿とは、自分の一生を振り返り、長い手記を書いたり、宗教書を読んで最期に備えたりするものでした。ところが、それほど辛そうにも見えないのに、朝から晩までクロスワードを解いている方、テレビ三昧の方等々、死を待つ人々とは思えませんでした。スタッフの皆さんも、冗談を言ったり笑い声を立てたり、私には不謹慎のように思われてなりませんでした。しかし、そんなある日、スタッフの方から「私たちのホスピスが目指すのは、家庭と同じような普通の生活が少しでも長く続けられるようにお手伝いすることです」と教えられました。
 私はガンバリズムに毒された人間なのでしょう。「過程」などと聞くと、努力をして目標に向かっている姿しか思い浮かびませんでした。しかし、普通に生活することの幸せというものが本当の幸せなのでしょう。病気になって初めて、日常生活を普通に送れる喜びに気づくのかもしれません。アイドルなどを見ていても、仕事に忙殺されて幸せを感じることなどないでしょう。「普通の女の子に戻りたい」という引退の弁など、人間としての本音のように聞こえて、好ましく感じるようになりました。
 私は、生きるということを重く考えすぎる傾向にあったようです。私の命だって、虫一匹の命だって、命に変わりはありません。人間の命だけが特別なものではないのです。「たかが人生、されど人生」と言いますが、そういうスタンスが大切なのかなと思います。偏重もせず軽視もしない、仏教で言えば「中道」の考え方です。
 先週は腹部のMRIを撮りました。今日は、仕事を休んで大腸の内視鏡検査を受けます。昨日から、病院からいただいたレトルト食品だけを食べ、寝る前にブルゼニド錠を2つ飲み、今朝はニフレックという飲み薬2リットルを3時間以上かけて飲み、たびたびトイレに通いながら、この文を書いています。30年くらい前、同じ検査をしたことがあるのですが、その苦しさは忘れられません。今日は臆病風に吹かれて、止めどもなく書いているのでしょうか。
 今現在の夢は、先日行った池袋の居酒屋で旨い酒と料理を食べること。そして、検査の結果が悪い病気でないことでしょうか。
 

 

うまい店発見伝

2013-10-11 20:33:43 | コラム
 今日は腹部のMRIのために病院へ行きました。仕事は休んだのですが、10時半までは職場にいました。
 昨夜9時から食事はせず、アルコールも久しぶりに控えて検査に臨みました。
 終了後、近くの神田古書店街を徘徊。初めての店に入ってカレーを食べました。うーん、うまい! 神保町といえば共栄堂のカレーと決めていた私は、神保町にカレー店が異常に増えていることに気づきながらも浮気をしなかったのですが、前回行ったときに「?」と思ったのをきっかけに、今度は違う店もありかなと感じていたのです。何か得した気分。スープカレーと銘打ったカレーは大変結構でした。辛さが70倍までリクエストできるそうですが、私は1倍カレーで結構満足しました。
 その後、池袋に出て、少し飲んで帰ろうと店を探しました。造影剤を注射しているのに飲んでもいいのかと迷いつつ、やはり日本酒を探して歩いていますと、ちょっと入った路地に、日本酒の銘柄をいろいろ書いた店がありました。いずれも私が知る銘酒、即階段を降りて地下の店に入りました。
 カウンターに7~8人、小あがりは4人か6人座れるスペースが1つだけの小さな店でした。髭のマスターは30代、バイトの男性は大学生のアルバイト風でした。私が飲んだ酒は埼玉の花浴び純米吟醸、広島の宝剣ひやおろし、静岡の開運ひやおろし、栃木の鳳凰美田ひやおろしでした。つまみは、秋刀魚の胆和え、牛のたれと無花果のサラダでした。グラスのお酒は8勺くらいでしょうが、いろいろ味わえてよかったと思います。それぞれの単価は不明ですが、秋刀魚が700円、サラダが800円ですから、お酒はそれほど高価ではないでしょう。
 酒はうまいものを頼んだのですからうまいのは当然です。よかったのはつまみでした。秋刀魚は一口大に切ったものを軽く炙り、胆にからめています。少し温かい口当たりがよく、薬味が効いて美味でした。サラダの牛肉も柔らかく、甘い無花果の風味とゴマ味のドレッシングが絶妙にマッチしていました。マスターの料理センスを感じさせる料理でした。全部で4200円は大満足。満腹になりました。
 今日は幸せです。カレー店も日本酒の店も店名は明かしません。興味を持った方は連れて行ってあげます! もちろんご馳走しますよ。なんてね。
 

はしゃぎすぎました

2013-09-23 17:01:55 | コラム
 私の飼っていたのは、きっとヤマトヌマエビではなく、ミナミヌマエビだったのでしょう。こちらは放っておけば繁殖するということらしく、私の状況に一致します。ヤマトヌマエビは汽水域がないと繁殖はできないようです。お騒がせしました。
 まあ、ヤマトヌマエビでもミナミヌマエビでもよいのですが、たくさん大きくなってくれればよいと思います。それにしても、ドジョウの成長が大変よいようで、かなり食べているのかと心配されます。
 今日は水替えをしました。一日観察してしまいました。

ヤマトヌマエビの繁殖に成功!

2013-09-23 12:03:18 | コラム

 私は幼いころから魚類が好きで、田舎の用水堀に魚捕りに行ったり、祭りで買った金魚を飼ったりしていました。現在のように熱帯魚の飼育がポピュラーなものでなかった時代に、巨大な水槽で熱帯魚を飼っていた時期も長くありました。
 現在も、60センチの水槽と45センチの水槽に少しばかりの魚を飼っています。その60センチの水槽でのことです。この水槽はタイマーで照明と浄化装置を管理しています。朝の7時にスイッチが入り、夕方の6時に消える設定です。私は早朝に家を出ると夜まで仕事で帰りません。したがって、ほとんど明るい水槽の中を見ていなかったのです。この中には、アブラハヤが1匹とドジョウが2匹、イトマキガイが数匹いました。ほとんど世話をしていませんので、川で拾ってきた水草が繁茂して何も見えません。ドジョウは水草の間からときどき見えるのですが、アブラハヤが生きているかどうか、消息不明です。数か月前、南関東の産直でヤマトヌマエビを買ってきました。ビニール袋に、あまり大きくないエビが4匹いたと思います。エビは、水槽に入れると、水草の中でやはり見えなくなりました。
 この連休、久しぶりに家で休むことができました。さすがにどうしたかと気になって水槽を覗いてみました。エビが数匹見えましたが、とても小さくなっていて驚きました。魚のエサはときどき入れていましたが、エビのエサはやっていなかったので、飢えて小さくなってしまったのかと思いました。しかし、よく見てみると、小さなエビがかなりたくさんいるのです。驚きました。以前、ヤマトヌマエビを飼ったこともあったので、繁殖が難しいことは知っていました。それが何もしなかったのに、知らないうちに成功していたとは!
 この小エビたちは、これからどうなってしまうのでしょうか。ドジョウに食べられてしまうのか、水質の変化などで死んでしまうのか? いずれにせよ、またご報告します。

所在なく過ごした一日

2013-08-11 20:51:09 | コラム
 今日は久しぶりのオフの日曜日、先日と同様にいろいろしようと思っていたこともあったのですが、実際は、撮りためたドラマなどを見ながらダラダラしているうちに夜になってしまいました。
 今日も暑かったですね。夕方、雷などもあって、不安定な天気でした。おかげで気持ちまで何か落ち着かず、集中して何かをしようという気になれません。これは怠けるための口実を作っているのだと思いますが、体も身持ちもダレきっています。
 こんなときに付き合ってくれる友達は、今、海外へ行っています。彼は海外旅行が趣味で、休みを取って一人でどこへでも出かけています。今頃はアンコールワットを観光していることでしょう。事前に決めていくのは、往復の飛行機のチケットのみ。あとは現地で手配するのが恒例のようです。アフリカだってアイルランドだって、そんなふうに旅行している御仁なので、心配はないでしょう。私も今回は同行したかったのですが、仕事の都合がつきませんでした。こんなことをしているうちに、行きたいところへもいけないまま年老いていくのでしょう。どのくらいの時間が残されているのか、そんなことも気になってきます。
 今日は、誰かとコンタクトをとりたいと思い、ネットなども覗いてみましたが、やはりフツーの出会いは無理なのかなと思われるばかりでした。職場と自宅の往復だけの日々、歳をとりましたので、それほど寂しいとは思わなくなりましたが、ちょっと話したり、出かけたり、食事したりできる相手がいたらなあと、つい思ってしまいます。普段の日はそんな時間もなく、あまり考えることもないことです。たまに、こんな日だけ、付き合ってもらえるような関係があればうれしいですね。
 明日からはまた忙しい毎日が始まります。少しだけ涼しくなりそう?なのが救いです。
 

真意はどこに?

2013-08-04 03:16:42 | コラム
 東京はまた少し暑くなってきたようです。この週末、いかがお過ごしでしょうか。レジャーや家庭サービスに励んでいる方、仕事の疲れを癒そうという方、いろいろいらっしゃることでしょう。
 私は、週末も仕事です。昨日も朝から出勤後、一仕事して出張、また戻って、仕事が終わったのが18時。それでも早く退社できたほうでした。今日も一日仕事。「サービス休日出勤」なんて言葉ありましたっけ? そんな感じです。
 先月末から今月末まで、仕事で特別養護老人ホームを数か所訪ねます。高齢化社会と国際化社会を痛感する毎日です。国際化というのは、介護職の方にフィリピンや中国の方がいらっしゃるのが目立つように感じるからです。
 今日は、突然、「結婚してますか?」と訊かれてドキッとしました。唐突だったので、「いやー、ええとですね……」なんて言うこともできず、適当にやり過ごしたので、既婚者だと思われたでしょう。それにして、どうしてそんなことを質問されたのか、よくわかりません。若く見えたからだと思えば、うれしいような気もしますが、まさかという気もしますし、どうなんでしょう。「独り者ですよ」と言っていたら、何かしらきっかけでもあったでしょうか。そう考えると、何だか残念な気もしてきます。
 ハードな1週間でした。本音を言えば少し休みたいです。

夏といえば、やっぱ祭りでしょ!

2013-07-29 20:30:17 | コラム
 
 先週の土曜日、北関東の地方都市の祭りに行きました。これで3~4回目でしょうか。他所者であり、日頃からそこに暮らしている場所ではありません。行って山車を曳いての祭り行列に参加するものの、打ち解けられるわけでもなく、微妙な立場でやっています。何で行くのかといわれると、ローカルな祭囃子を聞くのが楽しみだからということでしょうか。
 今年は夕方山車を曳き始めてすぐに激しい雷雨となり、祭りも中止となりました。それでも、雨の中、写真のようにお囃子は続きます。年に1回の祭り、簡単には終われないという気概が感じられました。
 解散後、しかたがないので、ぬれねずみのまま車に乗って移動、少し郊外にあるビジネスホテルで着替えをしてから、久しぶりに旅の夜を過ごすことに。ホテルの周りをかなり徘徊してから、北海道料理という珍しい居酒屋を発見しました。
 肝臓のあたり?が痛く、1週間以上アルコールを控えていたのですが、祭りの夜ということで、中生2杯、男山2合をいただきました。ホッケの半身を焼いてもらったのが美味、ホタテのバター焼きもおいしかったです。若大将のお父さんが北海道出身だから始めた店の由、若女将が教えてくれました。
 そして、翌日が、前回の記事である軽井沢のドライブにつながるわけです。考えれば、やはり妙な週末でした。

再出発です

2011-03-21 10:13:15 | コラム
 雨ですね。震災現地の様子が心配されます。
 本当に久しぶりに更新します。仕事が忙しく、また、家庭の問題もあり、なかなかブログまで手が回りませんでした。
 また、再出発ということになりました。孤独は一層深まり、何を支えに生きていくか、今悩んでいます。こんな歳になって、まだこんなことで悩まなければならないのは辛いことです。
 さて、メッセージの送信をお願いしていましたが、これが正しく受信できていなかったことが、今日になってやっと判明しました。この間、メールをくださった方がいたとしたら申し訳ない限りです。今度は復旧していますので、改めてよろしくお願い申し上げます。
 震災地の方々同様、私も多くのものを失って、春を迎えようとしています。震災地でも多くの方々が助け合い、肩を寄せ合って生きています。肩を寄せ合う家族を失った方々のご心痛はいかばかりでしょう。私などはまだ恵まれています。
 孤独な皆さん、よかったらメッセージ欄から声をおかけください。ともに助け合い、励まし合っていけたらうれしいと思います。私はこのブログで多くの部分を露出しています。こんな人間かと多少はおわかりいただいているでしょう。話が合いそうなところがあればご連絡ください。心よりお待ちしております。ワンクリック詐欺などではないのでご安心を。 

ありがとう、愛犬。安らかに眠れ。合掌。

2010-10-18 22:40:39 | コラム
 昨日、実家から連絡があり、飼っていたマルチーズの死を知りました。オスで16歳でした。彼のことは、かなり以前に、このブログにも書いた覚えがあります。
 晩年は、目が見えなくなり、テーブルの脚や壁にぶつかりながら歩いている始末。以前は畳だった床をフローリングに改装してからは、足が滑って気の毒な状況でした。
 実家に来た頃は、ペットショップで売れ残っていたせいか、極度な人間不信に陥っており、なかなかなつきませんでした。警戒心がとれず、ストレスで毛が抜けたり、いろいろなことがありました。晩年まで、それは変わらなかったと思います。しかし、母にはよくなついて、高齢な母の生きる支えのようになっていました。ほとんど寝たきりになり、ボケの症状も顕著になってきた母ですが、愛犬の面倒だけは億劫がらずにやっていました。衰えた愛犬に、ときどき体罰を加えている姿を見ると、自分が育てられた境遇を思ったり、母もまだ元気かなと安心したり、妙な気がしていました。
 愛犬のためには、楽になってよかったと思います。長寿を全うしたといっても過言ではないと思います。そして、老いた母の支えとして、よく頑張ってくれました。ありがとう。心安らかに旅立ってください。今はそういう気持ちです。
 老犬を失った母の悲しみは深いようです。できれば、また犬を飼ってやりたいですが、万一今度犬を飼ったら、今度は母が看取ることはないでしょう。そう思うと、簡単に勧めるわけにはいかないと、現実的なことを考えてしまいます。

左側のメッセージ欄からメールください!って厚いかましいお願いですが・・・

2010-10-17 23:11:43 | コラム
 早いものでブログを中断してから半年あまり、季節はすっかり秋になっています。仕事が忙しいこともあって、手が回らなかったといえばそれまでですが、あまりの反響のなさに根気もなくなっていました。きっとブログ名を変えたり、もっと呼びかける内容にすればよいのだろうと想像はつきますが、もうどうでもいいような気になってうっちゃっていました。この間、出会い系など、新たな挑戦を試みましたが、これは実際には会えないものなのだと、ようやくわかってきました。やっぱり、地道に活動していくしかないか・・・・・・というのが結論です。おそらく、それだって簡単にはいかないでしょう。「このブログをご覧になって何か琴線に触れるものがあったらメールください」なんて言っても、反応してくださる方はそう簡単にはいないと思います。
 少しでいいから、お話ができて癒される間柄、それだけが希望です。当方はたいしたことのない中年男です。高望みはしません。もし私同様孤独な方がいれば、同病相憐れむということで、支え合いませんかというだけです。これからも、以前のようには更新していけないと思いますが、ほんのわずかな期待をもって、たまには書いてみようと思います。宝くじだって買わなければ当たりません。期待薄であっても、忘れた頃にやってくる何かを待つ気持ちで、一応再開させていただきます。たぶん、以前のように期待を込めてブログを開くようなことはもうないと思います。でも、いつか、メッセージを送っていただいていたとしたら・・・・・・。気軽に声をかけていただけるとうれしいです。

雨の日の出来事

2010-03-24 23:01:34 | コラム
 今日は、午後から冷たい雨になりました。仕事が少し遅くなり、帰りはバスを奮発して乗り込みました。バスは雨のせいか、時間帯もあってか、大変込んでいました。ふと気づくと、見覚えのある横顔が目に入りました。声をかけようとも思いましたが、人違いかもしれませんし、名前を忘れてしまったこともあり、できませんでした。
 女性は63、4だと思います。以前の職場関係の方で、私にはよくしてくださいました。仕事の合間にいろいろお話ししているとき、同僚の女性と息子さんのお見合いがうまくいかなかったというような話が出たことがあります。彼女は、私から見ても、気だてがよくチャーミングな女性でした。30代半ばくらいに見えたこともあり、既婚だとばかり思っていましたが、独身だと知って、少しときめいたかもしれません。同性から見ても、好感を持てたから息子さんのお嫁さんにと考えられたのでしょう。
 私は彼女に好感を持っていました。会話を交わしたことはほとんどありませんでしたが、仕事ぶりを見ていて、素敵な女性だと憧れていました。彼女のほうでも、ときどき私を気にかけてくれているようなことを言ってくれました。しかし、当時の私は、まったく自分に自信がなく、彼女とお付き合いできるなどとは、これっぽっちも考えませんでした。彼女を恋愛の対象だと考えることなど、夢にも及びませんでした。
 今日、バスの中で、そんな昔のことを思いました。今のようなずうずうしさがあったら・・・チャレンジだけでもできたと思います。断られていたら、今日のような思いをすることもなかったでしょう。
 誰のせいにするつもりもありません。すべて自分が悪いのですが、生きることが不幸になることだということを改めて感じました。いい歳をして甘ったれていると非難されても当然だと思います。思いますが、今日は雨の中を歩きながら、そんなことを感じました。バスの中の女性には結局声をかけずに別れました。

仕事を早引きして面会に行く

2010-03-21 22:05:43 | コラム
 若い頃、大変お世話になった方が入院されたと聞いて駆けつけました。今の仕事で駆け出しの頃、一番身近にいて、いろいろなことを教えてくれた方でした。江戸っ子で歯切れがよく、さっぱりした性格で、私とは対照的な感じでしたので、それもよかったのかもしれません。毎日、一緒に酒を飲み、ご馳走してくれました。お金を受け取らない理由は、ご自分も若い頃、先輩にご馳走になったから、ということでした。そして、「歳をとったら若い人におごってやってくれ。オレだってそうだったんだから」とつけ加えました。順繰りということなのでしょう。しかし、時代が変わったこともあり、不肖私が人望のないこともあって、若い人と酒を飲む機会などなく、したがって、恩返しはできないままになっていました。
 面会に行ってみて、意外とお元気そうで安心しました。1週間後の手術では、大腸の一部を切除するようです。患部よりも心臓が心配です。かつて、バイパス手術で一命をとりとめた経緯があるので、心臓がかなり弱っているところへ、全身麻酔を使う手術は負担になるようです。
 「オレなんか子供もいないし、気楽だよ」という言葉を聞きました。かつての日、深夜まで飲んだ帰り道、浮浪少年に出会って、帰る場所がないと聞くと、本当に連れて帰りそうな気配でした。本当は子供好きなのだと初めて気づきました。奥様が働いていらしたので、子供を持たなかったのだろうと推測していましたが、もっと込み入った事情があったのかもしれないと思いました。
 10年ぶりくらいになるでしょうか。先日、偶然、当時の先輩と出会ったことを書きました。それがあって、他の方のことも気になって電話してみたら、入院とう話。驚きました。先日の出会いがなければ、今回の出会いもなかったでしょう。不思議な運命の連鎖のようなものを感じました。
 手術の成功と無事に退院されることを祈ります。

You Tubeの可能性

2010-03-20 23:13:49 | コラム
 昆虫は嫌いです。子供時代は虫取りなどに熱中していた時期もありましたが、今はかなり苦手です。触るのはもちろん、見るのも好きではありません。それはカブトムシだろうとゴキブリだろうと同じことです。しかし、そういう人間に限って、いろいろな不幸に見舞われます。
 少し前のこと、やむにやまれぬ事情から、ノコギリクワガタの標本を作ることになりました。元来が虫好きではないし、標本は残酷だから駄目という教育を受けてきた人間には、標本作りのイロハがわかりません。頼みのネットで調べてやってみましたが、どうもよくわかりません。特にわからないのは、死んで固くなったムシを軟化させるためのお湯の温度と浸けておく時間でした。資料によって内容が全く違ったからです。そこで、最後の頼みとばかり、今はやりのYou Tubeで、標本の作り方を説明したものを探し出して見ました。
 すると、これがまさに「百聞は一見にしかず」でした。目から鱗でした。そうか、軟化するとあんなにぐにゃぐにゃになるのか!、標本針はあんなふうに刺すのか等々、大変よくわかりました。その映像に助けられて、わずかな時間で展足に成功、完全に乾くまで成否は不明ながら、素人にしては簡単に、美しくここまではできたと悦に入っています。
 ネットで多様な情報が簡単に手に入ると喜んでいたのはつい昨日のこと。ところが、今や、動画で一目瞭然なんですね。時代は変わると改めて感じました。
 You Tubeには、可能性を感じます。どんな形で成長していくのか、本当に楽しみです。

父の戦友のこと

2010-03-19 22:04:12 | コラム
 数年前に亡くなった父の戦友は、山っ気の多い人で、町長選挙に出たり、大きな会社を作って新しい事業を始めたりするような、波瀾万丈の生涯を送った人でした。
 私は、幼い頃からよく遊びに出かけ、私より上の年齢だった子供達とも遊んでもらいました。しかし、末っ子のお兄さんは自動車事故で亡くなり、戦友は深く悲しんだそうです。一時は、私を養子にほしいという話もあったとか。それもあってか、私のことを大変可愛がってくださいました。
 羽振りも良くて、まだ元気なときの最後の記憶では、父が不在でしたが、私と母をスナックに連れて行ってご馳走してくれました。その折、しきりと「オレもお前くらいの歳に戻りたいなあ」と何度も言っていたのが印象に残っています。
 最後にお会いしたのは、入院中の病院でした。父と訪ねて行くと、喜んでくれました。すぐに退院できる口ぶりでしたし、私が見ても重病人には感じられませんでした。どうしてだったか、ちょうど手に持っていた蜜柑を1つ、見舞いに置いてきたのを覚えています。戦友の訃報を父から聞いたのは、その数日後でした。父も、最も親しくしていた友人を失ってショックのようでした。私も、にわかに信じられない思いでした。
 好きなように生きた戦友でしたが、まだ生に未練があったのでしょう。「お前くらいの歳だったら」という言葉の裏には、「まだまだいろいろなことに挑戦してやるぞ」という気概が感じられました。
 最近、若い人を見ていると、戦友の気持ちがよくわかります。私も老境に片足を入れかけたところです。もう体力も気力も萎えてきています。私は、小さいときから優等生で、何事に対しても臆病な人間でした。傷ついたり格好が悪いことは避けたりして生きてきました。それでも、人生とは皮肉なもので、波瀾万丈の半生を過ごしてきました。でも、それは自らが求めた結果でなく、自らが避けてきたために立ち至った不運ばかりだったように感じます。戦友の生き方とは対極の生き方でした。後悔しています。その思いを若い人々に伝えたいと思いました。
 ときどき、ふと思うことがあります。父の戦友だったおじさんは、病室で私があげた蜜柑を食べたでしょうか。食べていてくれたらいいなあ、どうでもよいことなのに今でも気になっています。