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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

オリンピックではベテランの活躍に期待

2014-02-07 08:36:56 | コラム
 時事ネタは封印してきたのですが、人気を高めようと打算的に書いてみます。もちろん、オリンピックには関心がありますし、TVがお友達の私は、毎日見ていくことになると思うのですが、気分があまり盛り上がりません。なぜかは自分にもわかりません。中学生の頃、札幌オリンピックがありました。学校でもTVを見せてもらった覚えがあります。フィギュアスケートの白い妖精ジャネット・リン選手、可愛かったなあ。今、どうしているのでしょう。私の年代の方でなければ通じない話です。
 ソチオリンピック、期待される選手はたくさんいます。勝負は時の運もありますので、何とも言えませんが、たくさんのヒーロー、ヒロインが生まれることでしょう。日本選手にももちろん期待です。それでも自分的にはどうも盛り上がりません。
 上村選手が予選を突破したようです。5回目のオリンピックというのはすごいです。いきなり金メダルというわけにはいかないでしょうが、メダルに手が届けばよいと思います。でも、私はそれほどファンではありませんでした。
 上村さんと同じ種目の伊藤みき選手が、練習中の事故で予選に出場できませんでした。伊藤さんは、上村さんと同じチームの後輩のようです。膝に不安を抱えたままソチ入りしていたのですね。予選の試合後、上村さんが伊藤さんのことを尋ねられていました。上村さんは「滑れる自分は、伊藤さんに見てもらって恥ずかしくない演技をしたい」と語りました。「彼女の分まで頑張りたい」というようなことを言うのではないかと私は先回りして考えました。しかし、そう断言すれば、伊藤さんはもう出られないという判断を勝手にしてしまい、彼女を傷つけることになるでしょう。上村さんはうまく答えたなと思いました。
 続いて、上村さんは次の試合への意気込みを「私はいつ辞めてもいいので、1試合1試合全力でやる」というように語りました。「いつ辞めてもいい」というのは、年齢的なことを念頭に言ったのでしょうが、これまでの五輪で思うような結果は出せなかったが、やるべきことはやったという達成感も含まれていたように感じました。
 私も、立ち上げから関わってきた仕事を離れて転勤しますので、上村さんの気持ちがわかるような気がします。上村さんのインタビューを見ながら、自分と重ねて考えていました。若い選手にも頑張ってもらいたいと思います。若い力の台頭は今後につながることです。私は、堂々の中高年として、ベテランを応援します。上村さん、頑張れ! 葛西選手、頑張れ!! 開会式が迫りました。深夜ですし、私は見ないと思います。

雪でした

2014-02-05 04:06:48 | コラム
 午後から東京は雪になりました。古い私は、猫というバンドの歌っていた「雪」という曲を思い浮かべていました。「雪でした あなたの後を 何となく ついて行きたかった」という出だしでした。吉田拓郎さんの作った歌で、ご自身でも歌っていたと思います。地方都市で雪を見ながら育った私は、ラジオでこの曲を聴きながら、東京の雪景色を想像していたものでした。
 昨日、仕事帰りに、小さな男の子が、一生懸命石けりをしながら歩いているのを見ました。危ないですし、通行人の邪魔にもなる行為でしょうから、決してよいことではないでしょうが、子供らしい子供に久しぶりに遭遇したような気がしました。
 私も小さいころ、石を蹴りながら歩いたことがあります。やがて、その石にシンパシーを感じて、捨てるに忍びなくなり、ポケットに入れて家に持ち帰ることもありました。机の引き出しの中に入れて、大切にしまった記憶があります。同じように持ち帰ったものとしては、錆びたネジとナット、パチンコの玉、鳩の羽などなど。ああやって集まってきた品々は、今、どうなってしまったでしょうか。あんなに大切にしていたのになあ……。実家に帰って探してみても、もうどこにもないでしょう。
 昨夜は、菊姫のあらばしりという銘酒を家で飲み、テレビを見ているうちに眠くなって9時半頃には寝てしまいました。そして、今朝、目が覚めたのは3時前でした。今は4時を過ぎたところです。もう一眠りするかなあなんて、なんとも贅沢なものです。雪もほとんど消えたようなので2度寝といきますか。

オリンピックの前に

2014-02-02 19:17:05 | コラム
 今日は二日酔いもあって、ずっと家にいました。またTVを見続けていたことは言うまでもないでしょう。
 NHKでオリンピック特集のような番組をやっていました。たまたま見てみると、長野オリンピックのジャンプ競技で日本が団体金メダルを獲ったときの裏話のような事柄が話題になっていました。
 ジャンプ競技は2本ずつのジャンプを飛んで争われますが、長野では天候が悪化して、1本目が終わった段階で、2本目をやるか、1本目だけで順位を決めるか、ジュリーという審判団で話し合われたそうです。それを判断するために、テストジャンプが行われることになりました。テストジャンパーは選手として出場できなかった日本の選手達が務めます。
 その時点での日本の順位は4位。中止になれば、日本はメダルを逃すことになります。前回のオリンピック団体でブレーキになってしまった原田雅彦選手のことを思えば、どうしても再開し、2回目の競技が行われなければなりません。そのためには、テストジャンパー達が、転倒することなく、安定した大きなジャンプをしなければなりません。吹雪で前が見えない中で、結果が求められた訳です。
 テストジャンパー達は早朝から待機し、天候が悪化した時のために待機しているそうです。何人かが飛ぶことを求められました。中には高校生の女子もいました。西方仁也選手はラストに飛んでK点に至るジャンプをして見せました。
 彼らテストジャンパーが上手く飛べていなければ、日本の金メダルはなかったのです。とすれば、あの団体金メダルは4人の選手達だけで獲ったものではありません。テストジャンパーを含めたメンバーで初めて獲れたものなのです。テストで飛んでも拍手も喝采も受けなかったテストジャンパー達が頑張ったからこそ、審判員達に競技続行を決断させるしかなかったのだと思います。よい話だなあ、もっと知られてよいなあと思いました。
 長野オリンピックのジャンプ競技が行われていたとき、私は都内の高級ホテルに宿泊していました。仕事で書いた論文が認められ、表彰式に参加するためでした。そのため、スキー団体で日本が優勝したシーンを見ていません。ソチオリンピックでは、私はいつものようにTV観戦をするでしょう。あのころの栄光は、今の私にはありません……。
 
 
 

旅立ちの日に

2014-02-02 18:22:57 | コラム
 卒業式シーズンが近づくと「旅立ちの日に」を思い出します。私自身、卒業式で歌った経験はありません。でも、さまざまな場面でこの曲を聞き、卒業式にはぴったりな曲だなと思っていました。おそらく自身で卒業式に歌ったことがあるとおっしゃる方も多いことでしょう。ピアノの伴奏は何とも甘美で劇的であり、合唱も非常に美しいと思います。
この歌は今から十数年前、秩父の荒れた中学校で生まれました。先生が生徒たちに贈った作品だそうです。これが全国的に広まって、卒業式の定番のようになったのですね。
 今日、思い立ってYouTubeで探して聞いてみました。いくつか覗いて見ましたが、YAMAHAのピアノソロでダバダバさんという方が弾いている映像と音楽が心に残りました。なぜかひこにゃんが向こう側に写っているところからご当地の方なのでしょうか。
 他に感動したのはJR東海のPVでした。新快速として運用されていた117系という電車が2013年に引退したようですが、その列車の姿が「旅立ちの日に」の歌とともに流れていました。2灯ずつ左右についたヘッドライトが何ともレトロで魅力的な車両です。通勤や通学で慣れ親しんだ方々は相当数に上ることでしょう。車両の引退に合わせて、このようなPVを作った会社の「思い」に、訳もなく感動しました。
 私も来年度の異動が決まりました。昨日はその祝杯を上野で挙げたわけです。月末に異動先がわかると「飛ばされた」という結末になるでしょうから、早めにお祝いをした訳です。新しい事業の指揮を執り、抵抗勢力と戦い、求められた結果を出せた5年間だったと思います。3月末になったら、また「旅立ちの日に」を聞いて、あの117系の列車のように潔く現在の職場を出ていきたいと思います。
 今までは、仕事が忙しいからと、すべてを誤魔化して生きてきました。この間に大切なものをことごとくなくし、老後に備えて何をすべきか、自分は何がしたいのか、真剣に考えて生きていかなければなりません。もう逃げることはできない、そんな状況の中で、真剣に自己と向き合い、強く生きていけるでしょうか。
 本当は一緒にいて和めるパートナーがいれば、平凡でも、それこそが幸せな人生だと思います。それが叶わない以上、幸福感を自己の中に求めていかなければなりません。来年度は、そんな厳しい生き方ができるかどうか、今から不安です。いい歳をして、そんなことを考えなければならないとは、人生とは本当に思い通りにはなりません。

不忍池の今

2014-02-02 13:27:17 | コラム

 昨日は上野に飲みに行きました。時間があったので、街を徘徊。まず1軒目は豚の焼き物の店に。そのお店に入ったのは、御湖鶴という酒が目に入ったからでした。諏訪の酒蔵ですが、立て直されてから銘酒であるという噂を聞いていました。なかなかお目にかかれずにいましたが、滋味深い、旨い酒でした。
 実は木曜日に、池袋で英君という酒を飲みました。伏見の英勲もよいお酒ですが、これも本醸造ながら、吟醸酒と飲み比べてもがつんとしたよい味を出していました。本醸造だからがつんとしているのは当然ですけどね。
 さて、お店に入る前に不忍の池に行ってみました。ちょうど夕日が弁財天のお堂を照らし出してきれいでした。池には蓮の枯れた茎が黄金色に輝いていました。蓮の実も水面に浮いて情緒がありましたよ。お近くにお出かけの際にはぜひご覧ください。

探し物は何ですか~♪

2014-01-28 17:33:19 | コラム
 仕事で海外へ行くことになりました。パスポートを取らなければならず、申請書類を渡されたのですが、いろいろな書類を添付しなければならず、面倒だと先延ばしにしてきました。私の短所として、面倒なことは先延ばしにするというのがあって、これは子供のころから治りません。「三つ子の魂百まで」というわけです。
 戸籍抄本を取り寄せ、申請書類を書き、写真を撮って、あとは旧パスポートを探すという段階になりました。私が最初で最後の海外旅行に行くためにパスポートを取得したのは1999年でした。期限はとうに過ぎているはずですが、新しいパスポートを取るには古いパスポートが必要とのこと。「あそこにあったな」と目星をつけ、すっかりあるつもりでいました。私の性癖として、ないのではないかと不安なときは、きっとあるということにしてぎりぎりまで確認しようとしません。今回もそうでした。
 本当は今日、職場から申請に行く予定でした。午後は休暇を取って仕事の段取りまでつけていたのです。それなのに、昨夜は酒を飲んで寝てしまいました。それでも、早朝4時に目が覚めました。慌てて起きだし、目星をつけていたところを恐る恐る探してみると……。案の定、ありませんでした。早朝からガタガタと探し物をするのもためらわれ、これで、今日、申請に行くというスケジュールはパーに……。仕方がないので、午後は帰宅して家中を捜索することになりました。
 前回の海外旅行の資料や土産を入れた袋を発見、しかし、パスポートだけがありません。焦る気持ちを抑えて思い出してみると、数年前に大事なものをまとめてしまったような記憶が……。その記憶を手掛かりに探すこと1時間、ついに押入れの奥からパスポートを発見しました!
 探し物というのは、なんと非生産的で虚しいものでしょう。私は悪しき性癖のために、そういう虚しい努力を何度となく繰り返してきました。いい歳をして、なんと進歩のないことか。本当に情けなくなります。
 一念発起、家を徹底的に片付け、見違えるようにします! 有言実行です。新しいパスポートが発行されるまでに、やり抜く所存です。

そういえば

2014-01-26 15:07:56 | コラム
 正月気分が抜けて、もうかなりたちます。それはそうでしょう。1月も下旬、もう立春もすぐそこです。
 ところで、この正月、気が付いたことがありました。それは車のお飾り。私は地方都市に帰省していたので、都会のことはわかりません。しかし、都会はもっと顕著でしょう。何がと言えば、車に正月飾りを付けている人が全くいなかったということです。
 私が幼少の頃は、年末には家族総出で大掃除をしたものです。大晦日は朝から掃除でした。作家の関川夏央氏は同郷なのですが、畳をあげて掃除をしたとエッセイに書いていらっしゃったと記憶しています。それくらい徹底的に掃除をし、それが終わるとガスコンロや風呂場の釜、子供なら自転車などに鏡餅を飾って新年を迎えたものです。世話になったモノに感謝し、新年の活躍を祈念する、それは美徳といってよいでしょう。
 自動車は高級品でしたので、年末には洗車をして室内も掃除し、フロントグリルに車用の注連縄と御幣などを飾ったものです。一緒にダイダイを飾っていた人もいたと思います。
 2日か3日に車で外出したとき、対向車でフロントグリルにお飾りを付けていた車は皆無でした。乗用車はなくても、バスやタクシーは飾っているだろうと思いましたが、やはり皆無でした。いつからこうなってしまったのか、全く意識していませんでした。気が付いた今年、それは見事になくなっていました。他人様のことは言えません。私もお飾りを付けていませんでしたし、車の掃除すらしませんでした。昔はダッシュボードの上に鏡餅を飾ったものですが、それも長らくしていません。
 車が昔のように特別な存在ではなくなったこと、正月情緒自体がなくなったこと、不景気で無駄な出費を避ける人が多いことなど、理由はいろいろあるでしょう。でも、ものを大切にし、感謝の気持ちを持つという意味でも、大切にしてほしい風習かと思います。自分自身がやっていない人間が主張しても説得力がないのはわかります。忙しい世の中にあってはしかたのないことだと思います。けれども、アニミズムは日本人の特質でしょうし、そういう精神がなくなって時代が変わってしまったということもある気がします。大切な伝統は守っていってよいのではないかと思いました。今日は、ちょっとキレイゴトっぽかったですね。

モンゴルタンメンを食べました

2014-01-26 00:29:48 | コラム
 午前中、ブログを書きまくった後、午後から新宿に行き、街を徘徊。外国の方がたくさんいるなあと感心しました。原発の風評被害は、海外で少し落ち着いたのかもしれません。東洋の方ばかりでなく西洋の方々も予想以上に多かったと思います。
 遅い昼食をとろうと、西口から新大久保に向かって歩き、中本という店でモンゴル味噌タンメンというのを初めて食べました。入口にあるメニューで、値段などをチェック。かなり辛そうだったので、星マーク3つという1番辛くない定番のメニューを頼むことにして階段を降りました。店内のカウンターは満員状態。券売機で750円を支払い、着席しました。カウンターに店主の口上が書かれているのを読むと、ツウはさらに190円払ってライスとカレーを注文して定食にするということが書かれていました。なるほど、ちらりと横を見ると、隣の女性は小さなどんぶりに入ったご飯にカレーを頼んで食べている。もちろん、ラーメンも召し上がっていました。当方、初めての店で量もわからないので、定食にするのは断念しました。
 出てきたラーメンは、タンメンと銘打つだけあって野菜がたくさん載っていますが、煮込んでいる感じで、キャベツなど味がしみてしんなりしていました。麺は太目で縮れはなく、うどんのような感触でした。チャーシューは別に注文しないと入っていないようです。味は、恐れていた通りかなり辛いものでした。北極というのが星10個ともっと辛いらしいのですが、ツウらしい客が、20、30のものだってあるんだと大声で話していました。
 私は辛いのは嫌いではありませんが、弱いと自覚しています。少し辛いだけで汗をかきまくり、鼻水を垂らすといった塩梅です。今日も、星3つで十分満足でした。厚いジャケットにマフラーまでしていたので、本当に汗だくでした。私的には、もう当分行かないと思います。
 隣の女性は、私より先にカップルで店を出ていきました。小さなどんぶりにはご飯粒がたくさんついていました。こんなことが気になるのは、私くらいの年齢の人間だけなのだと思います。やれやれと思いました。
 その後、夜はミュージカルを見て帰ってきました。明日は仕事なので、どこにも寄らずに帰宅しました。今日は珍しく休肝日。我ながら偉いと思いました。
 それにしてもどうしてあのラーメンはモンゴルタンメンなんでしょうか。モンゴルってラーメンの本場なのかな?

車を売却する際には

2014-01-25 09:40:09 | コラム
 もうヤケクソ的に書いていますし、写真もありません。
 最新記事の欄に、車を売るときに注意することといった内容が書かれているのを見て思い出しました。
 2年近く前になるのでしょうか、新車で買ったステップワゴンという車を車検の直前で売りました。つまり3年間乗った後でした。確か、フルモデルチェンジされて少したった頃だったと思います。
 それまでは中古車ばかりを乗り継いできたので、乗り換えるときはだいたい廃車でした。下取りにして次の車を買うということもありませんでした。そのときは、しばらく車はいらないと思っていましたので、下取りではなく、完全に業者に売却することを考えました。そこで、ネットで学習して、複数の業者から見積もりを取りました。結局3社の買い取り業者に車を見てもらいました。どの業者も深夜を厭わず車を見に来てくれました。
 共通していたことがいくつかあります。これから車を売ろうという方がいれば、先方がこういう進め方をするのかとわかれば、心の準備ができるでしょう。
 まず、先方から査定額は出しません。どの業者も「お客様のご希望額はどのくらいですか」という言い方で始めてきます。こちらが明らかに高い額を言ったとしても、否定するような言い方はしません。これが業界共通のマニュアルのようです。査定額が出てくるのは、次の段階です。
 私の車は中古市場でも人気があったと思いますが、どの業者も良い条件で引き取れると言いました。中古市場は厳しいとか、不景気だから売れないというようなマイナスの話は一切しませんでした。後ろのバンパーに傷があったのですが、それは一切問題にならないと口をそろえて言いました。そのうえで、査定表の金額を示しながら、先方はいかに儲けが少ないかということを説明してくれます。つまり、メンテナンスにかなりの額がかかるので、査定表以上の高額では引き取れないということを懇切丁寧に説明してくれるわけです。こちらが渋っていると、即決を迫ってきます。つまり、「今日決めてくれれば1万円上乗せする」といった戦略です。これも共通していました。
 結論までに日にちをあけると、その間、担当者から何度も電話がかかってきます。連絡を密にして、人間関係によって取引をしようとする意図が感じられます。何事も最後は人と人との関係だということでしょう。世間話や趣味の話、家族の話までして親近感を築こうとした担当者もいました。それでも孤独な私には、ちょっとした慰めになりました。
 私の車に関しては、3社の査定額はほぼ同じでした。1万円か2万円の差しかありませんでした。車種によっては開きがあるのかどうか、私にはわかりません。
 私が最終的に決めたのは最も大手の会社でした。私の車は新しいスタッドレスタイヤを履いていたのですが、その会社だけは工場でアルミホイールがついた純正品に付け替えて、スタッドレスタイヤは宅急便で送り返してくれると約束してくれました。その費用も先方が負担するということなので決断しました。他の2社はスタッドレスタイヤも純正のタイヤも含めての買い取り価格でした。
 その後の手続きや車の引き取り、振込は頗る迅速でした。ただし、車検証やスペアキーなどを宅急便で送れというのは抵抗がありました。いろいろな手続きを一括して効率的に行うためなのでしょうが、宅急便でそういう書類を送ることは禁じられているはずです。
 家族の思い出のつまった車はこうして売られていきました。今は、どこかで、幸せな家族を乗せて走っていてくれたらいいなと思います。

散髪しました

2014-01-25 08:59:26 | コラム
 写真のないコラムが続きます。きっとアピール度は低いでしょうね。
 昨日、職場を早く引き上げて散髪をしてきました。そういえば、関東では「床屋へ行く」と言うのが普通かと思いますが、関西では「散髪に行く」という方が普通ではないかと思います。関西に住んでいたときにそんな違いがあることを知りました。
 本田圭佑選手は髪を切るのに決まった人がいて、わざわざイタリアまで呼んで散髪するそうですが、私は1800円なりの駅前のお店に行っています。前回行ったのがいつだったか思い出せないくらい、久しぶりの散髪でした。したがって、髪はかなり伸びており、後ろや横はむさくるしい感じになっていました。私は何も長髪が似合うとかカッコイイと思っているわけではありません。1つには理髪店があいている間に帰れないので、散髪できないという物理的な問題がありました。もう1つは、髪が後退しているのを隠すのに、長髪の方がいいような気がしていたことです。おそらく後者の方が強かったでしょう。広くなったおでこを隠すには長髪しかなく、切る勇気が出なかったのです。特に最近は毛髪が減ったように感じられ、切ったらハゲが目立つように思えて、なかなか切る気になれませんでした。
 女性へのアンケートと称して、ハゲた男性をどう思うかという質問に対し、意外に多くの女性が気にしないという回答を寄せるということが報じられます。しかし、それは本心でしょうか。私は違うと思います。ハゲた男性と毛髪が豊富な男性がいて、どちらが好きかと質問されたら、絶対に後者を選ぶでしょう。アンケートで質問されたとき、女性は「私は偏見のない心の寛大な人間よ」「うわべにとらわれるような浅はかな人間じゃないわよ」と本心を偽って回答しているのではないでしょうか。
 こうして文章にしてみると、私は相当卑屈になっていることがわかります。ほとんど言いがかりかもしれません。コンプレックスとはこうまで人を卑屈にしてしまうものかと我ながら驚かされます。
 もう髪の毛をどうにかしようなどとは思っていません。ハゲとガンが治せればノーベル賞だと言われてきたものです。科学は発達していますが、私が生きている間に、この2つの重大な問題が解決されることはないでしょう。思い悩むより、現状は現状として受け容れ、開き直って生きるしかありません。他人の目を気にするような生き方はやめようと思います。これもちょっと卑屈な決意でしょうか。
 あなたはハゲってどうですか? ちなみに育毛剤やカツラの宣伝はご遠慮申し上げます。
 
 



ナカタさんから本田選手へ

2014-01-25 06:51:24 | コラム
 ネットのニュースからいろいろ記事を読んでいるうちに、セルジオ越後さんだったかがヒデさんについて語ったコラムが目に入りました。本田圭佑選手に関する記事で、日本のメディアはヒデさんのときの過ちを繰り返すなと警告した内容でした。ヒデとはもちろん中田英寿さんのことです。
 どういう話かというと、ヒデさんがイタリアに行った時期、日本のメディアが彼を追い回し、チームやファンから顰蹙をかったという内容です。日本のメディアが監督に彼のことばかり聞くので、監督がうちの選手は彼だけじゃないとキレたり、ファンがうちのエースはあっちだと揶揄したりしたことを挙げています。なるほど、そんな取材は、チームや地元の反感をかい、ヒデさんの立場や心理にも大きな影響を与えたでしょう。
 本田選手に期待し、その近況を伝えようとする期待はわかります。もちろん彼を記事にすればお金にもなるでしょう。しかし、周囲の反応に配慮し、本田選手の立場や心理をわきまえた取材活動をすべきでしょう。大勢が押しかけて追い掛け回すのは、日本人の彼に対する期待の大きさを表すものとしてよい面もある反面、無神経な取材は大きなマイナスになることも考慮すべきであると思いました。取材陣はメディアの持つ力をよく認識して行動しなければならないと思います。
 それにしてもヒデさんは、そんなストレスも感じながらプレーしていたんですね。私がイタリア旅行に行った時期は中田英寿さんがちょうどイタリアでプレーを始めた時期でした。ペルージャの時代でしょうか。観光地でバスを降りると地元の子供たちが寄ってきて「チンチン」「チンチン」と叫んでいたのを思い出します。ちなみに「チンチン」とはイタリア語で乾杯の意味だったと思います。彼らは日本での意味を知っていて、ふざけて囃し立てていたのでしょう。そして、「ナカタ」「ナカタ」とも連呼していました。「ナカタ」=「日本語」といった感じでした。
 ヒデさんと本田選手は、寡黙なヒデさんに対し、本田選手はビッグマウスと言われ、対照的な気がします。しかし、ストイックという点ではよく似ているのではないでしょうか。サッカーのことをよく知らない(あまり興味もない)私には、本田選手はヒデさんの後継者という気がするのですが、ご本人同士はどう感じているのでしょうか。ご存知の方はいらっしゃいますか?
 今回は、ブログの人気が多少上がるかなとサッカーの話題に触れてみました。

冬の日

2014-01-12 19:19:31 | コラム
 何がうれしいかと言って、目覚ましをかけずに眠れる日ほど幸せを感じることはありません。久しぶりの休日、7時半過ぎに起きだして、1日中、家で過ごしました。テレビを見て、コーヒーにケーキなどを食べ、本当は掃除をしなければいけないのですが、それはサボって1日をのんびり過ごしました。
 夕方になって、斜めの日が部屋に差し込んできたので、ベランダから外を見ると、美しい夕焼けです。今日は1日中富士山が見えていましたが、夕焼けのころはくっきりと空に浮き出してきれいでした。思わずカメラを向けて撮ったのが、掲載する写真です。今日はパナソニックのLUMIX-GX1を使いました。刻一刻と太陽の位置や雲の形、色合いなどが変わるので、15分くらいベランダで眺めるハメになりました。寒さをこらえて撮った写真、どうですか?
 今日はいろいろなスポーツがありましたね。女子ジャンプの高梨選手の活躍にはドキドキしました。転倒しないか、風はどうかなどと手に汗を握る思いでしたが、本人はニコニコしていて大したものだと感心しました。好調を維持しているようですし、あの度胸があればオリンピックも大いに期待できそうです。でも、今日一番見たかったのは、ワールドカップで最年長優勝を果たした葛西紀明選手でした。長い不調を乗り越えて復活した雄姿を見たかったのです。ところが、この時間までスポーツ番組でも映像が流れず、大変残念です。あとは夜のスポーツニュースに期待しましょう。どこかの局で流れるかな? 楽しみにしています。

エビのご報告です

2013-12-27 18:54:42 | コラム

 今日は昼ころまで家にいたので、久しぶりに水槽の様子を見ることができました。水槽の照明はタイマーで管理しています。朝早く出勤し、夜遅く帰ってくると、照明が消えていて、中の様子はよくわかりません。早朝と夜はわからない水槽内の様子も、今日はかなりよくわかりました。
 写真は、そうした昼間に撮ったものです。ドジョウとアブラハヤ用にやった餌にエビが群がっている様子がわかるでしょうか。こういったエビの塊が、3か所ほど確認できました。つまり、かなりのエビがいるとわかったのです。かなり食べられてはいるのでしょうが、それでも相当数のエビが今のところは生きています。

やった!年賀状完成!!

2013-12-27 08:38:08 | コラム
 今年はほとんどやる気がなく、年賀状、今年でやめようかな……などとかなり本気で思っていました。その証拠に、何となくはがきを買うのも先送りにしていて、昨日慌てて郵便局に走ったところ、まだ在庫はあるようでしたし、私と同じように買いに来たと思われる人たちが窓口前に列をなしていて、ちょっと安心したりしました。そこで、クリスマスの続きを勝手にやることにし、ワインとビーフシチューなどを買って晩餐となり、例のように投げやりな気になって寝てしまいました。
 しかし、真夜中に目が覚め、俄然やる気が湧き出して、3時から8時までかかって年賀状約70枚の印刷を無事に終えました。明後日には帰省するため、明日までにはかたをつけなかければならないところ、多少のゆとりを持ってポストに行けそうです。これからコメント書きをやっても夜には投函できるでしょう。その前に御用納めで、仕事もしなければなりませんが……。
 昨年の年賀状で住所などをチェックしたところ、苗字が変わっていたり、住所表示が変わっていたり、子供が増えていたりと、みなさん、いろいろな変化があって驚きました。私も先月くらいまでは体調が悪く、検査をいろいろやっていましたが、結果が出るまでは、家財の整理やどこで最期を迎えるかなど、考えるところがありました。今、こうして人々との絆を確認し、新年のあいさつを書けることは、幸せかもしれません。
 今はパソコンで簡単にできる年賀状ですが、昔は大変でした。亡くなった父は、年末になると謄写版で膨大な数の年賀状を印刷するのが恒例行事でした。私も父の横にいて、印刷されたはがきを新聞紙に並べる手伝いをしたものです。元旦になると、父は届けられた年賀状を整理して、出していない方から来たはがきの返信を書いていました。しかし、退職すると年賀状の数は減り、父の死後は数えるほどの年賀状しか届かなくなりました。実家の歴史を年賀状が語っているようです。
 今年は仕事面で孤立してしまい、嫌世感が強まり、忘年会も断り、クリスマスはもちろん一人、何だか意固地になっていたような年末でした。ここにきて、年賀状の準備などをしていると、人恋しくなります。来年はよいことがあるでしょうか。みなさんにもよいことがあるようにご祈念申し上げます。

エビのその後

2013-11-10 15:36:26 | コラム
 「そうだ、京都行こう」じゃなくて、「そうだ、エビのその後のこと、書くの忘れてた」ことに気づきました。
 あれ以来、小さなエビはまだかなりいます。抱卵しているエビもいるので、まだ増えるかもしれません。問題のドジョウですが、ますます巨大化して、水草の間をのたくっています。うーん、怪しい。しかし、どうすることもできません。
 それにしても私の飼っているエビはなんなのでしょうか。ミナミヌマエビは夜行性のはずなのですが、私の飼っているエビたちは、朝はまったく姿が見えず、かなり明るくなってから活動を始めるようで、どちらかと言えばネボスケです。
 今日はステレオを聴きながら、少しだけ掃除をしました。洗濯もしました。午後になって日差しがでてきたようです。