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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

はまったコレクション

2010-03-17 11:24:27 | コラム
 先日、コンビニで缶コーヒーを見ると、上部にチョロQの入ったカプセルがついているのを発見し、思わず購入してしまいました。職場で缶コーヒーを買う機会もあり、買っておいても無駄になりません。120円のコーヒーを買うだけでチョロQがついてくるのですから、ディスカウントに弱い私には魅力です。
 時期がずれると、いろいろなメーカーから様々な種類のチョロQが出てきます。最初は小さなスポーツカーのチョロQでしたが、その後、アルミダイキャスト製のオフロードカー、シボレーのシリーズ等々。武将ブームの余波か、馬に乗った武将シリーズなんかもありました。次々に計10個くらいは手に入れてしまったでしょうか。よく見るとなかなか精巧に出来ているものもあり、見ているだけでも楽しいです。プルバックで走るので、さらに楽しめます。
 昔は、グリコのキャラメルのおまけが楽しみでした。最近は、カイヨウドウのフィギアが話題になったこともありました。おまけって何か魅力的です。中身がわからないのもワクワクしますし、中身のわかるものでも、買いに行って希望のものがあるかどうか、ドキドキします。要するに、手に入れるまでも結構楽しめるのです。
おまけが好きなのは、今も昔も変わらないようです。子供も大人も同じかもしれません。売り上げに、どの程度影響するのかわかりませんが、普段は財布のひもの固い私などもはまってしまうほどですから、かなり効果があるのかもしれません。

あまおうを食べて考えたこと

2010-03-15 07:42:08 | コラム
 おいしそうなイチゴが店頭で甘い香りを放っています。昔は「とよのか」「女峰」「とちおとめ」くらいしかなかったと思いますが、今はいろいろな品種が開発され販売されています。その中でも、大きさや色つや、そして、何と言っても爽やかな酸味と強い甘味をもった「あまおう」は、華麗なイチゴといってもよいほどですね。この「あまおう」、「甘い王様」という意味の命名かと思っていましたが、実は違うようです。「あ」かい、「ま」るい、「お」おきい、「う」まいの頭文字をとって名づけられたということを知りました。
 生産農家の方がテレビで言っていましたが、イチゴには食べ方もあるんですね。正しいイチゴの食べ方は、へたと取ったら、そこから食べる。するとほどよい酸味がまず味わえます。次に、下の方へ進むと甘味が強く感じられるわけです。イチゴも下の方、つまり、尖っている下の方が甘いそうです。もっとも、小さなイチゴなら一口で食べられますから、こうした食べ方は「あまおう」のような大きなイチゴにしか当てはまらないでしょう。
 幼い頃、イチゴはめったに食べられない高級品だったように思います。小さな粒のイチゴを牛乳に浸して潰して食べたり、練乳をかけて食べたり、グラニュー糖だけを軽く振って食べたり、思えば、いろいろな食べ方をしていました。
 昔のイチゴの方が甘味が強かったように感じるのは気のせいでしょうか。イチゴも品種改良されている作物ですから、時代の要請で、少しあっさり目に味を変えているのかもしれません。ヘビーなものよりライトなものが好まれるご時世ですからね。考えてみれば、自然の植物を人間の嗜好で変えているわけです。遺伝子組み換えをやってしまうくらいですから、そのくらいのことは朝飯前でしょう。人間というもの、ちょっと貪欲ですね。どこまでが許されるのか、よくわからなくなってきます。

知るは楽しみなり

2010-03-14 06:59:17 | コラム
 毎年、この時期は京都大学の公開セミナーに出席しています。漢籍、つまり漢字で書かれた資料を題材に、3名ほどの講師が講演してくれます。当然、東アジアの文化について多くを学ぶことができます。
 今年は、中国の刑罰について、古代、中世、近代の時代区分で教えてもらいました。一番驚いたのは、中国ではかなり早い時期から、現代の法廷でやられているような、民主的な裁判が行われていたこと。原告、被告がいて、それぞれの調査官がいて、裁判官が調書をもとに判決を出す。そして、それは公開されていたようです。刑の種類もしっかり決まっていて、5刑として長い間定着していました。死刑、流刑、労働刑、杖打ち、笞打ちです。中国というと、残虐な刑をつい連想してしまいますが、酷い肉刑についても、早くから禁止されたようです。
 講師の先生によれば、ヨーロッパでは、12~13世紀でも、神による審判が行われていたと言います。しかし、それは中国が進歩的だったと言うことではないそうです。真理に対する考え方の相違ということでしょうか。人間が真理を究明できるか否か、ということです。中国の人々は、それができると考えたのですね。
 かつて、中国は先進国でした。学校の歴史の勉強でも習ったことです。それが、現代ばかりに気を取られていると忘れられてしまう。訴訟社会と言えば、現代のアメリカのことばかりが連想されますが、清朝はすごい訴訟社会になっていたことも知りました。
 中国が大変な合理主義の国であったこと、それを刑罰から勉強できる良い機会でした。新しいことを学ぶというのは、すがすがしいことだと最近感じています。昔、NHKのアナウンサーで「知るは楽しみなり」と言っていた方がいましたが、本当にそう思います。刑罰なんて、あまり関心はありませんでしたが、行ってみてよかったと思いました。

歯肉炎に苦しむ

2010-03-08 21:57:23 | コラム
 今日は朝から口内炎で辛い1日でした。左下の治療が終わったばかりの歯ですが、根本の歯茎が腫れて、鈍く痛みます。午後には、つばを飲むだけで痛むほどになりました。花粉症や風邪の時のように頭がぼんやりし、集中力もなくて、今日は1日仕事になりませんでした。
 帰りには、デントヘルスを薬局で入手。早速患部に塗りましたが、ずきずきと痛み出す始末でした。食欲もなく、本当なら帰宅してすぐに寝たいところですが、家人がいないせっかくのチャンスを無駄にするわけにはいきません。馬鹿馬鹿しい話ながら、酒屋に寄り、4合瓶を購入して帰宅、なるべく柔らかい酒肴を用意して、しっかりと飲みました。
 歯が痛むと言うだけで、ずいぶんと辛いものだなあと思いました。仕事ができないばかりか、好きな酒の味も落ちてしまいます。失ってわかるのが健康だと言います。今日はまったくその通りだなあと実感されました。
 このだるいような痛さは「身も世もない」という形容がピッタリです。我慢できるのは、腫れがひけば痛みも治まるとわかっているからです。これが癌のように、消えないとわかっていたら救われません。
 実は、昨夜、昔お世話になった方に本当に久しぶりに電話をしました。その方は、開口一番、大変なんだとおっしゃいました。大腸癌で、数日後に入院するというのです。酒の好きな人で、一緒に飲もうと誘うつもりでしたが、もちろんそれは叶いませんでした。周囲も、皆、そういう歳になったのだと思う以外に、気持ちを落ち着けることはできませんでした。
 今、患部を氷で冷やしています。酒で火照った頬には効かないような気もします。やはり今日は飲むべきではありませんでした。後悔先に立たずというヤツです。

しみじみとウルトラマンエースを見る

2010-03-07 19:24:44 | コラム
 私はウルトラマン、ウルトラセブンの世代で、その後のウルトラファミリーを知りません。今日は、昨日の仕事で大役を終え、家人もいないことから朝から飲んだくれていました。先程テレビをつけたらウルトラマンエースをやっていて、初めてしみじみと見ました。
 孤児だった研究者が超スピードの車を設計しますが、彼は誰も信じることができず、それをアタッシュケースに入れて常に携帯しています。彼を慕う女性がいるのですが、彼は金や名声を得たら「ふさわしい女性と結婚する」と言って相手にしません。しかし、彼女は彼を気遣い、怪獣に襲われた彼を命がけで助けるのです。そこで、初めて、彼は女性の愛情の深さに気づき、設計図を川に捨ててしまう。そうしたクライマックスシーンでも抱擁やキスシーンがないことは言うまでもありません。
 人生は金や名誉ではないというメッセージが、露骨ですが確実に伝わってきます。ウルトラマンエースでなくてもよいのではないかとは思いますが、それは置いておきましょう。昨日でしたか、日本アカデミー賞の授賞式で、確か渡辺謙氏が「矜持」というお話をされていたと思います(昨夜も飲んだくれていたので定かでない)。ウルトラマンは昔のドラマであるせいか、その矜持をしっかりと持っていたと思います。子供番組として、何をメッセージとして届けるか、無骨ではあっても、苦労して取り入れ、物語を作っています。最近の子供番組を知りませんが、そういう矜持を持って作られているでしょうか。人気や視聴率ばかりを気にして作られているとしたら考え直す必要があると思います。
 ゲームや携帯電話など、子供にとってどうすべきかという議論もないまま、企業の戦略によって、今日の隆盛があります。これをゼロにもどすことはとうてい不可能でしょう。しかし、子供達が抱える多くの問題の中に、影響していることは確かです。企業は矜持を持ち、責任を持つべきです。儲かればよいというスタンスではいけません。教育は学校や家庭だけのものではない。グローバル社会にあって、そんな狭い範囲を大きく逸脱しています。企業倫理がもっと問われる社会になるべきでしょう。トヨタの安全対策がどうだったのか、詳しいことは知りませんが、企業として社会に向き合う姿勢をしっかりと示して欲しいと思うような出来事でした。
 ウルトラマンエースの最後のナレーション、岸田森氏だったんですね。ウルトラQの時代からだと思います。そのナレーションに曰く、「私たちはまた新幹線の旅を楽しめるようになった。ウルトラマンエースのヒューマンな行為によって。」うーん、子供番組を考慮してか、直接的でわかりやすい表現ですね。

昔の記憶

2010-02-27 21:01:28 | コラム
 昔の記憶、とくに幼かった頃の記憶って不思議ですね。ときどき思うのは、空間の大きさです。例えば、生まれ育った家は、もう改築してしまってありませんが、思い浮かべると、異様に広い。もっとも、最初は気づかずにいて、そのうちに、よく考えてみればそんなはずはないと気づくといった塩梅です。それに似たことは、よく経験します。昔行ってみた場所に行ったら、意外に狭くて驚いたという体験です。幼い頃は、自分が小さいですから、相対的に外界が大きく記憶されてしまうのでしょうか。これは個人的な感覚ではなく、一般的に言えることなのではないかと思うのですが、どうでしょうか? 単なる記憶違いでなく、もう少し根源的なものがあるような気がするのです。
 逆に言えば、自分が大きくなっているということでしょうか。それは体の大きさだけではありません。自我というものが大きくなると、周りが小さくなっていくかもしれません。自我が肥大化し、周囲に対する関心が薄れ、自分だけがクローズアップされてしまう。すると、自分と周囲の大小など気にならないでしょう。小さな自分が走り回っていた空間は広いかもしれませんが、巨大化した自分では、空間は相対的に縮小するでしょう。
 幼い子供を見ていればわかりますが、自分勝手ですね。自我しかないくらいに見えます。でも、外界に対する純粋な心が、外界と自分の大きさを計測して、外界に対する自分の大きさを規定するのではないでしょうか。子供にはそういうところがあるように思います。大人になる、童心をなくすということは、そういう計測が狂っていくことのように思います。これは、よいとか悪いとかいう問題でなく、きっと誰でもそうなのでしょう。きっと宿命的なものだと思います。

ウズラを預かる

2010-02-17 22:06:21 | コラム
家人がウズラを預かって来ました。メスが2羽です。ウズラをそばで見るのは初めてですが、想像以上に大きいですね。菜っ葉はすぐに食べてしまうし、暇さえあれば餌を口にしており、健康的には問題ないようです。卵も産みました。いろいろな鳴き方をしているのは、お互いに会話をしているようです。可愛いものですね。
 動物好きですが、鳥だけは飼ったことがありません。空を飛ぶ自由を奪って小さな檻の中に閉じこめているのは犯罪のように思うのです。そんなことを言えばペットは何も飼えないことになってしまいますが、鳥だけは「自由を奪う」ということがはっきりと見えすぎてしまうのです。そして、多くの小鳥は華奢ですよね。そういう小動物を虐待するのも忍びない気がしたのだと思います。
 ウズラと言えば、以前、このブログにも書いた気がします。京都の鷹峯にボルドーというフランス料理の名店があり、ランチメニューで私がいつも注文するのがウズラのソテーです。ずいぶん小さなウズラが唐揚げのような感じでソテーされてくるのですが、柔らかく滋味深い逸品です。鷹峯は京野菜の産地としても有名で、添えられた野菜も絶品、さらに、多くのケーキが揃ったデザートも素晴らしく、多少値が張りますが後悔したことはありません。籠の中のウズラを見ていると、あの食感が思い出されてお腹が鳴ります。でも、大きすぎて美味しくないのだろうと思って、食欲を抑えています。
 短期間ですが、仕草を見たり鳴き声を聞いていたりするだけで、鳥って可愛いなあと思ってしまいます。別れるときは、ちょっと辛くなるかもしれません。ソテーにすることだけはないでしょう。

今朝の漫画

2010-02-16 21:20:21 | コラム
今朝、バスに乗ると、中高年の男性が座席で少年漫画誌を読んでいました。混んでいたので、嫌でもずっと目に入っていました。最近は、こんな感じの漫画が多いのか、久しぶりにマンガ誌をのぞいた私は、ちょっとシリアスで暗い漫画が多いなあと感じました。中高年が漫画を読むことを、私は何とも思いません。自分は読まないと言うだけで、肯定する気も否定する気もありません。
 私も幼いころは漫画が好きでした。私は「天才バカボン」の1つの話が印象に残っています。例によってバカボンのパパがノーベル賞作家を目指すという与太話です。バカボンのパパが編集者に見せるのは川端康成の『雪国』冒頭をもじったものだったと思います。トンネルを抜けた「私」は馬にまたがるとそのまま駆けだし、ポカラン、パカランという描写が延々と続いていく。それを読んでいた編集者はトランス状態となり、いろいろなものを跳ね飛ばしながらあたりを駆けまわる・・・・・・そんなストーリーだったでしょうか。30以上前の記憶なので、定かではありません。しかし、それを読んだ私は、長い時間転げまわって笑っていたことを覚えています。
私たちの時代、マンガはスポコンと呼ばれたスポーツ根性もの、未来を描いたSFもの、ナンセンスものなどが多かった気がします。スポコンものでは、運動にのめりこんでも一向に上達しないストレスを見事に発散するような、強さや必殺技などが描かれています。SFでは、科学の進歩を反映するようにロボットや変身ものが流行りました。受験戦争で鬱屈した精神を解放してくれたのがナンセンス漫画だったかもしれません。
 私が今朝目にしたのは少年誌でしたが、台詞も多く、とうてい子供を対象としたものではないと感じられました。漫画は中高年のものでもあり、いまや国際的なものでもあるのです。時代は変わったと思いました。
 やたらと霊界や妖獣が登場する、おどろおどろしい漫画は、現代の何を反映しているのでしょうか。人間の精神が作り出す複雑で深い世界への回帰とみるか、怖いもの見たさといった野次馬根性とみるかでは、大きな隔たりがあります。
 どちらでも構わないのですが、殺伐とした内容の漫画ではなく、若者や中高年に夢や希望を与えてくれる、そういう漫画が多く読まれてほしいと願っています。

ある日の本郷の街角で

2010-02-14 12:44:09 | コラム
 平日の午後、本郷の古本屋を訪ねました。久しぶりで行きましたが、行くたびに少しずつ店が減っているように感じます。
 本郷三丁目で丸ノ内線を降りると、最初に行くのは大学堂さんです。ここは4年くらい前までは赤門の方にもう一軒店舗があったのですが、今は駅の近くの雑居ビルの奧でひっそりと営業しています。毎回、棚を見回しながら、店番の奥さんとお客さんとのやりとりを聞くのが楽しいです。先日も、地元の昔の様子を知る方がお客さんで、いろいろな会話を交わしていました。そこでも廃業する店が多いと話題になっていました。
 何も買うことなく、赤門前のルオーで遅い昼食。ここはセイロン式カレーとうことで、カレーが名物です。店内は、ルオーの複製画や絵がたくさん掛けられていて落ち着きます。特に、コーヒーカップが彫り抜かれた木の椅子は重厚で感じがよいです。今はもうなくなってしまった下町の喫茶店、それがルオーです。カレーは、ジャガイモと肉以外は溶けて形がありません。肉はよい肉がじっくり煮込まれていて美味です。カレー自体も、欧風カレーと変わらず、食べやすいものでした。ボリュームもあります。デミタスコーヒーが付いて900円はお買い得でしょう。
 さて、そこを出て、神保町にも回ろうと歩いていると、懐かしい顔と出くわしました。先方でもすぐに気づいてくださり、すぐにご自宅に誘われました。私が、最初の職場でお世話になった大先輩でした。20年も昔の話です。その間、会合で一度お目に掛かったきりで、あとは年賀状を交わす程度でした。奥様を数年前に亡くされたことは年賀欠礼の葉書で知っていました。
 狭い路地を入って、ご自宅に案内され、いきなり、いろいろな原稿を見せられました。本郷の街を調べるうちに歴史に関心を持つようになり、ときには遠方に実地踏査までなさって、テーマを追いかけていらっしゃいました。85歳だということでしたが、信じられないくらいでした。昔話をするでもなく、ひたすら調査の結果を話してくださいました。私は、先輩が生き急いでいらっしゃるような気がして、少し不安になりました。どうしても、今話しておかなければならないといった、切羽詰まった感じがありました。でも、その後は、行きつけのお店に連れて行っていただき、1時間ほどお話しして別れました。
 年賀状の住所から本郷に住んでいることは存じ上げていました。でも、まさか偶然出会うとは思ってもいませんでした。人の縁の不思議さを考えずにはいられませんでした。もしルオーでカレーを食べていなければ、タイミングがずれてお会いすることもなかったでしょう。
 昔から話好きな方でした。今はひとり暮らしで、近くに親族がいるとはいえ、淋しかったのでしょう。私のことなどまったくお尋ねはなく、ただただご自分の近況を話されていました。私も他人事ではありません。また時間を作ってぜひお訪ねしようと思います。

初めてのハリ

2010-02-13 10:35:34 | コラム
 医療の問題がいろいろ取り沙汰されますが、地域社会の要に町医者がいた時期があったと思います。私自身を考えても、幼少の頃は近所の女医さんに診てもらっていました。そこは家族全員がかかっており、女医さんは私たちの主治医でした。診察の時も、病気のことだけでなく、世間話を含めて、家庭の問題などが話題に上っていたのを、幼心にもちょっとだけ覚えています。
 現在、私が住んでいるのは、東京都下の市部ですが、マンションや新興住宅地が目に付く地域です。それでも、表通りから1本路地に入れば、昔からの街並みや生活を目にすることができます。今回は、家人の紹介で、そんな住宅街にある町医者を訪ねることになりました。
 私は数年前から、左肩の関節ネズミを患い、痛みがひかなければ手術で遊離した軟骨を除去すると言われています。幸い、強い痛みもないので手術には至っていませんが、今度は、利き腕である右肩が痛み出しました。そこで、ハリの治療を受けようと決意、休みをとって出かけました。
 その医院は、住宅街の奧にあり、看板がなければ普通の住宅です。内部も、昔の記憶がよみがえるようなレトロな雰囲気でした。受付の女性も先生も、おっとりとして包容力があり、安心できました。初めてのハリは、刺さる痛みはなく、刺してから電流が流れ、肩がだるく重くなるような鈍いものでした。人によっては、気分が悪くなるようなケースもあるようです。先生はいろいろと説明しながら5~6本のハリを打ってくださいました。
 診断は四十肩とか五十肩と言われるもの。通常放っておいても半年から1年で痛みは消えるようです。ハリは、緊張した筋肉の部位と部位との関係を、電気を使って逆転させるものとのこと。何度もしなければならないものかと思っていましたが、さにあらず。一度で十分だそうです。服を脱いだり着たりするときにあった痛みはほとんどなくなり、2000円に治療費は安いと思いました。
 治療を終えて外へ出ると、何だかタイムスリップしたような妙な気持ちになりました。だいたいハリ自体が古いもののように感じていましたし、先生の雰囲気も昔の町のお医者さんでした。肩の痛みがひいた以上に、何だか懐かしくて、気持ちが満たされたように感じました。そういえば育児相談などもやり、パニック障害の患者さんも多いそうです。守備範囲の広いお医者さんでした。

メイドインジャパンの底力

2010-01-31 21:21:35 | コラム
 私の父は器用な人で、昔は家のことはほとんど何でもやってしまう感じでした。棚を吊るなど朝飯前で、古くなったタンスを新品と見まごうばかりに再生したり、屋根のモルタルを塗ったり、徹底したものでした。迷惑というか、とばっちりを受けるのが私で、日曜のたびに、さまざまな大工仕事の手伝いをさせられました。もっとも、夏休みの工作の宿題などはすべてお任せしていたので、ギブアンドテイクの関係ではありました。
 そんなわけで、私もDIYは嫌いではなく、今の自宅でもベランダのスノコは自分で作りました。今日と先週は、家人が購入した小さなタンスを組み立てました。これはDIYとは言えない代物かもしれません。材料はすべて寸法通りにできており、ネジや金具もあり、それを設計図通りに組み立てるだけですからプラモデルと変わりません。安価なものですから、さして見栄えがするものではありません。それでも、多少の大きさはありますので、組み立てるのは苦労しますし時間もかかります。思っていたより楽なものではありませんでした。
 今回の製品は中国製でした。ネジとねじ穴が合っていなければうまく組み立てることはできませんが、そんなことはありませんでした。集積材の加工に雑なところは見えましたが、値段からいえば許容範囲でしょう。梱包などは丁寧でした。
 写真は、日本製の棚です。これも通販で買ったものを私が組み立てました。ドアとドアの間のわずかな隙間で、奥行きは20センチメートルもありません。そこへ実にピタリとはめ込めるジャストサイズでした。この製品はとても作りが良く、加工の精度も高いものでした。梱包のしかたが悪く、一度、交換してもらいましたが、それは説明書の解説のしかたが悪いだけで、製品自体の欠陥ではありませんでした。奥行きがないために、すべての棚が、最下段の棚が開けてあるようにハッチ式に開く構造です。本当に良くできていて、日本の製造業の底力を見た思いがしました。メイドインチャイナをけなすつもりは毛頭ありませんが、メイドインジャパンをもっと評価しなければならないと感じました。


ああ!バスカード

2010-01-28 22:59:09 | コラム
 今日は生活に密着した話題から、バスカードです。共通バスカードをずっと使ってきました。定期を買えばよいのですが、毎朝、通勤時はバスを使い、帰りはバスを使わずに歩いています。つまり、1日に片道しかバスを使いません。それなのに定期を買うのはもったいないだろうという考えです。でも、本当は、もったいないから帰りに歩いているのであって、定期を買って往復乗ることを考えると、計算が違ってくるのだろうと思います。
 バスに乗れば10分程度の道のりです。歩けば30分弱でしょうか。なかなか微妙な距離ではあります。正直言えば、往復バスにしたいです。けれど、それでは、もっと運動不足になることは目に見えています。ウォーキングしている人もいるくらいですから、運動と節約を兼ねて歩いていると思えば、一石二鳥なわけです。
 さて、そのバスカードが12月31日で販売終了になったと知りました。駅の売店で、そう言われたのです。ショックでした。翌日、バスに乗って注意して見ると、確かに掲示物がありました。
 いよいよ定期にするしかないかと悩み、定期購入を決心した矢先、バスに乗った際に運転手さんに尋ねると、「ありますよ」という答え。あまりのうれしさに5000円券を2枚買ってしまいました。販売が終わったのは売店のことだけで、バスの運転手さんを通じてはまだ買えることがわかりました。
 とは言え、使用できるのは7月までで、以後はPASMOに替わるようです。PASMOでもバスカードのサービス継承が唱われていますが、今までなら5000円のカードを買えば、期限に関係なく5850円使えましたが、PASMOでは、1ヶ月に5000円使ったら850円分の無料乗車が出来るというもので、1ヶ月という期限が設けられるようです。私などにはあまりメリットがありません。
 厳しい時代ですし、電子カードの進歩もあり、新しいサービスに切り替えられていくのはしかたがないことなのでしょうねえ。でも、毎日のことですし、ちょっと納得できないので、だらだらと愚痴ってしまいました。
 

プラモデルの思い出

2010-01-27 22:07:28 | コラム
今日の帰り道、暗いバス通りを歩いているとき、シャッターの閉まった小さな店に気づきました。スレートぶきの屋根に「○○○模型店」の文字が読み取れました。今まで何度となく前を通りながら、まったく気づきませんでした。人間っていったい何を見ながら歩いているのかと、我ながら少し呆れてしまいました。
 今では完全にやっていない感じですが、おそらく十数年くらい前までは、店をやっていたのでしょう。近くに住む子供達が、プラモデルを買いに来ていたかもしれません。今は、周囲を見回しても、子供のいそうな家は見あたらないように感じます。商店街でもない、ただ小学校が少し近くにあるという立地条件だけでは、商売は成り立たないでしょう。
 少年時代の私は、毎日10円玉の小遣いをもらって、ナンカ屋へ通っていました。ナンカ屋というのは、私たちの言葉で、強いて言えば駄菓子屋でしょうか。駄菓子だけでなく、文房具から食品までいろいろなものを売っていました。その店で手に入る玩具で少し高級なのがプラモデルでした。といっても本格的なものではなく、当時で50円とか100円くらいのものでした。それでも、日常の中では、プラモデルを買えることはほとんどありませんでした。プラモデルが買えるのは、特別なときで、お盆の夜店か、誕生日に専門店で買うというくらいでした。私の父は器用な人で、私が保育園に通っていた頃から、かなり精巧なプラモデルを作ってくれました。父が作ってくれたプラモデル、それは私の一番の宝物でした。
 もうかなり昔に店じまいしているに違いない店を見ながら、そんな昔のことを思い出しました。夜風が身にしみるような、寒くて暗い夜でした。

気になるブログ

2010-01-25 00:07:02 | コラム
 他の方のブログを読むことはあまりありません。自分で書いているのに、他人のものを読まないというのは、どこかおかしい気がするのですが、あまり魅力を感じないのです。
 そういう中で、ときどき気になって訪問するブログがあります。こんなところに書いてよいのかどうかわかりませんが、ヤフーのブログで「ほっとするひととき」というタイトルです。作者は主婦で、関西に旦那さんと息子の3人暮らし。日記風に書かれていながら、単なる日記ではない、すごいブログです。
 このブログの紹介はどう述べたらよいのでしょうか。題材は、すべて日常の身の回りの出来事なのです。主婦の日常が淡々と綴られているわけです。しかし、その感性というか、切り口の見事さ、文章表現の的確さというか、さりげなさ、これらが見事に調和している感じとでもいうのでしょうか。ほのぼのとした家族の生活が、非常によい距離感で浮かび上がってくるのです。生活者としての確固たる視点から書かれているから、素晴らしいのかもしれません。
 私は、この作者のベースになって一貫している家族愛というものが、一番の力になっているのだろうと思います。年明けに覗いてみたら、愛犬の死の様子が淡々と書かれていました。愛犬に寄せる思い、家族の悲しみ、作者はそのすべてを包み込んで、現実をしっかりと受け止め、未来へつなげていこうとしています。私は、愛犬に対する感謝の気持ちに、作者の人間性を感じて胸が詰まりました。本当に情の深い方だなあと感心します。そうした心から出てきた思いを、見事に表現している力もすごいです。ときどき詩のような文章もありますが、心が洗われる気がします。愛犬の死に対しても、溺れた文章ではありません。客観的に書くのが難しい状況の中でも、冷静に家族や自己を観察し、的確に表現されています。
 主婦といえども、恐るべき書き手だと思います。私などとても及びません。それは、志の低さ、自己満足的な文章表現、すべての点で一歩も二歩も及ばないと感じています。この後のますますの発展を、一読者としてお祈りしています。

ホスピタリティーの神髄

2010-01-16 21:42:47 | コラム
 最近みつけた胸の熱くなる話を紹介します。有名な話なので、すでにご存じの方も多いでしょう。実話なのだそうです。
 東京ディズニーランドの中にあるレストランに、若い夫婦が2人で入って来ました。
 店員はその夫婦を2人がけのテーブルに案内し、メニューを渡しました。するとその夫婦はメニューを見ずに「お子様ランチを2つ下さい」とオーダーしたのです。
 店員は困りました。ディズニーランドの規則で、お子様ランチを提供できるのは9歳未満と決まっていたからです。
 店員は、「誠に申し訳ございませんが、お子様ランチは9歳未満のお子様までと決まっておりますので、ご注文はいただけません」と丁重に断りました。
 すると、その夫婦はとても悲しそうな顔をしたので、店員が事情を聞くと、奥さんが言いました。
 「今日は、亡くなった私の娘の誕生日なんです。体が弱かったせいで、娘は最初の誕生日を迎えることも出来ませんでした。子供がおなかの中にいる時に主人と
 “3人でこのレストランでお子様ランチを食べようね”
って言っていたんですが、それも果たせませんでした。子どもを亡くしてから、しばらくは何もする気力もありませんでした。それでも、最近やっと落ち着いて、亡き娘にディズニーランドを見せて、3人で食事をしようと思ったのです・・・・・・」
 店員は話を聞き終えた後、「かしこまりました」と答えました。そして、その夫婦を2人
掛けのテーブルから、4人掛けの広いテーブルに案内しました。さらに、「お子様はこちらに」と、夫婦の間に子供用のイスを用意しました。
 やがて、テーブルには、お子様ランチが3つ運ばれてきました。その店員は笑顔でこう言いました。「ご家族で、ごゆっくりお過ごし下さい」
 この出来事に感動した若い夫婦は、帰宅後に手紙を書きました。
 「お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように、家族の団欒を味わいました。こんな娘との家族団欒を東京ディズニーランドでさせていただくとは、夢にも思いませんでした。これから、2人で涙を拭いて生きて行きます。また、ニ周忌、三周忌に娘を連れてディズニーランドに必ず行きます。そして、私たちは話し合いました。今度はこの子の妹か弟かをつれてきっと遊びに行きます・・・・・・」
 
 実話と言いながら、この話にはいろいろなバリエーションがあるようです。伝言ゲームのように、途中でそうなったのでしょう。それにしても、サービスの本質というものを考えさせられます。以前、アメリカのディズニーランドを取材したドキュメンタリーを見たことがあります。そこでは障害を持つ子供達を、実に手厚く受け容れていました。一生の思い出になるようにと、子供を含めた家族を、スタッフ全員がもてなすのです。アメリカのホスピタリティーの神髄を見た思いでした。日本のディズニーランドでも、そういうもてなしがなされていると知り、うれしくなりました。