goo blog サービス終了のお知らせ 

観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

育毛の王道教えます

2009-03-11 00:35:56 | コラム
 髪が気になりだしたのはいつごろでしょうか。遺伝的な要素があると予感していましたので、早めに対策はとっていたつもりです。しかし、数年前からは、はっきりと兆候が現れてきたように感じていました。久しぶりで会う知人も「よお」と言いながら、最初に目をやるのは前髪のあたりだったような・・・・・・。
 具体的な対策といえば、発売当時からリアップを愛用してきました。薬は何でもそうですが、個人差が必ずあるわけで、リアップも長年使用しても、期待するような効果は見られないように感じました。そこで、あるとき、別な養毛剤に変えたのですが、その間、何やら症状が進行したような・・・・・・? しかたなく、リアップに発毛の効果はなくても、抜け毛を防ぐ効果があったのではないかと考え直し、以来、一筋に愛用しています。
 最近、シャンプーの際に使用するブラシを購入しました。ブラシと言っても整髪するときに利用するような物ではなく、プラステック製の歯がついたような代物です。これで頭皮をマッサージすると、毛穴の油脂が除かれているような気もしますし、指先でやるよりは力も入るので、マッサージにもなっていると実感できます。かれこれ2ヶ月ほど使ってみて、最近は、密かに髪にコシが出て来たような感触を得ています。ひょっとして少し髪が増えたのではないかという、希望的観測もしたり・・・・・・。まあ、錯覚だろうとは思いますが、もう少し励んでみたいと思っています。今まで、錯覚にせよ、髪に変化が出て来たような感覚はなかったので、今後に大いに期待です。やはり、育毛の王道は、毛穴の脂分をとることとマッサージなのだと思われます。
 惜しむらくは数年前にこうした錯覚を感じていたら、もっと積極的に違う女性にアプローチできたのに・・・・・と思いますが、後の祭りです。蛇足でした。

雛祭り

2009-03-03 23:33:11 | コラム
 納戸の整理をしていたら、懐かしい文字を見つけて、思わず手に取りました。それは、故郷にある某美術館のミュージアムショップで購入した食器でした。確か数年前、母から家人に譲られ、使われずにしまってあったものでした。その箱に、母の字で、平成9年の日付と、私と姉の名前が書かれていました。母はちょっとした小物を買うのが好きで、旅先などでよく購入していました。そして、旅の思い出としてか、備忘録のように日付と場所をメモするのが習慣になっていました。
 私は、しばらく実家に連絡していないことに気づき、電話をとりました。母の声は意外に元気そうで安心しました。姉の話では、ボケが相当進んでいるとのことでしたが、少しの会話では以前とそれほど変わらない気がしました。
 父も元気そうでした。父とは仕事の話や日常の生活の話をしました。酒を飲んでいないと話すと「あんたは大したものだなあ」と褒めてくれました。私は酒好きですが、家人に「酒は嫌い」という理由から家出され、戻る条件として禁酒を命じられて以来、日常飲むことはなくなりました。酒乱なわけでもなんでもありません。酒を飲んでダラダラしているのが耐えられないそうです。1年間、そんな生活が続いて、私も慣れてきました。正直、飲みたい日もあります。でも「今日くらい飲んだら」というような優しい言葉を期待することは金輪際できません。そういう性格の家人ではないのです。私は、自分が我慢すればすむことだと考えて、相手に過剰の期待をすることもなくなりました。
 毎年、雛祭りには、母にちょっとした和菓子を贈って来ました。雛人形の飾りがついた、子供だましのような品物です。今年は、いろいろあって贈ることができず、姉に頼みました。その姉も忙しい人なので、約束を果たしてもらえたかどうか、定かではありません。 今月は、土産を持って両親を訪ねるつもりです。

エッ! 一円ハゲが! マジすか?

2009-03-01 00:31:27 | コラム
 今日、鏡を見て驚きました。右の耳の上のあたりです。最初は寝癖でもついて、そんな具合になったのだろうと思いました。でも、よく見ると、一円玉大に毛が抜けているのです。恐る恐る触ってみると、意外なほどのすべすべ感です。
 突発性の脱毛症というものがあり、多くの方々が悩んでいることは知っていました。はっきりした原因や発病のメカニズムも謎で、治療法が確立していないことも聞いていました。進行は速く、どんどん毛が抜けてしまい、丸坊主に近くなってしまう症例も少なくないそうです。
 この一円ハゲがどうなっていくのか、はっきり言って恐怖です。私の場合、原因は明白でしょう。ストレスです。毎日、家人の顔色をうかがい、小さくなって生活している状況が招いた悲劇であることは間違いありません。最近は、人間が出来てきて、あまり苦にしないようになっていたつもりでした。しかし、家人の異常性は高まる一方で、常軌を逸している。それを受け容れようと努めてきたこちらのストレスはたまる一方だったのでしょう。ついに体が悲鳴をあげ始めたというところでしょうか。
 一円ハゲは子供のものだと思っていました。屈託のない子供のように見えながら、意外に繊細な部分を持つ子供が罹るものだと信じていたのです。昔、一円ハゲができた子を見て、コイツは顔に似合わずデリケートなんだななどと考えたものです。まさか、この歳になって、我が身に一円ハゲとは! 冗談にもできない、哀しい結末が待っていました。

死にたいと言われたら?

2009-02-10 22:28:19 | コラム
 身近な人間から「死にたい」と言われたらどうしますか? この場合は「自殺したい」ということです。
 一ヶ月ほど前、私は、そう言われて困りました。深夜でした。
 最初に浮かんだ思いは、何とか引きとめなければならないという思いでした。心身共に疲れ切って動けないということでしたので、すぐに手首を切るとか飛び降りるというような、切羽詰まった状況ではありませんでした。時間をかけて話せば、説得できるのではないかという余裕が、こちらにはありました。
 しかし、生来、我が儘で頑固な上に、互いに強い絆を持たない相手には、私の言葉は全く通じないようでした。私は、もう手の施しようがないのかもしれないと思い、半ば自分の覚悟を決めました。すると、不思議なことに、相手のいなくなった、かなり先までの生活がイメージとして見通せました。何より、閉塞感で一杯の気持ちが解放されるかもしれないという期待が、頭をもたげてくるような気がしました。
 「最後に『命の電話』というものに相談してみたい」と相手が言うので、電話番号を調べて伝えました。案の定、話し中で通じませんでした。私は、自分と相手との細い絆が、またさらに細くなったことを感じました。「命の電話」に電話したいというのが何とも暢気で、本当に死にたいと考えているのかという疑念を生んだことと、自分は「命の電話」にも劣るのだということを思い知ったからです。
 私は、代わりに、信頼できる人に電話するように言いました。ある人物が浮かんだからです。相手は、その人に電話したようでした。私は席を外し、ときどき、様子をうかがうようにしていました。
 二時間ほどたったでしょうか、相手は、自殺をあっさりと撤回していました。数時間前が嘘のように、生気が戻っていました。「一喝されて、我に返った」ということのようでした。私は、安堵するとともに、相手の単純さに苦笑しました。怒りではなく、喜びでもありません。正直に言えば、侮蔑に近い感情だったと思います。
 相手は、早晩、また「死にたい」と言い出すに違いありません。私はどう対処したらよいのか、ずっと恐れています。

お通夜にて

2009-02-07 05:26:24 | コラム
 仕事がらみの通夜に行ってきました。亡くなった方とは面識がありません。経済的な理由があって、珍しく自宅が会場でした。故人は存じませんが、故人の生活した場所での通夜ということで、葬祭場とは違う雰囲気でした。
 地図を見ながら探し当てたお宅はマンションでした。和室に棺が安置され、祭壇はありませんでした。急逝されたとのことで、遺影もありません。棺の顔の部分は扉が開いていましたが、こちらには足が向いていたので、拝むことはできませんでした。来訪者は棺を右手にして、リビングから、読経する僧の横顔を挟んで、遺族と正対しながら焼香するような形になっていました。部屋の隅に、未亡人と二人の男の子が、窮屈そうに座っていました。奥さんはずっと号泣されていました。長男が高校生、次男は中学生、それに2歳くらいの長女がいらっしゃるはずでしたが、長女の姿だけ見えませんでした。以前、長女を見かけたことがあります。活発で元気な女の子でした。
 ご家族は信仰がおありで、リビングには大勢の読経の声が溢れていました。背後にそれを聞きながら焼香をすませ、すぐに外に出ました。玄関から廊下まで、かなりの弔問客が並んでいたからです。帰りは、駅前まで戻ってから、前に行ったことのある蕎麦屋に入りました。カウンターで日本酒を二合飲み、もり蕎麦を食べました。遺族の今後の生活が思われて、不安な気持ちになりました。それよりも辛いのは、長女にお父さんの記憶は、あまり残らないだろうということでした。幼少時に父を失った長女の悲しみは癒えることはないでしょう。将来、一番辛いのは彼女なのではないかと思いました。
 私は故人よりもだいぶ年上です。改めて、いつ死んでもおかしくないのだということを感じました。「いつ死んでも大丈夫、保険にも入っているしな」などと思ってきましたが、そんなことではすまされないこともあるのではないかと考え、お酒のおかわりは控えました。私が死んでも、あんなに悲しんではもらえないでしょう。それを考えると、あと1本は飲みたいところでしたが。

料理の面白さ

2009-02-05 22:50:32 | コラム
 久しぶりに料理をし、得意のビーフシチューを作りました。正式なレシピは昔覚えましたが、作るときどきで材料を替えたりしているので、行き当たりばったりの適当です。インスタントのルウを使わないと言えば本格的に聞こえるでしょうが、それほど難しいものではありません。肉と小麦粉、バターを炒めるときに、どのくらい我慢できるかが勝負でしょう。かなり時間をかけないと、粉っぽくなって美味しくありません。でも、火加減やらを上手くやらないと、焦げ臭くなってしまいます。そこだけ注意すれば、失敗することはないと思います。今回は3時間ほど煮込んだので、味も馴染んで美味でした。オーストラリア産の牛肉で安価な物ながら、箸で切れるほど柔らかくなりました。
 私のビーフシチューは、油とバターを、本来のレシピよりかなり少なくしています。これは高価な物をあまり使わないようにしているのと、健康のために油脂を減らしているためです。正直言えば、これらを制限しながら、よい味を出すのはかなり難しい。しかし、あの手この手を使いながら、味を組み立てていくのが醍醐味と言えましょう。ただケチなだけという気もしますが、自らに課した禁じ手を避けながら、納得できる味を求めるというのが楽しいのかも知れません。レシピ通りに作るのでは面白くないのです。
 バターや油に限らず、小麦粉の量から何から何まで目分量で作っても、失敗したことはほとんどありません。神経質になっているわけではないですが、何が入っているのかわからない市販のルウは使う気にならないだけです。一種の才能かとうぬぼれています。昔は夕食の買い物から調理までやっていました。家事を手伝っているつもりでした。しかし、主婦を台所から追い出している、DVだと糾弾されてからは、まったくやっていません。おかげで、たまに作ると新鮮で楽しいです。本当はアルコールを摂取しながら作ると特に楽しいのですが、アル中だと役所に直訴された過去があるので、それもできません。
 思えば禁じ手ばかりの生活です。この禁じ手をはぐらかしながら生きていくことは、できないのかもしれません。この半年の間にわかってきました。料理と違って、禁じ手ばかりの生活は全く面白くありません。

節分の思い出

2009-02-05 00:02:50 | コラム
 かなり昔、三月に入っていたように思いますが、奈良の當麻を訪ねたことがあります。當麻寺拝観のためでした。
 當麻寺は、白鳳時代に創建された古刹で、中将姫にまつわる當麻曼荼羅を祀ることでも有名です。奈良時代の三重塔が東西に二基残っており、素朴で力強い仏像群など、実に見所の多い寺でした。
 最寄りの駅から寺までの道を歩いていくと、どの民家の玄関にも、柊に鰯の頭をつけた節分の魔除けが掛かっているのが目にとまりました。関東ではほとんど見たことのない光景だったので、強く印象に残りました。伝統的な風習が残っているのはいいなあと思いました。節分に鰯という取り合わせがよくわかっていませんでしたが、鬼が鰯の匂いを嫌うことから用いられているようです。最近になって知りました。
 近年、恵方巻きという物が寿司屋やスーパーなどで見受けられますが、関東にはなかった物だと思います。節分に蕎麦というのも、あまり聞きませんでした。節分は大晦日にあたるわけですから、年越し蕎麦だったという理屈は通ります。どちらも、不景気に何とか売り上げを伸ばしたいという商魂が背後にある気がします。
 私が子供の頃、家では毎年豆まきをしました。子供達はそれを楽しみにしていました。母が座敷にまくのは、豆だけでなく、お菓子やミカンでした。中にはくじも入っていて、開けてみると、いろいろな景品が書いてありました。私達は、拾ったお菓子を空き缶などに入れて、何日も楽しみに食べました。そんな豆まきをしている家庭が他にもあったのかどうかわかりませんが、両親は子供達のために年中行事をしっかりとやってくれたのだなあと、今になって感謝しています。家族が家族であった時代でした。

人によってこそ癒される

2009-02-03 00:53:20 | コラム
 十年以内の話です。敗残兵のように、あらかたの家財を持って実家に帰ったことがありました。
 深夜のガソリンスタンドで給油をしました。あの頃はディーゼルのチェイサーに乗っていたので、軽油を入れたのでしょう。セルフではなかったので店員さんが給油してくれました。中年前の女性でした。
 給油が終わって、車の中の荷物に気づいた彼女は「お引っ越しですか。大変ですね」と笑顔で声をかけてくれました。ただ、それだけのことです。
 私は、そのとき初めて顔をあげ、スタンドの照明の明るさに気づきました。暗かった心に、すーっと明るさが広がって、救われたような気になりました。数日来、他人から、そんなちょっとした気遣いの言葉さえ、かけてもらえない情況だったのです。
 ファーストフードのTVCMで、似たようなものがあったような気がします。深夜なのに開いていた、今日最後の笑顔をありがとうといった感じのハンバーガーのCMだったと思います。大げさだという印象を受ける方がほとんどでしょうが、私は、実際にCM通りの体験をしたことになります。
 ガソリンスタンドやファーストフード店で働くのは、アルバイトの方が多いでしょう。アルバイトや派遣社員の方々が厳しい情況にありますが、そういう方々に申し上げたい。あなた方のちょっとした挨拶や笑顔に、救われている人間がたくさんいるのだということを。私はセルフのスタンドより、店員さんのいるスタンドを利用したいと思います。

散髪

2009-01-31 00:21:40 | コラム
 散髪はあまりしません。家計を考えて、3~4ヶ月に1回程度でしょうか。思い切り短くして、見苦しくなるまで行かないというわけです。身だしなみを気にかける方ではないので、長くなっても平気です。手入れらしい手入れもせず、整髪も普段はあまりしません(洗髪は毎日しています)。行くお店も毎回同じではなく、数年毎に変えています。最近は2000円でお釣りの来る所へよく行きます。チェーン店で、結構混んでいますね。毎回、違う人が切ってくれるので、同じ店に行っても、毎回、新しい店に行っているのと同じです。馴染みになって、身辺調査のように、いろいろなことを訊かれるのが嫌なのです。
 今日も、いつものように顔を剃ってもらったのですが、他人に肌を触れられる感覚を久しぶりで味わいました。男性の理容師さんでした。別に特別なことをしてもらったわけではなく、顔を剃る過程で、顔や首に相手の手が触れたという程度です。それが、何となく好ましかったというか、何か安心できるような気持ちにさせてくれました。考えてみれば、前回、散髪に行ったとき以来でしょう、顔に触れられたりするのは。やはりスキンシップとは、幾つになっても大切な、人間にとって根源的なものなのかなあと感じました。
 今日は終日雨でしたが、散髪にすっきりしたこともあって、心だけは爽やかな一日でした。ちなみに、髪を切りに理髪店に行くことを、関東では「床屋に行く」と多くは表現すると思いますが、関西では「散髪に行く」と言っていたように思います。

ヨーロッパの気概に学べ

2009-01-29 23:52:09 | コラム
 フランスのサルコジ大統領が18歳の青年に毎日、新聞を配達するという決定をしたそうです。これは、不況の新聞業界を救済することが主眼のようですが、青年を啓蒙する政策としても、なかなか素晴らしいアイデアで、一石二鳥と言えるのではないでしょうか。
 一方、ドイツのワークシェアリングは歴史もあって、うまく機能しているようです。仕事の受注がないときなど、従業員が交代で休む制度ですが、支払われない給与はだいたい国が負担してくれるようで、休みが増えると考えれば、多少の減給は我慢できる範囲のようです。それで会社が倒産を避けられ、また仕事が増えたときのために、企業は人材を確保しておくことができる。こちらも、一石二鳥か三鳥くらいの効果がありそうです。
 ヨーロッパの国々は知恵を絞っているなあと思います。それに比べて、わが国はどうでしょうか。規制緩和政策にそって行われた労働者派遣法改正は、やはり企業にとって都合のよいものでしかなく、国民の多くには搾取をもたらしただけなのではないでしょうか。都合のよい時間にいろいろな仕事を選べるといった、「自由」に代表される美辞麗句で浸透した派遣ですが、個人が短期間働くのであれば確かに便利なものではあるでしょう。しかし、それが社会全体、企業全体に浸透してしまえば、長い目で見ざるをえなくなります。今回のような経済危機は100年に1度なのかもしれませんが、それに遭遇した個人はどうしようもありません。解雇されても何の保障もないことが、昨今明らかになっています。ワーキング・プアやネットカフェ難民などの格差問題が生まれることは明らかだったのに、どうして規制緩和の波を誰も止めることができなかったのでしょうか。
 洋式トイレの普及は急速でした。日常生活の根幹に関わるような様式をあっさりと捨て去った姿は、私には驚異でした。よいものは積極的に取り入れていくという国民性なのかなあとも思いました。しかし、終身雇用、年功序列のような伝統が廃れ、私たちは心身ともに漂流しています。
 アメリカには迎合しない、ヨーロッパのような英知が必要なのではないでしょうか。政治ネタをタブーとしてきたなどと言いながら、また書いてしまいました。

歌舞伎座改築にもの申す

2009-01-29 04:17:22 | コラム
 老朽化にともなう建て替えが話題になっていた歌舞伎座は、かなり近代的な建物に変貌することが明らかになりました。現在の建物は、歌舞伎ファンならずとも、古典的なたたずまいが印象に残る方が多いでしょう。私も数年に一度程度ですが歌舞伎を見に出かけて、思い出深い建物です。場所が場所だけに、土地の有効活用が考慮されるのはしかたがないと思いますが、新しい建物は、玄関部分が現在のデザインを近代化したような、無理に折衷案的な形を取り入れ、後部が高層のオフィスビルになるようです。お世辞にも調和がとれたデザインとは言えないと思います。
 オリジナルのデザインは、もっと現在のテイストを生かしたものだったようです。それが都知事の「銭湯のようだ」という一言で変わったような記事が新聞に出ていました。真偽はわかりませんが、あの方なら言いそうなことだと思います。もし、実際にそうだとしたら、越権行為だと言わざるを得ないでしょう。権力を背景にして、自分の趣味を押しつけるような言い方は許せません。自分は、そう言っただけだと弁明なさるのでしょうが、ご自分の発言の影響力はわかっていらっしゃるはずです。それにして、そうした発言に配慮して、簡単にデザインを変更するような歌舞伎座側も情けない気がします。長いものには巻かれろ的な事なかれ主義なのでしょうか。飛躍を承知で書きますが、こういった権威迎合の姿勢に、軍国主義へ向かう時代と同じ匂いを感じてしまいます。
 政治ネタは自らタブーにしてきたのですが、今日は怒り心頭に発したので、書かずにいられませんでした。それにしても、審美的にどうかという問題は置くとしても、歴史的な建物として、一部だけでも明治村のような所に保存できないでしょうか。名物の一つだった3階の立ち見席はどうなってしまうのでしょうか。今後が気になります。

誰が優勝でも構いませんが

2009-01-25 22:49:05 | コラム
 相撲には興味がありません。昔、亡くなった祖母が相撲好きで、よく一緒に見てはいました。祖母は気丈な人でしたが、贔屓の力士への思い入れも強く、負けたときにはテレビに灰皿を投げつけたという逸話の持ち主でした。
 祖母の一番の贔屓は大鵬でした。昭和の大横綱です。いつでも落ち着いた態度や控えめな物腰、端正で気品ある顔立ちは、子供心にも威厳にあふれていたように思います。祖母が特に褒めていたのは、負けた力士が土俵の下に落ちたときや、もんどり打って倒れたときに、自然に手を差し出して助け起こす行為でした。あの時代の横綱は、闘志を表に出したり、勝ったときにも感情を表に出したりすることをしませんでした。むしろ、大鵬のように、敗者に手をさしのべて、相手の健闘をたたえていたように思います。その余裕や優しさこそが横綱の品格だったのです。
 相撲の起源は、神への奉納だと聞いたことがあります。謙虚さや礼儀が重んじられるのは当然でしょう。現代のように他のスポーツと同様なものととらえれば、闘志をむき出しにしたり、相手を威嚇したり挑発したり、勝って力を誇示したりする行為も許されるのでしょうが、昔の横綱を知る私には違和感があります。現代の力士達、特に外国から来た力士達に、そうした日本の伝統文化なのだということが、しっかりと伝授されているのでしょうか。私は、外国人が活躍することはよいことだと思います。ただ、何かと話題の多い相撲界ですが、受け継ぐべきものは、文化としてきちんと継承していってほしいと思います。
 今日の千秋楽、誰が優勝したのでしょうか。それすらも知らない私です。大きなことは言えません。

トホホな話題をひとつ

2009-01-22 21:13:27 | コラム
 客で立て込んだ店での話です。パンとおにぎりを買いました。値段も事前にわかっていたので、小銭を用意して行きました。私は、会計の時に焦るのが嫌で、買い物の時には、必ず代金を用意していきます。ですから、バスを降りるときになって料金箱の前で財布を広げる人や、電車のキップを買うときに自動券売機の前に陣取ってから、おもむろに料金を調べている人を見ると、正直、イライラします。どうして、他人を待たせて平気なのか、私には理解できないところがあります。
 今日の買い物は、パンが120円、おにぎりが100円の計220円のはずでした。代金を渡して、帰ろうとすると、「お客さん、これ50円玉です」と声をかけられました。振り向くと、会計のおばさんは50円玉を返してよこしました。100円玉と取り替えろというようでした。私は50円玉を2枚と100円玉1枚、10円玉2枚を用意していき、それをすべて渡したので、間違いないと思いましたが、生来の気の弱さから、反射的に謝ってしまい、おにぎりをキャンセルしました。するとおばさんは、「それじゃあ、ちょうどですね」と言って、次のお客さんの対応に移ってしまいました。おばさんは50円玉1枚の存在に、最後まで気づいていないようでした。
 あそこで、「50円玉は2枚有ったはずです」と言ったら、今日のお昼はもう少し豪華だったはずです。おばさんは受け取った私からの220円のうち、私に返してよこした50円玉を除いて、すべてジャラジャラと硬貨の入ったエプロンのポケットにしまっていました。したがって、私が払ったお金がいくらだったのか、証明することはできなくなっていたはずです。しかし、客の言うことに刃向かって事態をややこしくするのは得策でないと判断して、自分の非を認め、おにぎりをくれたことでしょう。すべて、真実を主張しなかった私の責任です。
 思えば、間違いを間違いだと主張できず、欲しいものを欲しいと言えないまま生きてきた私の半生を象徴するような出来事でした。いつも、事が円く収まるなら、自分が一歩引いてすませてしまおう、多少嫌な思いをしても我慢しようというやり方でした。結婚も、人から勧められるまま、断ったら高望みだと陰口を言われるだろうと、妥協したものでした。パンやおにぎりなら一時的なことですが、一生の大事まで、こんなふうにすませてしまったツケで、ずっと苦しんでいます。誰が悪いわけでもありません。すべて私が悪いというトホホな話題です。

建て売りですか? マンションですか?

2009-01-20 23:17:48 | コラム
 物事はすべて準備万端整えてから・・・・・・というわけには、なかなかいきませんね。家のときもそうでした。軽い気持ちで見に来たマンションを、買わなければならないような気持ちになり、付近のことやローンの問題など後回しにして契約してしまいました。建築擬装問題が起こる前でした。もっとも、今はまずまず満足していますので、後悔はありませんが。
 以前、持ち家に住んだこともあります。住宅街の建て売りでした。近隣の家の音はよく聞こえましたし、1階は日当たりも悪く、近所づきあいも発生しました。それに比べると、今のマンション暮らしは結構快適です。上の部屋や隣の部屋の物音は慣れれば、それほど気になりません。気密性が高く、冬は朝晩に床暖房を使う程度でストーブはいりません。夏はエアコンでLDKと和室が十分冷房できます。建具等、それほど高級感はありませんが、それでも賃貸の建物とは違うと実感できます。鍵一つで安心して出かけられることもメリットでしょう。間取りや収納もずいぶん工夫されています。デメリットは高層なので風音がすること、窓の結露くらいでしょうか。
 冬には、ほぼ毎日、富士山が見えます。ここを買う動機の一つは、これでした。朝焼けと夕焼けの霊峰が拝めることは、なかなか素晴らしいものです。アップした写真は最近撮った夕焼けです。ルーフバルコニーが希望でしたが、今はなくてよかったと思います。近隣のマンションのルーフバルコニーを見ると、砂だらけになっており、あまり活用されている家を見かけません。
 もう少し歳をとったら、庭いじりやオーディオ三昧のために建て売りもアリかと思いますが、まだマンションライフを楽しみたいと思っています。これから都下でお住まいをお考えの方にはマンションをお勧めします。

ブログに求めるもの

2009-01-18 21:04:26 | コラム
 自分の娘の点滴液に異物を混入して殺していたという母親のニュースを見ました。未遂も含めて1度だけではないようです。彼女はブログに娘の死を嘆く文章を書き続けていたそうです。同情してもらいたかったという理由でした。
 背景に深い事情があったかもしれないので、軽率に非難することは避けたいと思います。 私が、このニュースから感じたのは、ブログに何を求めるのかということです。娘の死を嘆いて同情されたとしても、彼女の場合、何が得られたのでしょうか。真に彼女に同情を寄せてくれる人が現れたとしたら、彼女はその同情を裏切り、相手を傷つけることは自明です。それでも、同情を求めたのでしょうか。私には理解できませんが、相手の真心を裏切り、相手を傷つけてまで同情を求めるとしたら、あまりに自己中心的でわがままな発想です。まあ、真相は、アリバイ作りではありませんが、自分に嫌疑がかかることを避ける目的だったのでしょうが。
 もう遠い過去のようになってしまいましたが、秋葉原の通り魔事件でも、犯人はケータイで書き込みをしていまいた。反響がないことに対して、世間は自分を無視したと感じていたようです。一人の人間の小さな記事に、同情や反響が逐次あると考えていたのでしょうか。だとしたら、あまりに幼い発想だと言わざるをえません。自意識過剰という感じでしょうか。本当に苦しんでいる方には酷な話のようですが、現実とはそういうものでしょう。
 私のブログも、なかなか当初の目的が達成されません。だからといって、人を傷つけようとは思いません。これも、文章力がないせいかな? もう少し修行させてもらうことにします。文章力でなく、発想自体が爺くさいと言われたら、それまでですが・・・・・・。