goo blog サービス終了のお知らせ 

観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

高かった授業料

2009-04-30 00:45:45 | コラム
 数年前のことを急に思い出しました。
 都心の勤務地は、問屋街に近く、いろいろな店が軒を連ねていました。JRの高架下も店舗になっており、商品が所狭しと並んでいる店が数多くありました。ある日、勤め帰りに、ふらりと瀬戸物店に入りました。昔から興味があって、湯飲みや猪口を集めたりしていましたので、店内を回って見物しました。お世辞にもきれいとは言えない店内で、並んでいる商品も手頃な価格が多く、ほとんどバーゲン品という感じでした。見るべきモノもない中で、大ぶりの砥部焼の雛人形が目にとまりました。桃の節句には無関係な時期でしたので、売れ残って処分するのだろうと思われました。母がそんな置物が好きだろうと考え、内裏雛とおひな様を眺めてみると、まあそれなりによいかと思えました。店の方に注文すると、奧から不釣り合いなほど立派な箱を持ち出してきて、包装はどうするかと尋ねられました。こんな安物に包装でもあるまいと思い、箱に入れるだけでよいと答えました。
 そして、支払いになって、私は凍りつきました。1200円だとばかり思っていた雛人形は1万2千円だったのです。一緒に並んでいた商品がどれも安価だったために、あるいは、汚い店構えの安売り店とばかり思いこんでいたために、値札の0を、ひとつ少なく見ていたのでした。謝って断ることもできたでしょうが、ちょうど持ち合わせもあり、見栄坊の私は、それを購入しました。先入観ほど怖いモノはないという教訓を得ましたが、高い授業料を払ったものです。
 それは、母にプレゼントしたはずですが、あれから一度も飾ってあるのを見たことがありません。

今日の出来事

2009-04-27 22:07:12 | コラム
 今日は本社に呼ばれて、昼から都心へ出ました。東京は昼間は天気がよく、公園のベンチでパンと缶コーヒーで昼食をとりました。日差しがまぶしく、いつも仕事をしながらそそくさと食べているのと違って、開放的で爽快でした。
 しばらくすると、近くに一羽の雀が飛んできて、足下をぴょんぴょん飛び回ります。雀にしては警戒心がなく、パンを小さくちぎって投げてやると、かなり近くまで来て食べました。こういう雀がいるということは、自分と同じように、ここでパンを食べ、雀に餌をやっているサラリーマンが少なからずいるのだと思われました。同類相哀れむというか、孤独な人達が多いのだなあと感慨にふけりました。
 ここまで読むと、私がすごく優しいよい人間のように思われるかもしれませんが、そうではありません。
 帰りの電車は混んでいました。押されて奧に入ると、立っていた女性の足下に、私の持っていた船橋屋のくず餅の箱の角が当たったようでした。女性は私の方をちょっと見て舌打ちをしました。小柄で髪を濃く染めた、比較的若い女性のようでした。顔は見ませんでした。私は、彼女の横に立ち、できるだけ体を引いていました。そのうち、こちらをうかがうようにしては、肩の空いた服の襟元をとじ合わせるような仕草をするのです。いるんだよなあ、こういう自意識過剰な女性が。誰が、あんたの胸元なんかのぞくかい!という感じでした。
 満員電車に揺られていると、気持ちがささくれ立つようなことがありますね。できるだけ、他人に嫌な思いをさせないようにしたいと思います。

六十の手習いには早いけど

2009-04-22 15:39:20 | コラム
 週末は、先に書いたことのある老剣士にお願いして、道場へ行った。自慢ではないが、ほとんど初心者である。ご年配の女の先生が、小学生を4人ほど教えていたところへ混ぜてもらう。付き添いに来ていたお母様方は、変なオヤジが入ってきて、胡散臭そうだった。
 先生が親身になって教えてくださったこともあり、特に恥ずかしいということもなく、今日は蹲踞の姿勢や面の打ち込みまで教えてもらった。まともに竹刀を握り、面の打ち込みなどやるのは高校生以来のこと。汗をかくところまではいかなかった。ご覧になっていた老剣士は、「もう向こうに入りなさい」と、一般の方々が打ち込み稽古をしている方を示されたが、体の動きや竹刀のさばき方がまだまだという感じ。小学生に比べれば経験がある分だけ、今は上手く見えても、追い抜かれるのは時間の問題だろう。
 最後は先生の面を連続して打っていく動作の練習。中段から面の動作を繰り返す。数日前に、和太鼓を使ったエアロビクスのようなものが何かで紹介されていて、参加者はストレス解消になると言っていたが、何かを叩くというのは、確かにそういう効果があるなあと納得できた。
 稽古の終わりは、先生方やお互い同士、正座して礼を述べるのだが、それが折り目正しく気持ちがよかった。現代日本の生活の中で、こうしたことは確かになおざりにされてきたことだ。目上を敬い、感謝する態度は、見ていてもよいものだし、自分がしてもすっきりと気分が冴えるものだと思った。
 かなりの高齢の方から幼児まで、まさに老若男女が参加していた。障害をもった方や外国の方もいる。剣道は、生涯スポーツであり国際的でもある。伝統に触れ、日本人としての自覚を確認することが、国際化の一歩であるとも考えた。
 そういえば、今朝ラジオを聴いていたら、スノーボードの女子選手がインタビューに答えていた。外国で落ち込んでいたとき、日本語の漢字のことを尋ねられ、「人」と言う字は、互いに支え合ってできていると教えたという。すると外国人の相手は、「あなたは一人で悩んでいて、他の助けを借りようとしていないではないか」と諫めた。「人」の字の成り立ちについては置いておくとして、なかなかよい話である。本当の国際交流というのは、こんな感じかと思った。
 話題が逸れた。この年になると、なかなか他人から教えてもらうという機会は少ない。しかし、知らないことを教えてもらうということは楽しいし、面白いモノだなあと改めて感じた。次回も参加させていただきたいと思うものの、しばらくは週末にも仕事が入って行けそうもない。とても残念だ。
 試合に出たいとか、段をとりたいという気持ちはない。運動不足の解消と、他の方々との交流が多少でもできたら有り難いと思っている。

なせばなる!

2009-04-19 12:32:52 | コラム
 4月から新しい職場で、今までとは違う種類の仕事をしています。今までが現場にウエイトがある仕事とするなら、今年の仕事はマネジメントに関わる仕事です。どちらが優位かというのは、人それぞれの価値観や適性によって異なると思うので、不毛の議論だと思います。
 半月の間、デスクワークにいそしみ、先日、それまでの成果を報告し合う会議が開かれました。私の担当するプロジェクトは、新しい体制がスタートするための最も基礎になるもののひとつです。完成は8月末と線引きされています。まだ先のように思えますが、それまでにやっておくべきこと、確認しておくべきことなどを考えると、余裕はありません。その成果は、やがてそれは公の場に登場するはずですが、業界からは大いに注目され、さまざまに批判、検討されるはずです。そこにもし致命的な欠陥があれば、私の部署が責任のすべてを負うことになるばかりか、組織全体も決定的な打撃を受けるはずです。担当者である私は、間違いなく左遷でしょう。
 というわけで、この半月間は必死に調べ、智恵を絞った日々でした。今までの経験から得たもののすべてを注ぎ込む努力をしたつもりです。これだけ仕事がハードになることは、予想されていました。それを覚悟で志願したのです。私が今まで働いてきた職場は、どこもぬるま湯のようでした。それはそれでよいと思ってきたのですが、年をとるに従い、だんだん熱意がなくなっていくのが自覚され、カンフル剤が必要だと思うようになりました。そのカンフル剤として、あえてきつい職場を選んだのです。
 きっかけは、元上司の誘いでした。1年ほど前、第三者を通じた打診があったときには、あまり関心がありませんでした。出世志向の人達が目指す職場くらいのイメージしかなかったのです。しかし、そのうちに、乞われて無視することもできまいと変な男気を出し、義を見てせざるは勇なきなりとまで考えるようになって、志願した次第です。
 先日の報告会議で、私の成果は一応の評価を受けました。方法の異なる二つの企画を出したところ、どちらについても大きな問題は見あたらないという感じでした。いままでは、あまり話をしなかったような人が、急に親近感を示してくれるようになったり、自分を認めてもらえたという気がします。しかし、私を誘ってくれた社長は、ある箇所について、もっとこうした方がよいという指示を一つ出してくださっただけで、特別な感想をもらえませんでした。
 再来週には、本社から派遣される幹部に対するプレゼンが予定されています。どこまでやれるか、自分への挑戦という感じです。

筍にやられた!

2009-04-18 15:50:57 | コラム
 仕事がオフになり、午前中、近所を散歩していると、農家の玄関先で、筍が売っていました。一度は通り過ぎたのですが、その近くには竹林公園なるものまである竹の名所(?)、そこで売られている筍が、新鮮でないはずがない。そう思いこんでしまいました。
 戻って見ると、2~3本ずつ袋詰めにされた筍が、土の付いたまま売られています。小さなモノを選んで、3本入り500円の袋を購入しました。
 帰宅後、早速、一番小さな筍の皮を剥き、先の方を薄くスライスして食べてみました。これだけ新鮮なら、筍の刺身でいけるに違いないと思ったのです。結果は、まずまずでした。多少のえぐさ、青臭さはありましたが、野趣溢れる味わいで、なかなかいいんじゃないの、という感じでした。これに気をよくして、次は焼き筍を作ることにしました。皮を適当に剥いた筍をアルミホイルで包み、そのままオーブンで焼こうというわけです。10分近く焼いた後、上のアルミを剥がして焼くこと、さらに数分。なんとも言えない素晴らしい香りが漂い、期待が高まりました。春を感じる味覚では、これに勝るモノはないだろうというくらいの、よい香りでした。そして、スライスして、たっぷりの醤油をかけて食べてみたのですが・・・・・・。
 刺身では感じられなかったえぐさが喉の奥に張り付く感じとでも言いましょうか、苦さも加わって、とても食べられる代物ではありませんでした。ペッペッ!
 しかたなく、ゆでて、煮物や筍ご飯にすべく、下準備だけすることにしました。もちろん、筍はあく抜きが必要なことは知っていました。でも、新鮮だから旨いんじゃないかという予測でやってみて、見事、失敗したというパターンです。まだ喉がひりひりしています。でも、私は、これで懲りることはないだろうと思います。旨いモノを探究するというのは、そう言うモノだと思うのです。一度や二度の失敗で、くじけるものではありません。

関節ねずみ

2009-04-17 22:27:14 | コラム
最近、デスクにかじりついてパソコンに向き合っているせいか、肩や腰が痛みます。特に肩は、上げると痛む状態が2~3年続いています。
 その日、朝起きると、肩に違和感がありました。しかし、特別どうということもなく、出勤しました。ところが時間とともに痛み始め、左肩が水平にも上がらなくなりました。四十肩かと思いましたが、激痛を伴うのは異常だと思い、とにかく近くの接骨院に駆け込みました。その頃には、もう自分でシャツも脱げないくらいの病人になっていました。
 そこで診察をしてくれたのが、柔道整復師の若い女性でした。接骨院は主に老人で賑わっており、社交場といった趣でした。そんな中で若い柔道整復師の人達が明るく働いていました。私は、その女性から話を聞くまで、柔道整復師という言葉すら知りませんでしたが、素晴らしい仕事だと思いました。若い人達も捨てたもんじゃないと思いました。
 結局、私は形成外科に行くよう、紹介状を書いてもらい、近くの病院に行きました。そこではレントゲンを撮り、関節内遊離体(関節ねずみ)による痛みであるとの診断が下りました。これは、関節内に骨・軟骨片などの遊離体が入り込み、関節内を移動する時に、何かの拍子に関節内でひっかかり疼痛を引き起こすというもののようです。スポーツ選手などがよく手術をして話題になります。あれです。抜本的な治療は切開する手術になりますが、とりあえず注射で治るということでしたので、太い注射をしてもらいました。結果、しばらくすると激痛が嘘のようにおさまり、以来、そうした激痛はありません。しかし、肩より高く腕を上げると鈍い痛みがあり、完治したわけではありません。
 関節ねずみの数年前にも肩が痛み、整体で治してもらったこともありました。そのときは、四十肩でしたが、早期発見だったとのことで一回の治療でよくなりました。肩の痛みにもなかなかいろいろあるようです。年配の方は特にご注意ください。


ささやかな夢

2009-04-16 22:16:21 | コラム
通勤途中の家々には、テッセンの花や藤の花が見られるようになりました。桜も新芽を出し始め、新緑の季節を迎えています。ある家の鉢植えで、馬酔木の花が咲いているのを見ました。スズランの花を並べたような、あの花です。今頃の花だったのかと近寄ってよく見ると、下に「ブルーベリー」と書いたレベルが刺してありました。こんなにそっくりな花だったとは知りませんでした。
 仕事が終われば、帰宅して家事をしなければなりません。新しい職場で黙々と仕事に励み、帰宅すれば家人の顔色をうかがい、わずかなことを見咎められてなじられる。本当はもっと本質的で重要なことがあるのに、目先の枝葉末節が気になってたまらないらしい。そういう人って確かにいますね。
 河合隼雄氏は感謝できない人は弱い人だと書いていました。自分の非を認める勇気がなく、相手を上にして自分が下になるようなことはしたくない、不幸な自分は他人からよくしてもらって当然だ、そんな考えから、弱い人は本当の感謝が出来ないのだそうです。まさに家人のことです。
 仕事の帰りに、どこかの店のカウンターの隅に座り、マスターとテレビを見ながら一杯の酒を飲んで帰る。そんなことをしてみたいなあ。あまりに些細な夢ですが、私には実現できないドラマの一コマのような情景です。
 春って、やっぱり何かもの悲しい季節ですね。

新しいスタート

2009-04-15 05:07:15 | コラム
 4月、新しい職場や学校で、多くの皆さんがスタートを切られたことと思います。私も4月1日から、新しい職場での勤務が始まりました。人数が少ない職場で、上司や同僚の年齢も性格もわからず、対応ができずにいます。自分の居所が定まらないというか、周囲との関係ができていないと、どうも落ち着かないと思うのは、私だけではないでしょう。 外向的な人については、数日で性格や能力を知ることができますが、そうでない人については、まだ手探りといった感じです。私自身も自分を表に出していませんから同じように見られているでしょう。確かに落ち着かないのですが、これが新鮮だということでしょう。そのうちに、いろいろわかってくれば、落ち着く反面、またマンネリ化した生活になるのだろうと思います。
 仕事はしているのですが、どうも乗り遅れている感じ。任された仕事は、それなりに重要なものです。それなのに、どうも充実感がありません。それほどうまく行っていないわけでもないのです。一日中パソコンに向かって事務的な作業をしているからでしょうか。頭も使っているし、自分の発想を活かしていける仕事でもあります。準備段階だからという余裕がありすぎるのかもしれません。本来なら文句を言うべき場面ではないはずです。疲れていると言えばそれまでです。でも、早くも5月病の症状が出て来たような感じです。
 忙しくなると余計なことをしたくなるのが人情です。この何日か、蔵書の点検のようなことを始めてしまいました。ぺらぺらとページをめくるのは面白いものです。興味のあるところを精読していたりして。おかげで、こんな時間(早朝)になってしまいました。今日の仕事はきつそうです。

実践的悪徳商法の研究

2009-04-11 13:50:27 | コラム
 ネットを使った詐欺まがいの商法があるとは知っていましたが、これほどとは・・・・・・。今回は体験的突撃ルポをお送りします。
 私は、長い間髪の悩みを抱えてきました。最近は、いろいろな育毛剤やシャンプーの記事があり、興味を持っていましたが、数週間前、「無料で髪の悩み解決」といった感じのネット上の記事があり、おもしろ半分に登録してみました。数日間で送られてきたメールは10通。発毛に驚くべき効果があることだけは、伝わってくるのですが、その実体や費用がまったくわからない、いかにも怪しい内容です。
 最初はもったいぶって期待を高め、次には経験者の体験談。例えば次のようなものが配信されます。
 「まず驚いたのが中身のボリューム!なんと188ページもあります。でも、読みやすい文章なので、飽きることなく最後まで読み進むことが出来ました。そして一番の驚きが116ページにある魔法の●●●●方法です。誰にでも簡単に出来る方法です。しかも●●●です。私もさっそく実践しています」
 このわずかなヒントにより、この発毛方法は薬品等によるのでなく、テキストをもとに何かの方法を行うものだということがわかりました。●に何が入るのか、好奇心もくすぐられますが、もちろん、まだ私は注文しません。すると、契約を焦らせる内容のメールが届きます。
 「一部の業界人に対する挑戦的な内容も含まれていますので、業界人からの指摘により予告無く販売停止となる可能性があります」
 つまり、早くしないと終わっちゃうぞというわけです。これも放っておくと、さらに以下のようなメールが。
 「思った以上の好評で14名限定の特別先着価格を終了しようと思います。残り3名となりました特別枠ですが、無料レポートをお読みになった方限定で空けておきました。残りわずかな特別枠は、何かのご縁で私の無料レポートをお読みくださった方に入っていただきたいと思ったからです」
 特別扱いされるとうれしいのが人間。うまく心理を突いています。さらには、次のような追い打ちもかかります。
 「予想以上の好評で、あっという間に特別枠終了となってしまった場合は大変申し訳ありませんが、二度とこの価格でお譲りすることはできません。また、特典である『180日完全返金保証』も同時に終了致します。これが最後のチャンスです。ハゲの悩みの解決に向けて、大切なことは、一歩踏み出す行動力と決断力です」
 何と、この時点でも、魔法の本がいくらなのかは伏せられたままです。
 「じらし→ヒント→伏せ字→特別扱い→脅し」というプロセスは、なかなかよく考えられています。しかし、致命的な欠点がいくつかあると思います。
 まず、限定枠が14しかないこと。業界の迫害を避けて少数にしているのかもしれませんが、少なすぎます。それほど素晴らしいものなら、もっと人数を集めても問題ないはずです。次に、最後まで値段が出てこない点。180日間完全返金保証があるとはいえ、それがいくらなのかは問題です。私なら、とりあえず1万5千円くらいと書いておき、その後、オプションとして数千円ずつ取り立てるようにします。
 最もいけないのは、ネタが本である点です。この業者は早晩なくなるでしょう。仮に本当に効果があるとして、本を買った人がネットにその方法をばらまいてしまえば終わりだからです。人数を少なく抑えた理由もこのあたりにありそうですが、やはり違う方法を考えた方がよいのではないでしょうか。このままでは、かなりむりがあると思います。

桜と頬の傷

2009-04-09 21:37:35 | コラム
 ふた昔も前のことである。私は営業で新しい地区を担当することになった。そこは各社が参入を始めた地域で、山間の地区が多く、保守的な気風が色濃く残っていると聞いた。私は、新しい人間関係が円満に築けるか、不安で一杯だった。
 初めてその地区へ行く前日、先輩社員と酒を飲んだ。ちょうど今頃の季節であった。祇園のスナックがはねるまでねばり、コンパニオンのフィリピン女性たちと食事をし、最後は円山公園の夜桜見物と洒落こんだ。
 私は、嫌なことを忘れたいために、かなりの量を飲んだ。それまで洋酒をあまり飲まなかったので、水割りをどの程度飲んだら酔うかといった計算もできなかった。深夜の公園に行く頃には、ほとんど目が回っていた。酔った目に、枝垂れ桜は、天から流れ落ちる滝のように見えた。それが重なりあったり、ぼやけたり、ぐるぐると回って見える様は、異次元的な幻想であった。
 タクシーを拾って帰途についた頃にも、酔いは深まっていた。私が一番最初に降りることになった。私はタクシーを降りて、何度も頭を下げながら先輩方に挨拶していたという。それが突然見えなくなり、皆慌てたらしい。私は、道から1メートルほど下の休耕田に落下して、もがいていたそうである。落ちた時に、落ちていた針金か何かの先が頬に刺さり、かなり出血していた。運転手さんが、応急措置としてキズバンを貼ってくれたのをかろうじて覚えている。
 翌日、私は、打ちつけた腰をさすりながら、絆創膏を貼ったままで、営業車を運転してかの地へ向かった。頬の傷は今も残っており、姉からは「田んぼエクボ」と呼ばれてからかわれていた。
 毎年、枝垂れ桜の頃になると思い出す、ばかばかしい思い出である。

丹前のこと

2009-04-05 23:07:17 | コラム
 冬の長い私の故郷では、夜寝るときには、丹前を掛け、その上に毛布と掛け布団を掛けていました。丹前とは、どてら、かいまきなどとも言われ、丈の長いワタの入った着物で風呂上がりに浴衣の上から着る防寒着だったのがはじまりだと言います。しかし、私の故郷では、それを着るようなことはなく、皆が寝るときに、最初に掛ける布団といった感じでした。現在のように、羽布団が比較的安価で手に入る時代ではありません。丹前と毛布と掛け布団を掛けると、とても重かった。今では、あれだけの重さの布団を掛けたら、とても眠れないだろうと思います。
 私は昔から寝付きの悪い人間でした。重い布団の下でなかなか寝付けず、悩んだものでした。外泊するような機会はほとんどありませんでしたが、いとこの家に行ったり、学校行事などで宿泊をともなうときなどは、ほとんど眠れませんでした。今でもそれは変わらず、旅行などでは熟睡することはありません。
 眠れない夜、いつも考えるのは、一緒に寝ていた家族といつかは死別するのだという思いや、思春期になると異性のことなどでした。後者は誰でもそうだと思いますが、前者のようなことを小学生の頃から常に感じていたのは奇妙です。私は、幸運にも、身近な肉親の死にはあまり直面していません。一緒に暮らしたこともある祖母が亡くなったのは、社会人になってからでした。それほど、身近に死を実感することがなかったのに、なぜ死というものを考えていたのか、よくわかりません。
 桜の開花も例年より早まり、温暖化ということも盛んに言われる昨今、この3月末には故郷でも雪が降り、うっすら積もったといいます。先週帰省した際にも、東京より寒いと実感しました。丹前のことを思い出して、押し入れを探しても、さすがにそんなものはなくなっていました。老いた父と久しぶりに酒を飲み、帰省中は毎日熟睡していました。

見たばかりのテレビ番組のこと

2009-04-01 00:15:30 | コラム
 NHKで「プロフェッショナル~仕事の流儀脳活用SP」という番組を見ました。普段テレビはまったく見ないのですが、ほんとうに偶然視聴しました。
 脳科学者の茂木健一郎氏がコメンテイターでした。まず、子供や部下を育てるというテーマで、一つ目は自発性は待つしかないというコメントでした。子育ての場合は、観察しながら辛抱強く待つしかなく、親に出来るのは環境を変える程度のことらしいです。ただし、自発性の回路は何によっても育まれるそうなので、何かで自発性の芽が出れば、その後、意欲的な子供になるということのようです。子供は「着替えなさい」と言っても、体と脳の関係ができていないので、その気があってもできない。だから、押し問答を繰り返して叱るのでなく、物理的に着替えさせるしかない。子供とは、そういうものだと思うほかないというわけです。
 二つ目のテーマは安全基地を作れというものでした。やりたいことをやらせる、一歩下がって応援する、欠点も受け容れる、困ったときこそ手助けするというのがポイントでした。やはり家庭のあり方というのが大切なのですね。ただ、親が一緒にいることができなくても、脳の中に出来る親のイメージが、子供一人のときにでも子供を助けるのだそうです。
 最後は、自分を育てるというテーマ、「後悔」について述べていました。脳にとって、くよくよ後悔することは、適応力を高め、脳を成長させるという意外な定義でした。失敗を振り返り、別な選択肢と比較することによって、自分の価値観や人生観まで変化するそうです。後悔ばかりの私には、理屈としてはわかっても、にわかに共感できない内容でした。私はよほど進歩のない人間のようです。
 たまにテレビを見ると面白いですね。ちょっと得をした気分になりました。

求む! メルトモ

2009-03-21 23:49:00 | コラム
 心を殺して暮らす生活が長くなりました。そうでないと、家人の心ない言動に落胆したり、過去への後悔や未練でやりきれなくなってしまうからです。家族がないならば、関係を解消すればすむことですが、家庭人としての責任があると思います。自分が耐えて、現状が保てるならば、犠牲になることもやむをえないでしょう。相手だけを責めようとは思いません。自らが選択してきた道ですから。
 でも、時折、本当にこれでよいのかと考えることがあります。他の方は、こういうことをお考えにならないのでしょうか。もう年だから、仕方がないからと、自分を納得させていらっしゃるのでしょうか。
 このブログは何度も述べるように不純な動機から始めました。しかし、考えてみれば、反響があるとは思えません。文章によって多少は私のことを知っていただけるとしても、だから、会ってみようと思う方はいらっしゃらないでしょう。私だったら、やはり犯罪や危険の匂いを感じて、二の足を踏むと思います。当然のことです。よしんば、会ってみようという気になり、「ハチ公の前で紺のジャケットを着て赤いハンカチを持っています」などと申し合わせてみても、実際には行かないか、行ってみても「何だ、あんな人か」と思えば、声もかけずにショッピングに切り替えるというのが関の山でしょう。
 以前、ネットで出会いを求めたこともありました。でも、3回目に届くメールは、「最近海外から単身帰国して、兄の家に身を寄せていますが、兄のパソコンが使えなくなるので、以下のアドレスに連絡をください」というパターンの胡散臭いものばかり。「以下のアドレス」にアクセスするにはお金がかかる仕組みです。中高年の純情は踏みにじられるだけでした。
 不特定多数(私の場合は不特定少数)に訴えることは、孤独を深めるだけだとわかってきました。メッセージ欄にも「メルトモになってください」と書きましたが、私にはそれだけで十分なのです。私は多くを期待する人間ではなくなりました。どなたか、人助けをしてくださる方はいらっしゃいませんか。

チャンスに後ろ髪はない

2009-03-16 20:49:06 | コラム
 「チャンスに後ろ髪はない」「チャンスの女神に後ろ髪はない」などという言葉があります。思うことが思うようにいかないのが現実。絶好のチャンスなどというものは、まさに千載一遇であって、めったにあるものではありません。人生のチャンスということになれば、生涯にほんの数回しかないと言えるのではないでしょうか。そうしたチャンスに遭遇したとき、それと気づいて、迅速に行動できるかどうかが、人生を左右することもある、というのが、この言葉の意味だと思います。
 それが大きな選択であればあるほど、慎重になったり躊躇したりすることは当然です。しかし、チャンスには後ろ髪がないのです。すなわち、チャンスというものはあっという間に目の間を通過していき、「しまった!」と気づいて手を伸ばしても、後ろ髪のないチャンスをつかむことはもうできないというのです。
 ある程度、年配となれば、就職、転職、結婚、買い物等々、チャンスを逃した悔しさを経験したことのある人は少なくないでしょう。後悔してもしきれない思いに地団駄を踏むこともあるでしょう。そうならないためにはどうしたらよいでしょうか。
 チャンスはいつどのような形でやってくるかわかりません。やってきたときに、自分がどうしたいのか?などと考えていては遅いのです。平素から、自分の価値観や人生の目標、将来像などを考えておき、チャンスがきたときに、すぐに対応できるようにしておく必要があります。例えば、理想と思われる異性が出現したときに、自分が異性に求めることを普段から考えていれば、それをチェックするだけで、相手が必要かそうでないのか見極めることができるでしょう。あれこれ悩んでいたのでは、親しくなれるチャンスを失ってしまうかもしれません。あるいは、ヘッドハンティングで転職の誘いが来たときに、「考えさせてください」と回答を保留できるようなケースは少ないでしょう。即決が迫られると思います。要するに、普段からの準備がなければ、重大な選択を即断することはできない、そして、せっかくのチャンスを逃してしまうということです。
 こういう問題の難しいところは、学校のテストなどと違って正解がないということです。自分の配偶者や仕事は、他人には決められないし、公式のようなものはありません。答えを出せるのは当事者だけなのです。自分の価値観によって、自らの責任で、選択していくしかないのです。
 「チャンスに後ろ髪はない」のです。チャンスが巡ってきたとき、それにすぐに乗れるようにしておくこと。偉そうに言っていますが、私は常に躊躇してチャンスを逸してきました。私のような人生を送って欲しくないと思うのです。

あがり症完治宣言

2009-03-15 22:43:23 | コラム
 先日、一日に2回のプレゼンをやる事態となりました。2回ともかなりの大人数を前に、1回目は原稿を読めばすみますが、2回目はスピーチという感じで、事前に相当の緊張が予想されていました。
 前回、心療内科でいただいた薬がまだありましたので、今回もそれを利用することにしました。3日前からデブロメールとゼバゾンの2種類を1日1錠ずつ服用し、当日の朝、頓服としてもらっていたソラナックスとアルマールの2種類を各1錠服用しました。前回で体が慣れたせいか、今回は眠気や頭の重さはありませんでした。
 結果を言えば、緊張はほとんどなく、私の社会不安障害は完全に克服できたと言えます。もちろん、これは薬を飲んだ成果としてではありますが、事前にわかっていれば、薬によって完全に押さえ込むことができると思いました。長期にわたって服用すれば、いつ緊張する場面に遭遇しても大丈夫という気がします。
 前回にも書いたことですが、今回はそれを再確認できました。人前で話すことが苦痛の方、震えや書痙で恥ずかしい思いをしている方、ぜひ心療内科で処方箋をもらい、薬を服用してみてください。これまでの悩みが嘘のように、過度の緊張は完全に払拭されます。頭がぼんやりすることもないので、試験など、頭を使う場面でも有効であると思います。 最近、デブロメールやアルマールを服用すると、攻撃的になるなどの症状が出るという報告が報道されました。私に関する限り、そういうことはありませんでした。個人差があるものだろうと思いますが、それほど心配することはないと思います。