阪神淡路大震災が起こったあの日、朝のニュースで聞いた第一報は、垂れ下がった電線に自転車の女性が触れて感電したというものだったと記憶しています。
何が起こったのかもわからないまま出勤し、事態の大きさを知ったのは、昼過ぎにテレビで煙の上がる神戸の街が映し出されているのを見たときでした。国内で起こった事件なのに、全容はなかなかつかめず、情報も錯綜しました。あとになって、危機管理の甘さが指摘されましたが、想定外の災害だったと言えるでしょう。
多くの尊い人命が失われました。子供や老人の区別なく死に追いやられた点は、天災か人災かの違いだけで、戦争に似ています。ガザの空爆では千人以上が犠牲になっているそうです。どちらの情景を思い浮かべても、瓦礫の下で息絶えていった人々が思われて胸が締め付けられます。
数日前の新聞や今日のTVニュースで、ある家族が取り上げられていました。ご夫婦は震災で二人の子供を亡くされました。震災後生まれたお子さんが、亡くなったお兄さんのランドセルを担いで通学しているということです。受け継がれていくものはランドセルだけでなく、家族の心や愛情だと感じました。
毎年、TVで映し出される式典には、涙を拭う遺族の姿があります。神戸の街は復興しましたが、愛する家族を失った悲しみは、消えることがないのだと思い知らされます。
何が起こったのかもわからないまま出勤し、事態の大きさを知ったのは、昼過ぎにテレビで煙の上がる神戸の街が映し出されているのを見たときでした。国内で起こった事件なのに、全容はなかなかつかめず、情報も錯綜しました。あとになって、危機管理の甘さが指摘されましたが、想定外の災害だったと言えるでしょう。
多くの尊い人命が失われました。子供や老人の区別なく死に追いやられた点は、天災か人災かの違いだけで、戦争に似ています。ガザの空爆では千人以上が犠牲になっているそうです。どちらの情景を思い浮かべても、瓦礫の下で息絶えていった人々が思われて胸が締め付けられます。
数日前の新聞や今日のTVニュースで、ある家族が取り上げられていました。ご夫婦は震災で二人の子供を亡くされました。震災後生まれたお子さんが、亡くなったお兄さんのランドセルを担いで通学しているということです。受け継がれていくものはランドセルだけでなく、家族の心や愛情だと感じました。
毎年、TVで映し出される式典には、涙を拭う遺族の姿があります。神戸の街は復興しましたが、愛する家族を失った悲しみは、消えることがないのだと思い知らされます。