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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

また新しい本です またはやぶさです

2015-02-21 07:18:42 | 読書
小惑星探査機『はやぶさ2』の大挑戦 山根一眞 講談社ブルーバックス

  また宇宙モノです。すでに打ち上げられた「はやぶさ2」が発射される以前に、発射までの歩みを広く紹介したいという思いによって書かれた本です。前半部は、先代のはやぶさが地球帰還を果たした後に行われた、イトカワの塵の分析等について報告されています。それにしても、スタッフの皆さんは、先代のハヤブサが運用されている時期から、はやぶさ2の開発に着手し、仕事を進めていたことを知って、大変驚きました。先々のことを考えながら計画的にプロジェクトを進めていくことは、私のような無精者にはまねができません。

  今回のはやぶさ2のミッション中、最大のものが、先代のはやぶさで思うように行かなかったサンプル収集方法です。はやぶさでは弾丸を発射できなかったために、大きなサンプルを持って帰ることができませんでしたが、やはぶさ2では、小惑星の上空から特殊な火薬の入った爆弾を発射し、表面にクレーターを作り、風化していないサンプルを得る予定です。もっともこのミッションは、サンプルを採取するのと同等程度に、宇宙での衝突実験をすることで、惑星の起源をさぐるという目的もあります。面白いのは、まともにやればはやぶさ2自体も破損する恐れがあるため、爆弾を撃った直後にはやぶさ2は避難し、分離されたカメラがその模様を撮影するという方法がとられることです。その様子を想像するだにユーモラスで楽しい気がしますが、メカニズムやプログラミングを考えれば大変なことだと思います。

  また、はやぶさでは故障してしまったイオンエンジンの雪辱も課せられています。はやぶさのイオンエンジンの推力は1円玉1つを動かす程度のものらしい。周知のとおり、4つのエンジンは次々に故障して、最後は1つのエンジンだけで地球帰還を果たしたのでしたが、そのDエンジンは噴射と停止を繰り返しながら18000時間稼働しました。故障原因の一つは燃料漏れとその凍結などで、ヒーターを節約したために起こりました。ちょっとしたことが大事故につながるという見本です。
 
  はやぶさ2のエンジン出力はもう少し大きいようですが、先代と違って長期にわたる耐久テストは不要だそうです。コンピュータによるシュミレーション技術が進んだためということで、だんだん検査方法なども変わるものだと感心しました。
 
  この本を読んで、日本の宇宙開発は前途多難だと思いました。最初はペンシルロケットから始まった歴史もありますが、倹約的というか、国の予算は少なく、はやぶさプロジェクトを成功させるほどの技術力を持ちながら、より大きなプロジェクトにチャレンジできません。万事、経済優先の体質は変わっていないようです。はやぶさがどれだけ、社会に明るい光を与え、子供たちに夢を提供したか、考えてほしいと思います。

世界の絶景ベスト100

2015-02-20 22:03:29 | 読書
自然と人類の最高傑作 世界の絶景ベスト100 小林克己 王様文庫


 王様文庫って怪しい気がしましたが、三笠書房さんが出している文庫のようです。

 この本は、カラー写真がふんだんに使われており、見て楽しい本です。本を読みながら世界一周した気分になれますし、今度どこに旅行しようかと悩んでいる羨ましい方の役にも立つことでしょう。アジア・オセアニア、中東・アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカと読んでいくと、本当に世界一周したようで楽しいです。

 世界にはこんなに素晴らしい景色があるのだなあと素直に感動しました。私は昔からヨーロッパアルプスが好きで、『アルプス登攀記』なんかをずっと読んでいましたので、アルプスの風景には見入ってしまいました。マッターホルンの雄姿を久しぶりに見ました。

 パラオの海の色はすごいですね。ミルキーウェイの乳白色を帯びたライトブルーの海の色、カヌーの写真は、海底に船の影が映っているだけで、海水は透明で見えず、まるでカヌーが宙に浮いているような感じで驚きました。また、タヒチのボラボラ島は、岩礁に囲まれたラグーンと深い外海の青の対比が幻想的で、信じられない美しさでした。

 それぞれの地で美しい景色を見ましたが、それにしても日本の景色は特別だなあと実感。繊細な自然美ということでは、美しさを再認識できました。

 もう世界一周をするには歳を取りすぎました。若い皆さんはぜひ自分の目でご覧ください。

おかげさまで生きる

2015-02-17 07:50:23 | 読書
『おかげさまで生きる』 東京大学医学部救急医学分野教授 矢作直樹

 筆者は神道にも強い影響を受けておいでのようで、争い事はわだかまりを水に流すことが大切だとおっしゃっています。また、神道の「清明正直」という言葉が紹介され、心を澄まして正直に生きることの重要性にも触れていらっしゃいます。ここまでは共感できますが、その後、天皇陛下は日本人そのものであり、国家の扇の要だと述べています。私は、天皇が「祈る人」であるという指摘は適切だと思いますが、過度な賛美は、ご多分に漏れず、ちょっと危険なものを感じたりもします。

 最も違和感を持ったのは、死んでも魂は永続するという考え方です。これは私が個人的に思っていることとは違うというだけのことで、筆者を非難しようとか、説得しようなどとはまったく思いません。真実がわからない以上、いろいろな見解があり、どれを選ぶかは個人が判断すればよいことです。

 ちょっとオカルト的に感じたのは、私たちはお天道様に見守られて霊性を持って生きているというお話、冷媒を通して亡くなったお母様と交流した体験、「手当て」は手から出る生命力だという指摘、死線をさまよいよみがえった体験談などでした。これらも、「私の感じ方」にすぎません。

 よく研究なさっていると思ったのは、一見ムダに思えたことや、それに費やした時間なども、本人には気づかなくても必ず学びがあるという指摘を読んだときでした。起きたことすべてに、それぞれ意味があるという考え方は、第三の心理学と言われるトランスパーソナル心理学の考え方です。

 筆者は、医療現場で命と死と向き合い、体験をもとにして、わかりやすい本を書いてくださいました。生きるための実践哲学として、「寿命ではなく、余命を頭に置く」という発想や「おかげさま」の精神を大切にすること、欲を捨てて安寧を得ることなどは心にとめるべきだと感じました。

月日の残像

2015-02-07 12:42:06 | 読書
『月日の残像』 山田太一  新潮社


 あとがきによると、この本は季刊誌「考える人」に9年間36回連載されたエッセーで、1回4000字で書かれた作品を集めたもののようです。

 本屋大賞にエッセイを選んでよいのかどうか知りませんが、私が投票権を持つとしたら、この本に投票しただろうと思います。初版は2013年12月なので、今年の対象かどうかもわかりませんが……。僭越ながら、内容も文体も素晴らしいものでした。

 内容は多岐にわたり、しみじみと趣深いものでした。松竹の助監督時代の話、ご家族の話、若い頃に読書ノート的に書いていらっしゃった抜き書き帳の話、海外旅行の話、映画「アメリカの夜」にまつわる話、向田邦子さん、市川森一氏らシナリオライターの話、親友寺山修二の話、世相の話題などなど。

 どれも味わい深く読みましたが、私が最も印象に残ったのは「ビールの夜」という作品でした。大学1年の筆者が12歳年上の兄とビールを読んだ夜の会話がテーマです。仕事で社長からも評価されているという兄の話に、筆者は、読んだばかりの小説の話をしました。小説の内容は、タクシーだったかで皆で帰宅する間、誰かが車を降りると、本人がいなくなる端から、残った人たちが、その人の悪口を言うという小説で、筆者は、そんなふうにはなりたくないと批判的な感想を持ちました。しかし、聞いていた兄は、「皆が頑張って生きているんだな」という感想を持ち、筆者を戸惑わせました。その後、筆者は兄の真意を、長い間、さまざまに考えあぐねます。

 私は、このお話に、兄弟の適当な距離と、親しみを感じました。兄の心情をこれほどまでに真摯に、長時間考え続けるということはできないことだと思います。私にも10歳上の兄がいますが、今度、じっくりビールを飲みながら話したいと思いました。

百年の仕事

2015-02-07 04:22:35 | 読書
百年のしごと 塩沢槙 東京書籍


 町の小さな店から名の知れた企業まで、トップに取材して、百年続く仕事についてレポートした本です。筆者は写真家としてスタートした女性ですが、「働く」ということをテーマにして、本を書いていらっしゃるようです。

 取り上げられた会社は、東日本大震災で被災した陸前高田市のヤマニ醤油店、石巻市の丸平かつおぶし店から始まって、中小企業から、カンロ、トンボ鉛筆、大日本除虫菊、福助、ヤンマー、万平ホテルといったメジャーな企業まで多彩です。それぞれの企業のポリシーやヒット作品の開発秘話とでもいうべきもの、転機を乗り越えた知恵などが、取材されています。

 私が一番感動したのは、前橋市のセキネ洋傘店の記事でした。明治37年に創業した店は、商店街の一角にある小さな店です。手作りの傘を作り、販売してきましたが、近年は思い出の着物で作る日傘や東日本大震災の大漁旗を使った日傘作りが全国紙で紹介され、話題を集めたようです。

 私が感心したのは、売った傘を無料で修理するということでした。現在は、日傘以外は手作りではないようですが、それでも、店で扱った商品のアフターサービスをしてくれるというのは、使い捨ての時代にあっては、とても大切なことだと思います。

 また、客から持ち込まれる思い出の着物で傘を作ることに意味を感じていらっしゃり、ただ売れるからと言って着物を使った日傘を作ろうとしないという心意気にも脱帽しました。

 あまり感動したので、先日、お店に伺い、傘を買ってきたほどです。さびれた、昔ながらの商店街の一角で、ご商売なさっている姿に、懐かしさを感じました。

 日本人は古来、モノにも心を感じ、慈しみ大切にしてきたと思います。それが、大量生産・大量消費の時代になって、モノを大切にしない風潮ができてしまいました。百均で何でも手に入る世の中ですが、やはりモノを大切にするということが、人を大切にするということとつながっているように感じます。

 私自身の心も荒廃していると思うので、これは自分に対する戒めです。

キューブサット物語

2015-02-04 23:30:33 | 読書
超小型手作り衛星、宇宙へ

 キューブサット物語  川島レイ  株式会社エクスナレッジ  1400円


 スタンフォード大学のロバート・トィッグス教授は、USSS(大学宇宙システム・シンポジウム)において、日米の宇宙工学を学ぶ学生にジュース缶サイズの人工衛星を高度4キロメートルまで打ち上げるという実証実験を提案しました。東大の中須賀研究室と東工大の松永研究室の院生たちが果敢にチャレンジし、大きな成果を上げることができます。しかし、彼らの夢は衛星を宇宙に送ることでした。

 その後、トィッグス教授は一辺が10センチ、重量1キロ以下の衛星を作って宇宙へ打ち上げようという提案をしました。打ち上げまでの時間は1年ほど。軍事用のミサイルを衛星打ち上げに転用しているロシアのロケットなら、隙間に入れて安価に打ち上げられるということでした。二つの大学の学生たちが、飛びついたのは言うまでもありません。

 何もない状態から、学生たちの汗と涙の衛星作りが始まりました。迫る期限の中で、何を目的としてどんな衛星を作るのか、学生たちは寝る間も惜しんで衛星づくりに打ち込みました。徹夜で作業した結果、電圧をかけすぎて回路を破壊してしまったり、施設を借りた大規模な実験を前にして、通信機能がうまく働かず、現地で必死に調整したりというアクシデントが続きます。

 何より苦しかったのは、打ち上げロケットが決まらなかったことでしょう。最初の契約は、中間業者が契約金だけをとってロケットの手配をしていなかったり、決まりそうでも発射が延期になったり、プロジェクトマネージャーが苦労してスケジュールを立て、皆が担当の作業に寝食を忘れて打ち込んでも、本当に宇宙に行けるのか?という疑問が最後までつきまといます。

 さまざまな困難を乗り越えて、2003年6月30日、二つの大学で別々に開発されたキューブサットは宇宙に打ち上げられ、その後、ビーコンという衛星からの発信電波が世界各地で受信され、衛星の成功が確認されました。日本で初めて、大学生が作った衛星が生まれた瞬間であり、世界で初めて10センチ角の小衛星が誕生した日でした。

 著者の調査は綿密で、文章も素晴らしいものでした。宇宙に興味のある方には、ぜひ読んで欲しいと思います。また、進路を考えている若い方々にも、多くの示唆を与えてくれる本だと思います。情熱を持って、あきらめなければ、夢は実現できるのだということなど、考えさせられました。日本の若者も大したものだと驚嘆します。

 東大、東工大のキューブサットについては、ネットで写真や詳細が確認できます。現在も飛行を続けているのはうれしい限りです。

最高の映画の原作本

2015-01-20 23:29:48 | 読書
『バベットの晩餐会』(イサク・ディーネセン著)

 私はこの作品を映画で見ました。ロードショーで感動したことを覚えています。私が、お気に入りの映画は?と尋ねられたら、おそらくこの映画を挙げるでしょう。静かで、素晴らしい作品でした。今回読んだのは、その原作です。
 ノルウェーの田舎町に住むオールドミスの姉妹、マチーヌとフィリッパは、牧師であった亡き父の遺志を継いで、地域の人たちの信仰を守っていました。そこへ、かつてフィリッパに求婚したことのあるアシーユ・パパンの紹介で、バベットという女性がパリから亡命して来ます。彼女は、家事の一切を引き受け、倹約をし、貧者に美味しい食事を提供します。
 14年後、バベットは宝くじで1万フランを当てます。そして、亡き牧師を偲ぶ会に合わせて晩餐会を開き、料理の腕を振るいます。その会には12名が招待されましたが、その中に、かつてマチーヌに求愛したレーヴェンイェルム将軍がいました。彼は、ただ一人だけ、その夜のディナーの価値に気づきます。それは、若い頃、パリのカフェ・アングレで食べたオリジナル料理と同じだったのです。さらに、コックが女性だったことも思い出します。
 皆はいつもと同じように食べ、ワインや料理を褒める者もいませんでした。しかし、皆幸福な気持ちになり、食後には、仲たがいしていた者同士が仲直りし、将軍とマリーヌと言葉を交わし、素直に好意を伝え合いました。
 姉妹が台所に行って、バベットに感謝を伝えると、バベットは、身の上を明かし、自分は芸術家なのだと宣言します。そして、芸術家は最善を求め、次善には耐えられないというオペラ歌手だったパパンの言葉を紹介します。パパンはかつてフィリッパの歌の才能に感動し、彼女をプロにしたいと申し出、その気持ちをずっと持っていたのでした。
 バベットは、その夜の晩餐会に10万フランをすべて使ったのでした。そこで料理の価値に気づいたのは将軍だけでしたが、皆が、幸福に満たされ、別世界に遊ぶことができたのでした。料理が芸術になると、食べる人の世界を変えるのです。料理の持つ力には、確かにそういう部分があるように思います。
 料理に関わるすべての方に、読んでいただきたい本だと思いました。
 文庫本に入っているもう1つの作品『エーレンガート』は絶筆だそうですが、こちらも美しく幻想的な作品でした。

宮本輝氏のエッセイ

2015-01-08 19:36:08 | 読書
 先月発売になった新刊『いのちの姿』(宮本輝 集英社)を読みました。
 「あとがき」にもあるように、筆者のエッセイは少ないです。しかし、私は、氏のエッセイを小説よりも高く評価したいと思います。今回も「エッセイというものの滋味深さ」が感じられる14編が収められていて、じーんとさせられました。
 それでは、特に印象に残る3編を。

「人々のつながり」
 パニック障害に悩む筆者が、ラッシュアワーの電車に乗らずにすむように、近所の建築金物を売る会社に勤めた。小説を書く時間がなくなるために、二か月ほどでやめてしまうが、その後も縁は続き、やがて、父上の手記の話が出てくる。そこには、朝鮮の人々に援助されながら、150人の日本人が、海路、38度線を越えて帰国を果たす経緯が書かれていた。筆者は、それを小説に採り込んで「善き人々の連帯」を描くことになる。
 縁は異なもの味なものを実感。


「消滅せず」
 友人の家に転がり込んだ男の話。その男は、中二階の床を張り替え、毎日、無垢に板を焼酎を含ませた布で丹念に磨いた。後年、家を建て替える時に、その木材は高い値段で引き取られ、男はそれを置いて家を出て行ったという。
 歳月と、そこに費やした労力は、消滅しないということを教えられる。


「土佐堀川からドナウ河へ」
 小説の取材でブルガリアへ向かった筆者だが、ある地点で公共交通機関がなくなってしまった。遠回りしていくしかないとバスに乗ることを促す同行者に対して、筆者は、必ず援助してくれる人が現れると確信して、その場にとどまる。やがて、一人の青年が車で送ることを申し出て200ドルという値段交渉が成立する。しかし、途中で追いはぎに変身する危険は否めない。それでも、筆者には大丈夫だという確信がある。根拠のない確信ではあったが。
 最後に筆者はこう記している。「目に見えないものを確信することによって現実に生じる現象というものを、私は信じられるようになっていたのだ」
 私はまだそれを信じることはできない。

それでも前へ進む

2015-01-07 20:25:59 | 読書
 新刊を読むことはほとんどない私ですが、発売されたばかりの『それでも前へ進む』(伊集院静 講談社)を読みました。
 これはJRが出していて、新幹線に乗ると座席のポケットに入っている「トランヴェール」という雑誌に、氏が連載していたエッセイをまとめたものです。第一部の「車窓にうつる記憶」がそれで、今回は、特に第二部として、東日本大震災に寄せた「それでも前へ進む」を加えて出版されたようです。
 旅がテーマになっていることは間違いありませんが、季節の移ろい、花、幼少の頃の思い出など、氏のエッセイに共通する世界が描かれていて好感が持てます。氏は、これまでのエッセイの中では「夏目雅子」の名前はずっと出さずにこられたように思いますが、この本では前妻の名前として記されていたので驚きました。ちなみに、「家人」が「篠ひろこ」さんであることも編集者注として出ていました。伊集院氏の中で、気持ちの整理がつけられたのだろうと思いました。
 読んでいて、これほど心が落ち着き、人と人との出会いが人生のすべてなのだと教えられる本はありません。「元旦の空」と題したエッセイもありますので、お正月気分の抜けないうちに、1年の計を考えるためにも、ぜひ読んでいただきたいと思います。
 今年は、私もまた石巻へ行ってお金を落としてきたいと思っています。




詩を書くということ

2015-01-07 19:06:42 | 読書
 谷川俊太郎氏は現役としては日本で最も有名な詩人ではないでしょうか。かなり高齢にも関わらず、ますますお元気でご活躍です。
 谷川氏の本で『詩を書くということ~日常と宇宙と』(PHP研究所)を読みました。この本は2010年にBSハイビジョンで放送された「100年インタビュー」という番組をもとにして書籍化したものです。本でも、途中、ご自身で詩の朗読をされていたり、中島みゆき氏の質問に答えていたり、小室等氏との対談が挟まっていたりしていて、なかなか面白い番組だったことがわかります。番組をテレビで見られずに残念でした。
 全体が、司会者の質問に谷川氏が答える形で進行していますが、私が最も印象に残ったのは「僕は割と最初から言葉を信用していなくて」という発言でした。詩人たる者、言葉が生業という気がしますが、だからこそ、強くお感じになることでしょう。
 私自身、自分の真意を言葉にしようとすればするほど、言葉に裏切られ、もどかしさが募ったり、誤解を受けたりしました。こうしてブログを書いていても、自分が本当に書きたいことは、なかなか言葉にできず、むしろ、違うことを書いていると感じることもあります。人は言葉によってコミュニケートするわけですが、それには限界があるということをよく知っておくべきです。
 谷川さんの詩はやっぱりいいなと感じる1冊です。


カズオ・イシグロを読む

2015-01-07 19:02:52 | 読書
 年末から年始にかけて、休暇も利用して3冊の本を読みました。
 まず、カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』(小野寺健訳 早川書房)。これは、王立文学賞受賞作『A Pale View of Hills』(1982)の邦訳です。
 私は以前、映画で「日の名残り」を見て感動し、原作を読みました。これは英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞した作品で、貴族の執事が過去を振り返る内容で、重厚で素晴らしい作品でした。二度と戻れない過去の輝きに胸が痛んだことを記憶しています。それから、カズオ・イシグロがずっと気になっていました。今回は出世作となった初期の作品を読みました。
 英国に住む一人の日本人女性が、娘の死を乗り越えていこうとする姿と、浮気な米兵に夢を託し、アメリカへ旅立とうとする女友達の姿を対比させながら、かすかな希望に向かって生きようとする女性の姿を描いています。人間が感じる日常の不安を実に丁寧に描いていると感じました。
 私は『日の名残り』と『遠い山なみの光』を読んで、カズオ・イシグロをリアリズムの作家だと思いますが、実は、2005年に世界的なベストセラーとなった『わたしを離さないで』などはだいぶ趣が違うようです。次回は、そんな別な面が感じられる作品を読みたいと思います。幼いころに日本を離れ、日本語を解さないカズオ・イシグロの存在は、日本文学を考える上で特異な存在です。
 

懐かしいテレビドラマを思い出しました

2014-12-21 07:02:50 | 読書
『敗者たちの創造力~脚本家山田太一』長谷正人著(岩波書店)

 脚本家山田太一氏はテレビドラマの脚本家として現在も活躍されています。その山田作品について考察したのが本書です。まえがきには、現代が「負け」「失敗」を極度に恐れることから時代の閉塞感が生まれているとし、その中で「敗者」が「敗者」のまま救われていく山田作品が大きな意義を持つというようなことが述べられていました。
 考えてみれば、山田作品の主人公は、どの人も日常生活の中で、普通というより、どこか過去の負い目や不運を背負った人が多いことに気づきます。そして、それらの人々が劇的に幸福に転換されるのではなく、不幸を受け容れて、やがて心の安定を得るという筋立てが多いようです。これは松竹で長く助監督をやり、陰で監督を支える役回りだったことや、親友の寺山修司が時代のパイオニアとして華々しく活動していたことを思い起こすと、山田氏自身が投影されているのかと思われます。
 私は、山田作品の大ファンです。鶴田浩二が演じた「男たちの旅路シリーズ」「シャツの店」、笠智衆の存在が際立った「今朝の秋」、ジョージ・チャキリスがラフカディオ・ハーンを演じた「日本の面影」、また、映画になった「異人たちとの夏」は何度も見ました。ただし、代表作の一角を占める「ふぞろいの林檎たち」「岸辺のアルバム」はまだ見ていないのでテキトーではあります。
 この本で、著者とともに、山田作品を懐かしく振り返ることができました。また、作品に込められた思いを読み解くこともできました。私の最も好きな「男たちの旅路」では「シルバーシート」「車輪の一歩」、根津甚八がカッコよかった「墓場の島」など、たくさん取り上げられていて、作品の意味を再確認できました。
 以前「勝ち組」「負け組」などという言葉が流行ったことがありますが、実際には貧困や離婚などで「負け組」の人が多いのではないでしょうか。私もその一人ですが、そうした人々への慰撫として、あるいは応援歌として、山田作品を見ることができるかもしれません。

頑張れ!はやぶさ2

2014-12-07 09:52:06 | 読書
 はやぶさ2の打ち上げに合わせたわけではないのですが、『はやぶさ式思考法』(川口淳一郎著 新潮文庫)を読みました。予想以上に素晴らしい本で、さまざまなことを教えてもらいました。その中で、著者がはやぶさに2度目のイトカワ着陸を指令するか、止めるか悩む場面が出てきます。はやぶさは1度イトカワに着陸して少しの岩石を採取できた可能性を得ます。しかし、採取できていない可能性もあります。機体も多くのトラブルを抱えており、もう一度、着陸して岩石を採取しようとすれば、地球に帰還できないダメージを負うかもしれません。2度目の着陸を止めたとしても、はやぶさが帰還すればさまざまな世界初の偉業を達成できますが、帰還できなければ水の泡です。失敗すれば、その責任はすべて筆者が負うことになるのです。
 私だったら、2度目の着陸は無理だと判断して、それを回避し、帰還する道を選んだ気がします。しかし、筆者は、2度目の着陸をしないで帰還を指令した場合、無事に帰還できたとしても「決定的な場面でリスクから逃げた自分を一生責め続けるだろう」と思ったそうです。2度目の着陸に失敗すれば、「無理をし過ぎた」と世間から非難されるでしょうが、非難される辛さはまだ耐えられる、しかし、リスクから逃げたという悔いには耐えられないだろうと筆者は考えたのです。すごい決断だと舌を巻きました。「挑戦しない限り未来はない」と筆者は書いていました。チャレンジすることが大切だということは容易に理解できますが、それを実行することは容易なことではないはずです。胆が据わった決断です。
 この本には「創造的仕事のための24章」という副題がついており、作者が仕事をする中から得た教訓がまとめられています。これは社会人だけでなく、学生にも通用する普遍的な真理であると感じました。また、論語や仏典などからの引用が驚くほど多く、筆者が工学だけでなく、文系の勉強にも精通していることを示しています。そういったリベラルアーツが成功の秘密としてあるのではないかと思いました。

脳の不思議を再認識しました

2014-11-14 22:16:26 | 読書
 『脳のなかの幽霊、ふたたび~見えてきた心のしくみ』(V.S.ラマチャンドラン著 角川書店)を読みました。
著者は神経内科医ということで、臨床体験を通して多くの患者と触れ合い、具体的な事例にもとづいて書かれているので、具体的で面白いものでした。
  例えば、事故で脳の一部に損傷を受けた人のケースで、その人は自分の母親を判断はできますが、それを偽物だとして認めません。判断する器官と認知する器官を結び付ける回路が切断されてしまうと、このように奇妙な現象を生み出してしまうのです。
  また、事故でなくても遺伝的に、連絡回路が混線している人がいます。200人に1人いるというのですから大変な確率です。共感覚と名付けられたこの現象は、例えば、特定の音を聞いて、特定の色を思い浮かべるとか、特定の数字を見ると、それに特定の色がついて見えるとか、本来は何のつながりもないはずのもの同士が、結びついてしまっているのです。
  筆者は、それと芸術的な感覚を結び付け、芸術とは共感覚に近いということを述べています。例えば、不鮮明なぼやけた線と、のこぎりの歯のようなギザギザの線を見せて、どちらが「rrrrr」で、どちらが「shhhh」かと尋ねると、回答は偏ったものとなります(容易に想像ができるでしょう)。不鮮明なぼやけた線と「rrrrr」は本来、何の関係もないはずですが、それが結びついてイメージされることは確かに一種の共感覚と言えるかもしれません。私たちのイメージとは、そういう脳の作用が関与していたのかと驚かされます。現実との乖離が大きいピカソの抽象化やデフォルメというものも、あるいは詩人が用いる飛躍を感じる比喩表現なども、同じように理解できるのかもしれません。
  脳というのは不思議なものだという感慨を深めました。

『慈雨の人』を読んで日韓関係を思う

2014-11-08 07:25:23 | 読書
 江宮隆之著『慈雨の人』(河出書房新社)をご紹介します。副題が「韓国の土になったもう一人の日本人」とあります。「もう一人の日本人」が意味するのは、著者が既に上梓した『白磁の人』の主人公浅川巧氏を指しています。私はかなり以前に『白磁の人』を読みましたが、それが素晴らしかったので、今回も期待してページを開きました。
 この小説の主人公、曽田嘉伊智(ソダカイチ)氏は1867年山口県の小さな村に生まれました。明治に改元される直前です。彼は、長男でしたが、英語を身につけたいと長崎に出て、その後、香港、台湾に渡って、語学力と世渡りの術を手に入れ、会社を興して経済的な成功を収めました。しかし、金を稼ぐことだけが目的の生活と放蕩三昧の生活に虚しさを感じ、新天地を求めて韓国に渡ります。彼は行動的な人物で、先のことも考えずに新しい土地に乗り込んでいくのですが、それぞれの土地で支援者を得て生活を立てていくのは、彼の人徳によるのでしょう。
 やがて、妻の瀧子さんと出会い、キリスト教に入信、霊的新生を体験して奉仕の精神に目覚めました。利益を追求する仕事から聖書販売と伝道という仕事に鞍替えし、孤児院の仕事に関わるうちに、それを任され、妻とともに韓国の孤児たちのために働くようになります。極貧の中で苦労を重ねる間には、日韓併合や終戦、朝鮮戦争など、日本と韓国は難しい関係がありました。韓国の人々からは偽善者扱いされたり、日本からも反日思想を教育していると追及されたりしました。あるときは施設を出てから独立運動に加わって逮捕された人が出ましたが、嘉伊智氏は、韓国人が韓国の独立を願うのは当然だと考えて、彼らに寄り添う姿勢を貫きました。
 嘉伊智氏らの努力の結果、収容される孤児が増えると、嘉伊智は老体に鞭打ってリヤカーを引き、遠方まで食料を寄付してもらうために出かけなければなりませんでした。そのようにして育てた孤児は1000人以上、3000人は下らないと言う人もいるそうです。
 戦後、一時帰国のつもりで日本に戻った嘉伊智氏は全国を回って平和の大切さを説きましたが、韓国へ戻りたいという願いは、国交がないことを理由に叶いませんでした。13年に渡って日本にとどまることになってしまった間、妻の瀧子さんは韓国で亡くなってしまいました。
 その後、朝日新聞社の記者が嘉伊智氏のことを知り、取材して記事を書きました。日本と韓国両国に波紋が広がり、その記事がもとになって、嘉伊智氏は韓国に「帰国」することができました。そして、嘉伊智氏は90歳を超えて韓国の土になることができたのです。
 この作品は小説ではありますが、歴史の一コマを描いた、限りなくノンフィクションに近い作品です。瀧子さんと嘉伊智氏は、2人とも、韓国の国葬に次ぐ「社会葬」をもって送られています。私は、国境を越えて人々を愛したお二人を誇りに思います。国同士はいがみ合っていても、国民と国民が直に触れ合えば、同じ人間として気持ちを通い合わせることができるはずです。多くの韓国の方々は、日本は嫌いだったでしょうが、浅川氏や嘉伊智氏のことを愛してくれました。民間外交といいますか、国として色付けをしてしまうのではなく、まず人と人との関係を結んでから、国と国が向き合うことが大切なのだと思いました。
 日本と韓国の関係がギクシャクしていますが、こんな日本人がいたことを両国民に知ってほしいと思います。