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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

今日は読書3連発です

2014-11-03 12:59:55 | 読書
 やる気をなくして更新をさぼってきましたが、今日は久々のオフなので、もう一つ先週読んだ本を挙げておきます。『安藤忠雄 仕事をつくる』(日本経済新聞社)です。
 安藤氏は世界的な建築家ですが、若いころに建築の専門教育を受けたことはなく、ボクサーだったという経歴を持つ、珍しい方です。自ら国内や世界を回り、実物の建築物を自分の目で確かめ、学ばれてきました。『仕事をつくる』というタイトルは、仕事のなかった若いころ、近所に空き地があると、勝手に設計図を描いて売り込みに行ったというところからも、名づけられたものでしょう。そのバイタリティーといいますか、旺盛な行動力こそが、安藤氏を世界的な建築家へと押し上げたのでしょう。ル・コルビジェに会うためにフランスへ行ったことなども、敬服すべきエピソードです。
 安藤氏は、これまでにも自伝的な作品をいくつか書いてこられましたが、この書は、特に他者とのつながりにポイントを置かれたようで、交遊録的な面が面白いと思いました。
 例えば、病気仲間?の小澤征爾氏、三宅一生氏、イサム・ノグチ氏などの芸術家、仕事のパートナーでもある奥様のことは今回の著書で初めて触れられたのではないでしょうか。経済界では、サントリーの佐治敬三氏、京セラの稲盛和夫氏、アサヒビールの樋口広太郎氏、直島のクライアントであるベネッセの福武総一郎氏など。また、住吉の長屋のオーナーから海外のクライアントまで、素晴らしい人脈が紹介されています。人を動かし、チャンスをつかんでいく安藤氏の力はすごいと思いました。
 安藤氏は建築だけでなく、日本の将来についても多くの提言をなさっています。大局的にものを考えるという視点を、政治家も見習ってほしいと思わないではいられません。

毛利衛、ふわっと宇宙へ

2014-11-03 12:20:48 | 読書
 読書の秋と言うわけではないですが、これも先週読んだ本をご紹介します。朝日文庫刊『毛利衛、ふわっと宇宙へ』という本です。
 毛利衛氏の印象はクールな秀才と言うイメージでしたが、この本を読んで、若いころから留学するなど活動的だったこと、3名の宇宙飛行士候補の中から最終的に選抜されるために、いろいろな対策を講じた頭脳的なプレーなど、今までとはちょっと違った毛利氏を感じることができました。
 氏は当初、化学の分野の研究者をめざし、大学院で研究していました。それまで、高校生のときに学校を休んで日食を見に行ったり、公務員試験を途中で投げ出してテレビでアポロ11号の月面着陸の中継を見てしまったりするなど、宇宙への関心ももちろん強かったようですが、明確な目標ではなかったようです。
 1983年、新聞に掲載された宇宙飛行士募集の記事が、氏の人生を変えます。積極的に応募して試験を受けていくことになるものの、当初は本当に宇宙飛行士になれるとは思っていらっしゃらなかったようです。試験や訓練の途中で、ラマーズ法の呼吸法を実践して宇宙酔いを克服したことも含めて、奥様が最初から最後まで献身的にサポートされたことを知り、内助の功の大きさに感心しました。国内や国外で何度も引っ越しをなさっていますから、ご家族も一緒に頑張ったわけです。お子様方は、なかなか体験できないようなことを数多く学び、きっと大変だったとは思いますが、大きく成長できたのではないでしょうか。
 私が最も感動したのは、チャレンジャーの爆発事故で亡くなったエリソン・オニヅカ氏の奥様の話でした。奥様はNASAにお勤めで、毛利氏とも家族ぐるみのお付き合いをなさっているようです。宇宙への出発前、「エリソンと一緒に飛ぶからね」と毛利氏が声をかけると、奥様は涙を流したという記事が胸に迫りました。
 どうして今、毛利衛氏なのかといぶかる方々もいらっしゃるでしょうが、毛利氏は日本の宇宙飛行士のパイオニアです。その言葉は、いつまでも重みを持つと思います。

『蜩の記』原作を読んで

2014-09-30 19:54:59 | 読書
 話題の映画や小説は、なるべくスルーしようと思うのですが、話題性のあるものをとりあげることで、お読みいただき、ご連絡いただける方が増えるかという打算から、葉室麟著『蜩の記』(祥伝社刊)を読んでみました。すでに映画のコマーシャルをたくさん見ていましたので、登場人物の秋谷が役所広司氏に、庄三郎が岡田准一氏に見えてしかたありませんでした。
 10年後に切腹する期日が決められていて生きること。それは1つのテーマとして考えさせられるものです。自分ならどう考え、どのように生きるだろうかと、思わず自分の身に引き寄せて考えてしまいます。
 このお話のクライマックスは、庄三郎と郁太郎(秋谷の息子)が家老屋敷に乗り込み、郁太郎が親友を殺された恨みを晴らそうとする場面で、庄三郎は彼を助けて活躍します。さらに、囚われたその二人を助けるために、秋谷が家老とやりあう場面も息を飲むスリリングなシーンです。三人がそれぞれに、自分が信じるもののために正義を通そうとして強大な権力に立ち向かう姿は感動的です。映画でもクライマックスになるでしょう。のちに、家老も秋谷の息子の郁太郎の将来を期待する態度に変わっていきます。
「長いものにはまかれろ」「事なかれ主義」をモットーにしてきたような自分には、男気のある、義に殉じる覚悟は素晴らしいと感じられました。たぶん、私には一生できないことでしょう。
「善行からは美しい花が咲き、悪行からは腐った花が咲く」というのが、主人公の信念のようです。自分の正義や目先の利益だけでなく、長い目でものごとを見ることが大切なのだと気づかされます。秋谷が藩の歴史を書くことを命じられていることも象徴的でしょう。
難を言えば、登場人物たちが相手の心を読めすぎることです。相手がちょっとあるそぶりを見せれば、すぐにそれと察して言葉をかけてくる。それだけ人間関係ができているということなのでしょうが、現実にはありえないことです。その以心伝心ぶりは少し不自然だと思いました。
 また、秋谷はお家騒動に巻き込まれて死を賜るのですが、側室の出自が関わってくる、その経緯が、わかりにくいと同時にそれほど重大なことなのかと疑いたくもなります。映画ではどのように描かれるのか、興味のあるところです。
それにしても、この本は、古きよき時代の日本人(武士?)を描いた作品として、よくできていたと思います。組織や他の人のため、自らの信じる義のために命をかける人々の姿は文句なく感動的でした。
 映画はもちろん見たいと思います。

生命とは何だろう?

2014-09-30 04:55:30 | 読書
 長沼毅著『生命とは何だろう?』(集英社インターナショナル)を読みました。基本的にノンフィクションが好きで、小説より読む機会が多いようです。iPS細胞による世界初の手術が成功するなど、医学の進歩がみられる中で、もう一度、原点回帰ということで、生命について知見を得たいと考えました。
 それでは、私の印象に残ったことを2つ紹介します。1つは、女性による単為生殖が可能なことでした。女性は、胎児の段階から卵巣内に卵子の元となる細胞を持っており、女子が生まれ続く限り、卵子の連続性が保たれる仕組みになっています。そして、卵子が分割を始めるためには、必ずしも精子を必要とせず、東京農工大では、マウスの動物実験で、機械的な刺激を与えた卵子を母胎に戻して出産させる単為生殖に成功しているそうです。つまり、女性に関しては、難しい遺伝子操作などをしなくても、容易にクローンが作り出せるわけです。生命に関する限り、女性は圧倒的な決定権を持っているのです。これには心底驚きました。このメカニズムには脅威というより、深い企みがあるように感じられます。やはり、神のような存在があって、神がこんなメカニズムを考え出したのかと思うと、男としては複雑な心境です。
 次に、よく言われることですが、動物や昆虫には、どのくらいの色が識別できるのかというお話。例えば、犬が識別できるのは黄色と青の2色だそうです。盲導犬が交通信号に対応できるのは、赤と緑の位置、濃淡、周囲の人の動きなどから判断しているとのこと。賢いものだと感心しました。先日、盲導犬を刺した人がいるというニュースが話題になりましたが、こんなに利口な盲導犬を傷つけるなんて、本当に許せません。
 たまに、こんな本を読むのも面白いと思いましたので、ご紹介しました。

朝日新聞誤報問題

2014-09-27 14:36:50 | 読書
 櫻井よしこ氏というジャーナリストは、私には少し右寄りの人として敬遠しているところがありました。
 今回、文藝春秋10月号に「朝日誤報を伝えないニュース番組」という文章を寄稿されているのを読んで、多少見方が変わりました。
 吉田清治氏の証言を32年前に報道した朝日新聞は「世紀の大誤報」をしてしまったわけですが、32年間、それを放置し、女子挺身隊まで慰安婦にしたという誤りを、世界に定着させ、ジャパンバッシングを先導する役割を担ってしまいました。
 朝日新聞の謝罪会見はニュースで見たような記憶がありますが、これだけの問題が大きく扱われていないことに違和感を持っていました。今回、櫻井氏の文章では、ワシントンポストやニューヨークタイムズが誤報を犯した際の対応が記されていましたが、読者に対して責任を全うする態度はさすがであり、ジャーナリストたるもの、それくらいの対応がなされてしかるべきだと感じられました。それに比べれば、朝日新聞の態度はあいまいであり、テレビのニュース番組にも、それを正確に報道し検証しようという姿勢がありません。互いにかばいあい、自分たちの腹を探られることがないように、見て見ぬふりをしている気がしてなりません。
 集団的自衛権にも話がおよび、機雷の除去を武力行使とみなされる現在の状況や、南シナ海における中国の活動、アメリカが中東に手をかけてアジアに空白が生じている現状等が述べられていました。危機的な国際情勢は確かに憂慮しなければならないし、マスコミは、いたずらに不安をあおることなく、しかし、事実はしっかりと伝える義務があります。
 真実を放置したまま正義の旗を振ろうとする新聞社の報道や思想を、やみくもに信じることはできないと感じました。平和を訴えることはもちろん重要ですし、軍備は増強しないほうがよいに決まっているのですが、事実を伝えることがマスコミの義務である以上、事実を正確に伝え、国民に今、アピールすべき情報をセレクトして、議論を広げ深めていくことが、マスコミに求められる姿でしょう。オピニオンリーダーの座を得たいと考えて報道するのは、誤りであると思いました。

ポーカーフェース

2014-09-17 21:53:49 | 読書
 沢木耕太郎氏の『ポーカー・フェース』では、シーナ・アイエンガー氏の『選択の科学』に触れています。彼女によれば、「多すぎる選択肢は人を行動から遠ざける」のです。これは「ジャムの研究」と呼ばれていて、スーパーの試食コーナーに24種類のジャムを置いた場合と6種類のジャムを置いた場合を比べると、6種類の方が6倍以上の売り上げがあったということです。以前、私もニュースで見たことがあったので、すぐに得心できました。
 私の見たテレビでは、アメリカのスーパーでベビーカーの売り場にたくさんの機種を並べておくと、消費者は選択に迷って買うことができないというものでした。商品は多ければ多いほどよい、選択肢は多い方がよいに決まっていると思っていたので、私には衝撃でした。
 一方、アイエンガー氏にはラットの研究というのもあって、ビンにラットを入れて泳がせると、15分で諦めて溺れてしまうものと、60時間も泳ぎ続けるものなど、個体によって大きな開きがあるそうです。ところが、すべてのラットに水噴射を浴びせて、そこから助けるということを繰り返すと、すぐに諦めるラットはいなくなり、力の限り泳ぐようになるそうです。ラットでさえ、困難を克服する経験をすると、自力で生きようとする「意思」が生まれるというのです。これを受けて、沢木氏は子供時代の成功体験が、人の将来に大きな影響を与えると述べています。これはとても興味深い実験だと思います。
 その後、沢木氏は、選択の自由度と満足度の相関関係に及びます。企業でトップマネジメントをする人と、単純労働する人を比べると、心臓病でぽっくり死ぬリスクは、単純労働者の方が高く、単純労働者の方が多くのストレスを抱えてしまうそうです。つまり、単純労働者は、決められたことを決められたとおりに行うために、選択の自由度がなく、満足度も低く、結果、ストレスをためてしまうということなのでしょう。これも意外な結果です。
 さて、沢木耕太郎氏がバカラにはまったことは有名です。バカラは、カードをセットした最初からすべてが決まっていて、途中で誰かが関与することも、何かによってセットされたものが変わることもありません。すべてが自分の責任において決定され、負ければ自分が悪いという、自己完結的なゲームです。沢木氏は、そこに博打における「究極の無垢性」を見出しています。
 私には、単純労働をする人の話と、バカラの話の結びつきがよく理解できませんでした。最近は、こういう論理のつながりがわからなくなっています。歳をとって暗記力が鈍るのはわかりますが、私の場合は、思考力にも問題ありです。

文明論を読む

2014-09-07 06:56:49 | 読書
 『人間と科学・技術』(志村史夫 牧野出版)を読みました。タイトルだけを見ると、とても難しそうで堅苦しいものを想像しますが、おそらく高校生でも読める内容でしょう。人間は驕りを捨て、発想を変えて、自然と共存すべきだという内容です。二酸化炭素が温暖化に大きく影響するものではないこと、極地の氷が溶けても海面上昇がないことなど、冷静なアプローチが見られます。
 私が特に面白く感じたのは、筆者が高く評価する夏目漱石に関する記述でした。近代人漱石が、西洋文明に対する強い危惧を持ち、それが的を得ていることには驚かされます。例えば、『草枕』では、汽車を例にとり、汽車は何百と言う人間を同じ箱に詰め込み、同じ速度で走り、同じ駅に止まり、同じ恩恵に浴さなければならないと述べ、文明は個性を発達させたのちに、あらゆる手段を使ってその個性を踏みつぶそうとするものだと述べています。
 大量生産。大量消費など経済最優先の考え方を転換し、ささやかであっても本当の幸せを実感できる社会ができたらどんなによいでしょうか。アベノミクスなどと勝手な思想を振り回し、誤った道に国民を導こうとしている方々にも考えていただきたいことです。
 もう1冊、講談社学術文庫『バーナードリーチ 日本絵日記』を読みました。欧米に対する無批判な追従をしていた当時の日本に対して、リーチは日本独自の芸術や暮らしに誇りを持ち、自国を卑下することがないようにと助言しています。民芸運動の柳などとともに、全国を回って書いた日記は、日本の芸術への深い理解に満ち、各地で会った日本人との交流も丁寧に描いています。それにしても、当時、リーチを迎えた芸術家たちは、温かくリーチをもてなし、リーチ自身もごく自然に敬意と感謝をもって接しているところを見ても、やはり外交は一般市民の交流と理解こそが重要なのだということを教えられました。
 偶然とはいえ、この2冊を続けて読んだことにも意味がありました。

ココペッリを知ってますか?

2014-07-25 18:44:39 | 読書
 以前、新宿で偶然入った輸入雑貨を扱う店に、それはあった。テーブルセンターのような布に織り込まれたり、絨毯に刺繍されていたりしていた。
 触覚を持って体を海老のように曲げ、笛を吹いている黒いシルエット。背景は、中南米のものかと思われるような鮮やかな模様で埋められていた。
 その不思議なシルエットに魅せられて、私は1枚の布を買った。たくさんのシルエットが布の中で踊っていた。何ともかわいらしく愛嬌があった。
 それがいったい何者なのか。長くわからずにいた。そして、それに惹かれたことを忘れかけていたころ、西江雅之氏の『異郷日記』(青土社)によって、それが「ココペッリ」と呼ばれるものであることを知った。
 ココペッリが何者かは諸説紛々というところらしい。さまざまな説があって、定説はないようだ。
 アメリカのネイティヴ・アメリカンの神話などから、ココペッリは神聖な存在であったとする説がある。また、呪術師か呪術医のような存在だったとする説もある。
 メキシコのアステカまたはトルテカ移動巡回商人が、村々を巡り歩いて、自分の到着を笛で告げていると考える説もある。彼らの背中の瘤は荷物で、笛を吹きながらやって来るのだ。
 私のように、頭の突起を触覚と解する説では、ココペッリを虫の一種であったのではないかとする説がある。セミのように、樹に突き刺して樹液を吸う固く長い口を持っている虫と人間が合体したものと考えれば、仮面ライダーの元祖のような存在なのかもしれない。
 また、新宿のあの店に行ってみたくなった。今度は、おどけたココペッリが織り出された大きなタペストリーがほしい。それを飾っておくと、何か愉快なことがありそうな気がする。
 あえて画像は載せません。興味のある方はぜひ調べてください。

旅をした人

2014-06-14 13:15:24 | 読書
 池澤夏樹氏の『旅をした人』(スイッチ・パブリッシング刊 1999年 2,400円)を読み終えました。388ページに及ぶ作品で、久しぶりに厚い本を読んだ気がしました。
 この本は副題に「星野道夫の生と死」とあるように、池澤氏が星野氏の死を悼み、彼の死を受け入れるためにまとめた本のようです。既に発表されていた星野氏の死にまつわるエッセイや対談が収録されています。
 私も星野氏の文章が好きで、これまでにかなり読んだつもりですが、池澤氏の本を読んで、改めて感じたことが多々ありました。
 星野氏は千葉県市川市の出身です。中学生のころ、電車で通学する間に、よく北海道のクマのことを考えていたといいます。自分がこうしているときに、自分のまったく知らない場所で、クマが生きていることを想像して楽しんでいたというのです。その想像力と「心の動かし方」を、池澤氏は繰り返し述べています。彼の想像力のスケールの大きさは驚くべきものです。
 星野氏は、友人が山の噴火で偶然に亡くなったことにショックを受け、自分の人生なのだから好きなように生きようと決心したそうです。その後のことなのかどうか、16歳で早くもヒッチハイクでアメリカを縦断、神田の古本屋で見たアラスカの写真集の中にシシュマレフという町の航空写真を発見して感銘を受け、村長宛に手紙を書いて受け入れてもらい、ひと夏を過ごしたことは有名です。そして、アラスカで働くことを考え、カメラの技術を習得してカメラマンとなり、アラスカへ渡ります。生涯のテーマをアラスカとし、そこで生きるために、やがて家を建ててアラスカで暮らすようになるのです。
 星野氏の写真は動物を撮る場合でも、アップで撮るよりは、必ずバックに風景を写しこんで、自然全体をとらえるように配慮されています。動物写真でなく、ライフワークである「アラスカ」を表現することに心を傾けたのでしょう。晩年はワタリガラスに関する神話を集めることにも力を注ぎ、アラスカとシベリアに同様の神話が存在することをつきとめ、地域の関係性や人々のルーツを明らかにする仕事を手掛けていました。写真から民俗学的な仕事にまで、活動の領域を広げていたのでしょう。アラスカを大きくとらえる試みだったのかもしれません。
 星野氏に対する池澤氏の思い入れの深さがよく伝わる本でした。星野道夫という人物の魅力を改めて感じた1冊でした。




旅の窓

2014-06-14 09:07:53 | 読書
 沢木耕太郎氏の『旅の窓』という本を読みました。これは雑誌『VISA』に10年ほど連載されているものをまとめた本のようです。幻冬舎から1,000円(税抜)で発行されています。
 見開きの左ページに1枚のカラー写真、右ページに文章が添えられています。文章は600字程度ですので、どんどん読んでいけます。沢木氏は『深夜特急』の旅の写真を『天涯』という本にして発表されています。『旅の窓』の写真も海外のものが多く、玄人はだしの出来栄えだと私は思います。
 例えば「まぶしい笑顔」という写真は、肩を組んで笑う少年が正面から撮影されています。文章には、肩を組む行為が日本ではあまり見られなくなった、あんなふうに肩を組んでみたかったと書かれていました。
 「素晴らしい人生」は、中国だったでしょうか、家の前に座ってジャガイモの皮をむく老婆が写っています。一つをむき終えるのに20分ほどかけている姿を見ているうちに、沢木氏は、それを素晴らしい人生だと感じます。
 「姉と妹」はバリ島の幼い姉妹を撮影したもの。姉は姉の顔をし、妹は妹の顔をしているとコメントされています。確かに、姉は少し大人びた顔、妹は不安げで幼い表情をしていました。
 「子供たちの風景」は中国桂林のボートの上で撮った作品で、中南米の3人姉弟が、中国の一人っ子の少年にいろいろ話しかけても、中国の少年は最後まで一言も発することができません。沢木氏は、一人っ子政策をとる中国の前途に不安を感じたと述べています。
 短い文章ですが、鋭い気づきが平易に述べられており、楽しく一気に読めました。

春を恨んだりしない

2014-05-17 09:02:40 | 読書
 久しぶりにハードカバーの本を手に取り、読み通してしまいました。池澤夏樹氏の『春を恨んだりしない』という本です。
 僭越ながら、氏はギリシャ、沖縄、北海道など、転々と住処を変えながら、世界や時代といったものをしっかりと誠実に見つめてきた作家だと思います。この『春を恨んだりしない』という著作は、氏がマスコミに発表してきた東日本大震災に関する文章を再構成したものとのこと。厚くない本とはいえ、大変苦労して時間をかけてまとめられたそうです。確かに、よどみなく流れる文章ではなく、苦渋や戸惑いが看取されるゴツゴツした文体のように感じました。
 題名の『春を恨んだりはしない』は、ヴィスワヴァ・シンボルスカの『終わりと始まり』という作品からとられたようです。

  またやって来たからといって
  春を恨んだりはしない
  例年のように自分の義務を
  果たしているからといって
  春を責めたりはしない
  わかっている わたしがいくら悲しくても
  そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと

 本の中に、大震災で家族や家を失った東北の人々が「どうして自分たちだけが」といった泣き言を言わないという指摘がありました。幾度も大きな災害を経験してきた日本人には、自然には抗えないという諦念があるというのです。災害を運命として受け入れるということでしょう。日本の歴史は復興の歴史でもあるのです。日本史というものは特殊なものなのだと改めて感じました。
 東日本大震災もあって、地震や津波の記録が見直されてきました。そこから、災害の周期性が浮かび上がっています。予知や警戒に役立つ資料でしょう。かつて津波が到達した場所には碑が建てられ、子孫に安全な場所を知らせようというメッセージが込められていたことをテレビで見た記憶があります。多くの場所には桜など、人の世話が必要な木が植えられ、その場所が忘れ去られないようにした工夫があったそうです。古人の知恵には頭が下がります。情報化社会の現代は、情報をもっとストレートに確実に残せるわけですから、教訓はしっかりと後世に伝える必要があるでしょう。
 この本を読んで、改めて東日本大震災の記憶をなくしてはならないと思いました。死者とともに生きる気持ちを忘れたくありません。


岡本太郎の面白さ

2013-11-10 10:37:40 | 読書

 久しぶりに読書に関する話題を。岡本太郎著『美の呪力』(新潮文庫)を読みました。岡本太郎は1年ほど前でしたか、没後何年だったのか、大阪万博から何年だったのか、節目の年か何かでちょっとブレイクしていました。NHKでもドラマやドキュメンタリーを放送していましたね。なぜか見ていました。
 実は、私は岡本太郎ファンではありません。彼のゲイジュツはちょっと理解できないところがあったし、「ゲイジュツはバクハツだ!」というコマーシャルもちょっとイメージを悪くしていました。
 ところが、今回、この本を読んで、彼に対する認識が変わりました。彼は古今東西の芸術に精通し、審美眼と見識を磨いていることがよくわかったのです。私は彼をあくの強い人物と決めつけ、偏見や独断的な意見が綴られていると予想していたのですが、そんなことは全くなく、実に公平で常識的な見方をしていると感じました。私はこの本を美術の教科書として高校などで使ったらよいと思います。美と思索が結びついて楽しい内容です。例えば、久高島の御嶽を聖なる空の空間として日本人の意識に迫り、東洋から世界へと話題を広げていくような展開はスリリングで推理小説のような読み方ができました。
 考えてみれば、私は岡本太郎ファンでないと言いながら、テレビを見ていたり本を読んだりしていました。本当はどこか惹かれていたのかもしれません。屈折した思いがあったのでしょうか。
 彼がピカソに会ったときのことを書いている本があるそうなので、次はそれを読んでみたいです。

ブックリスト~『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』

2010-03-03 23:17:38 | 読書
『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』  万城目学著  ちくまプリマー新書

 『鴨川ホルモー』でデビューした著者の、私の知る限り最新作です。2010年1月の発行。
 作者の非凡な想像力と文章力を確かに感じられる作品です。小一のかのこちゃんの家に飼われた老犬と夫婦になった猫のマドレーヌ。あるとき、夫から猫股の話を聞くと、不思議なことに人間に乗り移ることができるようになる。近所のおばさんに偶然乗り移ったマドレーヌは、かのこちゃんに夫のドッグフードを柔らかいものに換えるように進言し、猫たちの集会場だった広場を解放する。そして、かのこちゃんには親友すずちゃんの別れが訪れ、マドレーヌには夫の老犬との別れが訪れ、そして、かのこちゃんとマドレーヌにも・・・。最後には、それぞれの別れが交錯して響き合い、悲しくも暖かい交流を生み、生きる希望へと発展されているところが見事です。
 誰に勧めるかと言われると、小学生にも同世代のヒロインの話として勧められるでしょうし、大人の方にも、心温まる童話に近い読み物として推奨できると思います。要するに幅広い年代の方々にお勧めできる作品だと言うことです。それは、書かれた内容の多くの部分に、誰もが共感できる事件が、極めて丁寧に鮮烈に描かれているからでしょう。私も、転校していった友人との別れやペットとの死別など、かのこちゃんと同様の経験があります。作者は、そうした読者の共感を、みごとな文章力と構成力で実に見事に導き出しています。30代半ばの作者とは思えない力量を感じますが、一方では、30代半ばの感性だからこそ書ける瑞々しい作品であるのかもしれません。
 久しぶりに破綻が感じられない、素直に心が洗われる作品に出会えました。読後感が爽快で温かさがいつまでも心に残る作品です。
 

ブックレビュー~『旅行けば猫』

2009-10-17 21:48:19 | 読書
写真家、岩合光昭氏の猫シリーズ、日本の犬シリーズは、本当に可愛い写真集です。
今、私の手元には『旅行けば猫』の文庫版があります。岩合氏は、19歳のときに行ったガラパゴスの自然に感動して写真家になったようです。故星野道夫氏が、イヌイットの村の航空写真を見てホームステイを思い立ち、以後アラスカに魅せられた生涯を思い出します。若い日の鮮烈な体験が、人生を決めてしまうのですね。
 この本で岩合氏が撮った猫たちは、日本の津々浦々で見かけたフツーの猫たちです。写真を見ていると、改めて猫って表情が豊かだなあと思わされます。くつろいだ顔、驚いた顔、警戒の顔、好奇心の顔など、実に表情があって愛らしい。しぐさも柔軟で美しいです。
 岩合氏の写真の猫は、町の中の猫。人とともに生活している猫だちです。だから、生活の場が背景に写っている。それが、この写真集の魅力でしょう。私たちは、木曽、讃岐、白川、遠野など、地方で生きる人々と風景に猫を重ねて見ることができるのです。過疎の村の無人駅にいる猫たち、港で水揚げされた魚のおすそ分けにあずかる猫たち。人の生活も猫の生活も、汽車の油の匂いや潮の香も感じられます。
 鞆ノ浦も舞台として出てきます。私も行きました。広島に行ったときだったか、急に思い立って岩国からバスに乗り、夕方の町にたどり着きました。小高い集落から海を見下ろす場所は、坂本竜馬のいろは丸が沈没した地点に近く、資料館も訪ねたと思います。猫がいたかどうか、記憶にありませんが、人気のない町のどこかに猫たちがくつろいでいたのではなかったかと思います。
 私は、この本を机の上に置いて、ときどき開いてみます。猫に癒されると同時に旅の思い出がよみがえってきます。


ブックリスト~『えんぴつで奥の細道』

2009-10-15 21:28:26 | 読書
 『えんぴつで奥の細道』は、2006年に初版が出て、同年には13刷以上出版されたことからも、当時、爆発的に売れたことが推察されます。著者はもちろん松尾芭蕉ですが、書を漢字の研究者である大迫閑歩氏、監修を芭蕉研究家の後藤洋氏が担当しています。
 この本は、『奥の細道』本文が薄い文字で印刷されており、それを読者が少しずつ鉛筆でなぞっていくという形式のものです。それぞれの箇所には、本文とともに、地図、現代語訳、語釈、書写のポイントなども親切に加えられています。装丁も凝っていて、古文書のような趣が演出されています。
 後藤氏のあとがきに、これがポプラ社の女性社員のアイデアであると明かされていますが、すばらしいと思います。その企画を聞いた当初は、後藤氏自身、これだけの出版物がある『奥の細道』に対して、いまさらなぜ?という思いがあったようです。同じくあとがきに、芭蕉の本文を枝折に、鉛筆を杖とした読者兄姉の旅はどうだったか、という趣旨の文章がありましたが、うまいことをおっしゃいますね。芭蕉の旅は元禄2年の春に江戸を発ち、日光、平泉を経て日本海側に出て、岐阜大垣に至る160日の旅の記録です。死を覚悟して旅をした芭蕉の足跡を、私たちは足ではありませんが、手を使って追体験できる。文字をひとつひとつ追いながら、芭蕉の目を実感しながら旅をしていく、まさにそのプロセスを味わうことのできる本だと思います。そういった企画を発想し、読者の心理を計算した女性社員は、本当にすごい人だと思います。
 足腰が弱り、経済的にも旅などできなくなった晩年、ベットの上でぜひ読みたい(書きたい)本です。