山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

月宿す露のよすがに秋暮れて‥‥

2005-12-12 00:55:51 | 文化・芸術
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-今日の独言- 縺れる表象

 11月29日のDanceCafe以来の稽古。
次なる射程は年明けて2月10.11.12日の三日間開催される京都のアルティ・ブヨウ・フェスティバル。
このところ私が塚本邦雄の評釈などを通して和歌世界に耽溺しているのには期すべき狙いがあってのことだ。三十一音という短かく限られた枠内に、枕詞、本歌取り、比喩、縁語、懸詞、係結びなど、あらゆる技法を駆使して詠まれ歌われた日本の短詩型文学は、無駄を省きコトバを極限にまで削りつつも、却ってその表象は二重三重に絡み縺れあい、繊細にして華麗、ポリフォニックな言葉の織物とでもいうべき世界を創り出しているかと思う。だがこの見事な織物は言葉によって紡ぎ編まれたものとはいえ、あくまで歌として詠まれたものであること、言語表象でありつつむしろ語り歌われるべき音声としての表象性こそが本領であろう。ならばこの言葉の錬金術の如き表現技法に関する理解の深まりは、身体による表象世界においても多いに手がかりとなって然るべきではないかというのが、さしあたり私の作業仮設なのだけれど、はたして実効があがるか否かはまだまだ深い霧のなかでしかない。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-8>
 月宿す露のよすがに秋暮れてたのみし庭は枯野なりけり
                                   藤原良経


秋篠月清集、百種愚草、南海漁夫百首、冬十首。嘉応元年(1169)-建永元年(1206)。忠通の孫、兼実の二男。正治元年(1199)左大臣、建仁2年(1202)摂政、元久元年(1206)従一位太政大臣。若くして詩才発揮、俊成・定家の新風をよく身につけ、六百番歌合を主催し、俊成ら御子左家の台頭を決定的に。新古今集の仮名序を著し巻頭作者に。
邦雄曰く、草葉の露には秋の夜々月が宿っていた。それのみを頼りにしていた庭も、来てみれば今は跡形もなく、ただ一面の枯れ草。第二・三句の鮮やかな斡旋で叙景がそのまま抒情に転ずるところ、さすがと頷くほかはあるまい、と。


 しるべせよ田上(たなかみ)川の網代守り日を経てわが身よるかたもなし
                                  兼好


兼好法師集、網代。生没年未詳。「徒然草」の著者。生年は弘安6年(1283)の伝、没年は観応年間(1350-1352)や貞治元年(1362)頃の諸説。藤原氏の氏社である吉田神社の祠官を代々務めた卜部氏の出身。
氷魚と網代の名物は歌枕の田上川。瀬田川の支流で、水源は信楽の谷、別名大戸川。
邦雄曰く、網代の番人に道案内を頼まねば寄る辺もない身になったとの述懐を、冬歌に託した技法。第四句「日を経て」に氷魚を懸けて、氷魚が網代に寄るがごとく、わが身の寄る方か、と。


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