山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

冴ゆる夜の雪げの空の群雲を‥‥

2005-12-13 12:23:56 | 文化・芸術
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-今日の独言- 堪ヘ難キヲ堪エ

 劇作家で演出家でもある斉藤憐の著「昭和名せりふ伝」を読む。
昭和の初めから終りまで、流行り言葉から昭和を読むというモティーフで、演劇雑誌「せりふの時代」に連載したものを大幅に加筆して2003年4月に小学館から出版されたもの。
60年代以降の小劇場運動を先端的に開いてきた実践者らしい批判精神が、庶民の視点から昭和史を読み解く作業となって、読み物としてはかなり面白い。
「堪ヘ難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ヒ」はいわずと知れた終戦の詔勅、この玉音放送をその時、人々はどのように聞き、受け止めたかの章がある。
外地で放送を聴いた堀田善衛は「放送がおわると、私はあらわに、何という奴だ、何という挨拶だ。お前のいうことはそれっきりか、これで事が済むと思っているのか、という怒りとも悲しみともつかぬものに身がふるえた」と著書「橋上幻想」に記しているのを引き、しかし、堀田のように感じた日本人は少なかったとし、軍部指導者たち、当時の著名文人たち、或は庶民層に及ぶまでその輻輳したリアクションを活写しながら、玉音放送の果たした意味そのものに肉薄する。
章末、著者によれば、終戦の年の暮れ即ち昭和20年12月の世論調査では、天皇制支持が軒並み90%を超えていたそうだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-9>
 月清み瀬々の網代による氷魚(ひお)は玉藻に冴ゆる氷りなりけり
                                    源経信


金葉集、冬、月照網代といへることを詠める。長和5年(1016)-承徳元年(1097)。桂大納言とも。民部卿道方の子。大納言正二位。博識多芸で公任と並び称された。太宰権帥として赴き、任地で歿した。
邦雄曰く、無色透明、軟らかい硝子か硬い葛水の感ある鮎の稚魚を、美しい水藻に絡む氷の粒に見立てたところが、類歌を圧して鮮烈である。感覚の冴えに加えて、「氷のごとし」などと直喩を用いなかったところも面白い、と。


 冴ゆる夜の雪げの空の群雲(むらくも)を凍りて伝ふありあけの月
                                  二条為世


新拾遺集、冬、冬暁月。建長2年(1250)-延元3年(1338)。定家の曾孫、為家の孫、二条家藤原為氏の長子。大覚寺統の後宇多、持明院統の伏見天皇に仕え、正二位権大納言。新後選集、続千載集の選者。
邦雄曰く、第四句「凍りて伝ふ」に一首の核心を秘めて、類歌を見下すかに立ち尽くす体。雪装いの薄墨色の雲の縁を、白銀に煌めく寒月が、付かず離れず移っていく夜空の景を、克明に、しかみ凝った修辞で歌い進める技量。但し、あまりにも素材を選び調えすぎた感は免れず、ややくどい、と。


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