-今日の独言-
社会鍋
とうとう今年も最後の月、師走となった。
ところで12月は月間を通じて歳末たすけあい運動の月とされているが、このルーツを辿ると明治の終り頃に始まったキリスト教の救世軍による「社会鍋」運動に端を発するということになるらしい。社会鍋という用語にいかにも時代臭を感じさせられるが、街頭で鍋を吊るして生活困窮者のための募金活動を行なったのだから、言い得て妙とも。救世軍とはプロテスタントのメソジスト派伝道師ウィリアム・ブースがロンドンで興し、組織を軍隊形式に倣って、救霊=伝道と社会福祉事業に活動の中心をおいた。1865年のことである。日本では30年を経た1895年に生まれ、戦前は廃娼運動と深く結びついたようだ。昭和初期の恐慌下で、社会鍋運動は全国各地にひろがる「歳末同情募金」へと一般化され、戦後も市町村社会福祉協議会などを主体とした「歳末たすけあい運動」へ継承される。昭和34年(1959)、政府は社会福祉事業法を制定、共同募金運動の一環の内に位置づけられ、その奨励策のなかで年々盛んになってきた訳だ。
昭和34年といえば私は中三の年なのだが、当時の古い記憶を手繰り寄せれば、ひとりひとりの善意の発露からの募金行為が、なにやらお仕着せがましい、政府御用達のものと変質していったような、そんな感触からか抵抗感を抱くようになったのは、自身の思春期における変容とも重なって、懐かしくも奇妙なリアリティのある出来事だったのだ、と思い返される。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<冬-2>
夕日さす落葉がうへに時雨過ぎて庭にみだるる浮雲の影
光厳院
風雅集、冬、時雨を。正和2年(1313)-貞治3年(1364)、持明院統・後伏見の第一皇子。南北朝期が始まる北朝の天皇。後醍醐、尊氏、義貞らの抗争に翻弄された。祖母永福門院の薫陶を受けて和歌にすぐれ、自ら風雅集の選にあたる。
邦雄曰く、落日の光が一時とどまる落葉に、時雨が雨脚を見せて通り過ぎるという、この上句にはいささかの曲もない。だが下句「庭にみだるる浮雲の影」は浮雲の影が庭に乱れるとしたところに、深く頷きたいような配慮がある。第三句の字余りも、結果的には作者の心を写した、と。
むらむらに小松まじれる冬枯れの野べすさまじき夕暮の雨
永福門院
風雅集、冬、題知らず。文永8年(1271)-康永元年(1342)、西園寺実兼の女、伏見天皇に嫁し中宮となる。京極為兼・伏見院とともに京極派を代表する歌人。
邦雄曰く、速力のある旋律が一気に、黒の濃淡で、見はるかすような大景を描き上げている。しかも上句はアレグロ・モデラート、下句はプレスト、殊に第四句「野べにすさまじき」で一瞬息を呑む。平々凡々の枯野詠となるところを急所々々を高め強めることによって、忘れがたい調べを創りあげた。思えば第二句の「小松」も点睛の語、と。
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