モノと心の独り言

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木遣りの声が町に響いていた頃のアフォーダンス:刺激に対する指向は?は?

2019-12-24 03:27:45 | コミュニケーション-メディア

江戸消防記念会 中央区大江戸まつり 祝いの木遣りの声がいきわたり

響き渡る木遣りの声に,魅せられたのは、佃島住吉神社の神輿の宮出し。築地波除神社の宮出しもまた、美しく響く。その理由の一つは、都会の暗騒音のレベルの違いでしょう。お寺の鐘の音,金棒曳きの金属音、物売りの掛け声,新内の流し、人のざわめき、闇夜の気配、聴くというのは、生活の為にも能動的な行為だった。首都高速道路の脇の浜町公園での木遣りは、喧噪の中の記録です。

人の声は、衝動であり、感情であり、抑揚や緩急・息遣いには、記号・文字に表される意味を超える深さがあります。
メラピアンの法則では、始めて会った人の印象は、視覚55%・聴覚37%・言葉8%ぐらいだったと。記憶の持続力から伝達力となると、言葉から文字へ、ラジオから写真・映画へ、そしてデジタル・メディアに満たされてきた今に。
しかし、大脳皮質は身体からの刺激の交差点であり、食物も内蔵から血流にのって媒介物質とともに巡ります。

これでもか、これでもかと見せられ、聞かされる時代は、さらにネットに繋がれっぱなしの知らされる時代。情報なのかノイズなのかは、一人一人の志向:アフォーダンスに応える刺激かどうか?
近代概念である個人という概念が、ネットワークや外部集合記憶処理に繋がれる今後は変わってゆく気配がします。
断片的なコトバ・写像、物語型や体験型で編集された刺激、多数決がアクセス数になり、自律を目指す気概も薄れがちに、スマートフォンのカレンダーやナビゲーション、メッセージ、レコメンドに頼ります。

働く時・祝う時・嬉しい時・悲しい時、人は腹から声をだして町の人に伝えていたのだと、江戸消防記念会の木遣りに想います。


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