コトバでは、共有できる筋道、論理があるけれど、
画像では、どうなのでしょう?
画像は、写真では、対象を機械的に写しているようでいて、
撮る人それぞれ、いろいろな見方、見せ方、見え方がある。
見た以上に写ってしまうけど、
見る側は、見たいもの・見えたものしか見ていないのが写真。
人間として共感できると思えること、
その環境・文化の中でししか見えてこないことも、沢山ありそう。
その画像が、歯車が噛合うように、同じコトを伝えられるのだろうか?
画像では、どうなのでしょう?
画像は、写真では、対象を機械的に写しているようでいて、
撮る人それぞれ、いろいろな見方、見せ方、見え方がある。
見た以上に写ってしまうけど、
見る側は、見たいもの・見えたものしか見ていないのが写真。
人間として共感できると思えること、
その環境・文化の中でししか見えてこないことも、沢山ありそう。
その画像が、歯車が噛合うように、同じコトを伝えられるのだろうか?
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