時代劇などに出現する役職で、警察組織的な役割をして
いました。 一人の与力の下に数十人の同心がいて、その同
心が数名の岡っ引き(民警)を差配していました。
こんなもの遠っくの昔になくなっていたものと思ってましたが、
昭和47~8年ころ、奈良県で仕事した時にその地に「与力」
残っていることを知りました。 もちろん公的な役所ではありま
せんが、大きな農家の一統を統率する役目になっていました。
古来人様が作った農作物を盗むことはご法だったが、中には不得
者がいてその禁制を破る奴がいる。
そういう奴が被害者側に捕まった時には、この一家の長老的立場
の「与力」が謝罪し・被害の弁済をするとともに、不心得者の身
体引き取ってお仕置きをして、2度とそのような不始末をしない
ように一家の綱紀を引き締める役を司っていました。
お仕置きの方法は1昼夜野壺(糞尿溜槽)に首まで漬けせせるの
が習わしだったという。