通勤電車で「人生晴れたり曇ったり」

“通勤電車”は、人生という線路を迷走中。
自分の選んだ道だから“晴れても曇っても”自分の足跡をブログに残していきたい。

”お漏らし”は”春の嵐”のせいです。バレンタインデー騒動記

2007年02月14日 | 日記
チョコ貰っちゃいました。ヤッター。(義理なのに、嬉しいオジサンです。)

九州は十四日朝、日本海にある発達中の低気圧から南西に延びる寒冷前線が通過し、南寄りの強い風が吹き込む荒れ模様の天気となり、気象台は九州北部地方などに「春一番」が吹いたと発表しました。

通勤途中に急に雨風が強くなり、あっと云う間にズボン・コート・靴まで、ずぶ濡れになってしまいました。
会社に着いて、ズボンは予備のズボンにはきかえましたが、靴は新聞紙とティシュで拭いたが、一向に乾かないまま履いていました。

机で仕事を続けること1時間あまり、ふと椅子を見ると少し湿っている。あれどこから水漏れなのと探すと、自分のズボンが濡れている。エー何なの、とよく見ると”お漏らし”しているではないか。こりゃ大変、いつの間に???。
ちょうど”お漏らし”したように膝にかけて水で模様がついているではないか。

このズボンは、雨でずぶ濡れのズボンからはきかえたのにと思っても後の祭り、体に着いていた水分が新しいズボンに付いたのだろうけど、もしかしたらバレンタインのチョコを配った女性陣から、”お漏らし”をしっかり見られたかもしれない。

彼女たちは、こんな老人にまでチョコを渡さなければならない身の不幸を、内心嘆いたことだろう。

「ありがとう」と、にこにこ顔でお礼を言いつつ、とんだ誤解を与えたかも知れない。明日から顔向けができません。

「決して歳のせいではございません。”春の嵐”のせいです。」

あ、この発言も誤解を招くかな?!

君は、カセットテープにデータを保存していた事を知っているか

2007年02月14日 | 日記
最初にパソコンを始めた時は、WINDOWSはおろか、MS-DOSすらない時代。昭和56年(1981)にシャープMZ-80Bで、BASICを始めました。

MZ-80Bのディスプレイは、10型の白黒(グリーンフェイス)、RAMは64KBで、定価27万8千円と云う代物でした。グラフィックボードは別売りで、やっと1枚購入出来たぐらいでした(10万ぐらいしたのではないか。)
とても若手の給料で買えるような品物でなく、営業所長のポケットマネーで購入し、パソコン様は、所長室に鎮座ましましていました。

所長や我々若手は、週2回勤務終了にBASICの勉強会を行っていました。

それよりも楽しかったのは、”I/O”、”ASCII”や”マイコン”などのパソコン雑誌に掲載されたプログラムリストやマシン語のダンプデータを、各人が分担して1本のテープに直接打ち込んでゲームを作ることでした。今では考えられぬくらいに熱中しました。
自分たちが打ち込んだゲームが動いた時は、嬉しくて嬉しくて”感動”でした。

当時はFDDなどなく、データーレコーダーと言って音楽用のカセットテープに信号音としてデータを保存していました。録音した音を聞くと「ピー・ビビーッ・・」と音がスピーカーから出ます。(当時のテープをまだ持ってます。)
お金さえ出せば何でも買える現在と違って、当時は市販品が少なく、自分で作らなければゲームで遊べない時代だったのです。

完成まじかで間違ってテープを上書きしたり、デバッグが大変だったり、失敗も限りなくあったけど楽しかった思い出です。

追伸:2月9日に作成したのですが、トラックバックができなかったので再送のために作成しました。(2月9日のブログと同じ内容です。)