あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

東欧旅行(195) 姉妹都市

2013-06-16 | 東欧5カ国紀行

 

                学校帰りの子どもたち この後 手を振ってくれた!

  ベオグラードへ向かう途中 
  丁度 昼食時のため 「シャバツ」市内のレストランに寄る。
 

  途中 市内を走る我々のバスが 日本人が乗っていることが分かり
  盛んに手を振ってくれた。

  後で調べたら この町 埼玉県の「富士見市」と友好姉妹都市になっていた。
  どのような関係で姉妹都市となったか経緯は分からないが
  シャバツの北東部に 旧ユーゴスラビア国内だけを流れる河川として
  最大級のサバ川が流れており 運河を活用した経済活動が盛んで
  
富士見市も 荒川など3本の川が流れているなど地形が似ていることのようだ。 

  昭和57年に提携とのことなので 30年にもなる。
 
 ということで こんなところにも 国際交流として親日の町があったのだ。
  

 


東欧旅行(194) 二つの文字

2013-06-15 | 東欧5カ国紀行

                                                                                                                                                                   

                 平成25年4月12日付け 朝日新聞

  何度も引用される
  「 7つの国境 6つの共和国 5つの民族 4つの言語
   3つの宗教 ”2つの文字” 1つの国家 」
 

  その“2つの文字”についての話題

  旧ユーゴの国へ行って 案内板 標識等には
  ダブルで文字が併記されている。
 

  先の4月の新聞にも これが大きな問題としてクローズアップされていた。

  内容は クロアチアは 今年の7月にEUに加盟するが
  その条件に 少数民族との融和はかる一貫で

  そのセルビア民族の使用する文字 いわゆる「キリル文字」を
  使わなければならない。

  しかし 過去の民族紛争が 未だに融和までいっていないのが
  現状で 根深いものになっており
 この問題で また元に戻る?
  新聞の見出しにあるように「民族対立再燃」とも懸念されている。

 


東欧旅行(193) セルビア国旗

2013-06-14 | 東欧5カ国紀行

                    

 

   セルビア国旗は 2004年に制定された。
  
赤・青・白 の3色の横縞模様で 国章は左よりになっている。

  3色は 汎スラブ諸国の旗に用いられる配色で
  「自由」「革命」「理想」を象徴している。

 
  1991年から 2004年までのセルビア・モンテネグロ時代の国旗は
  横縞模様だけで 
逆さまにすると 白・青・赤3色のロシア国旗と同じだった。 

  公式旗として使用される際には
  “胸に盾を抱く双頭の白鷲” を描いた赤い盾型紋章を使用している。

  胸の中の盾は セルビアを示す 4つの「C」からなる「オシラ章」と呼ばれる
  12世紀ビサンチン帝国の象徴である 紋章を使っている。

 


東欧旅行(192) セルビア

2013-06-13 | 東欧5カ国紀行

 

                        セルビアの首都ベオグラードまで あと52km

  今回ツアー いよいよ最後の五つ目の国 セルビアへ

  セルビアの国は バルカン半島の中心部に位置し
  約7.7万K㎡で  北海道ほど 人口約730万人
  その内 セルビア人が 83%を占める。 
  通貨は セルビア・ディナール(100円=約56ディナール)
  気候は 大陸性。


  1804年にセルビアで オスマン帝国に対して大規模な反乱が起こり
  鎮圧されたが 
その後 1830年 セルビア公国として独立し
  1878年 ベルリン条約により近代国家として 独立が認められた。

  その後 幾多の国変遷があり 更に クロアチア紛争
  ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 コソボ紛争等の民族紛争を経て
  2006年に 今のセルビア国となった。

  だが 今なお  国内には コソボ自治区の独立問題を抱えている。


東欧旅行(191) 国境検問

2013-06-12 | 東欧5カ国紀行

 
         どこの検問所もそうだが 若者には容赦なく厳しい検問が行なわれていた 

  何度も引用される
   「七つの国境 六つの共和国 五つの民族 四つの言語
      三つの宗教 二つの文字 一つの国家」
 

  今回のツアーは 5カ国を巡ることで
  ここまで 入国と出国のワンセット
  また 同じ検問所を往復もあるが 何回国境・検問を通過したのだろうか?
  パスポートへのスタンプはあまり増えなったが

   これが陸路における最後の検問 セルビア国への入国となる。
  途中 車内検問中に撮った写真を消すよう命令されたことがあったが
   そなに時間をとることもなく 無事通過できたことはよかった。

  


東欧旅行(190) 薪

2013-06-11 | 東欧5カ国紀行

  

 

  トイレ休憩で 寄った村の農家を覗いたら

  適当な長さに割られた薪があり 我が子供当時を思い起こさせた。
  当時は 飯も釜で焚いていたので 薪割りは 当然 私の役割!

  この地方では まだ薪の世話になっているようで
  煙突からは 紫煙があがっている。
 

  来る途中でも 煙を上げる家々は見られたが
 
 紛争以来20年 一般市民の生活はまだまだのようだ。

  最近は薪も森林を伐採するのではなく
  枝や倒木を利用することで見直しされてはいるが。



東欧旅行(189) お国の気質! 

2013-06-10 | 東欧5カ国紀行

 

 

  ツアーガイドは 何度となく 各国の気質の紹介をしてくれた。

  スロベニア人は “器用で働き者”
   
クロアチア人は “気取り屋さん”
    
ボスニア人は “お笑い担当”
     
モンテネグロ人は “誇り高い”
  
     セルビア人は “ケンカ上手”

  今回巡った 5カ国の人々には それぞれのお国柄や気質があるようだ。

  写真で ご覧のように 我々ツアーバスに子供のように
  愛嬌を振りまいてくれる農夫一行がいた。
  当然 ここは ボスニアでした。 

  また 先に紹介した オシム監督は 旧ユーゴのチームの監督時代は
  モザイクのような国出身の気質を活かした選手を起用をしたと
  「オシムの言葉」(集英社刊)にもあった。
 

  また 旧ユーゴでは 警察や軍隊に占めるセルビア人の割合は
  民族比よりも
 はるかに高かったそうだ。

 


東欧旅行(188) ヒッチハイク

2013-06-09 | 東欧5カ国紀行

 

 

   ツアーバスは ボスニア・ヘルツゴビナの田舎道を進む
  途中 突然 警察官が乗り込んできたので 車内には緊張が走るが
  運転手と会話しながら
かなりの距離を同乗して
  何の変哲も無い村落で下車していった。
 

   後で ツアーガイドがクイズ形式で
  「今の警察官は 何故乗車してきたのいでしょうか?」と

    答えには「警護のため」「勤務の移動のため」・・・といろいろとあったが
    我が家人は ズバリ言い当てた。

  何とまあ~「夜勤明けで 家に帰るため!」でした。

   “ヒッチハイク”は 通りすがりの自動車に無料で乗せてもらう行動をさすが。

   それが この国では 警察官までやっている!


東欧旅行(187) マクドナルド

2013-06-08 | 東欧5カ国紀行

 

 

  我々が宿泊したホテルの隣に 24時間営業の「マクドナルド」があった。 

  聞くところによると 旧市内のマルサラ・ティタ通り 1号店が
  2011年に開店しているとのこと。

 
  こちらは 旧市内からは少々離れているが
  最近開業した 2号店かもしれない?。

  マックの味が このサラエボの地でも認められてのことでしょうか!。

   因み マクドナルドは 世界の至る所に店を開き
  その店舗総数は 3万2737店(2010年末)。
   また 共産圏初の店舗は 1990年 モスクワであった。

 


東欧旅行(186) トラム

2013-06-07 | 東欧5カ国紀行

 

  

                スナイパー通りを疾走するトラム

  サラエボのトラムは 1885年開業し 
  ヨーロッパでは 初めて 終日運行される路面電車を導入している。

  市内には 東西 旧市内と新市街とを結ぶ形で7本の路線があり
  重要な交通機関となっていて 見るところ どの車両も満員状態だ。

  紛争時に「サラエボ包囲」の時は 路線や車両の多くは
  甚大な被害を蒙ったが 残った車両により運行は再開された。

  しかし その影響が今でもあるのか運行する車両は
  2両編成であるが 車体には広告があって
  同じデザインや型のものが 一つとして走っていなかったが。

 


東欧旅行(185) テレビ局

2013-06-06 | 東欧5カ国紀行

 

    

  前の回は 新聞社の話題であったので 今度は”テレビ局”の話題。

  写真は スナイパー通りにある
  「ボスニア・ヘルツェゴビナ公共放送サービス」。


  84年のサラエボオリンピック開催当時は 世界有数の最新鋭設備が整え
  世界に配信したテレビ局だったが ボスニア紛争により 破壊されて
  かつてのようには いっていないようだ。 

  「ボスニア・ヘルツェゴビナ公共放送サービス」は
  サラエボの公共放送局であり

  ボスニア・ヘルツェゴビナの3つある公共放送のうちの一つ。

  その他に サラエヴォに本拠地を置く 放送局は複数あるようだ。


東欧旅行(184) OSLOBODENIE(解放)

2013-06-05 | 東欧5カ国紀行

 

    

   前の回 新聞社アヴァズを掲載したので
   ライバル新聞社「オスロボジェニェ」新聞社の話題を。

   サラエボで宿泊したホテルの脇に「OSLOBODENIE」の
   看板があがるビルがあった。

   オスロボジェニェ「OSLOBODENIE」とは「解放」を意味し
   1943年に創設され 
ボスニア紛争中も発行し続けた
   唯一の新聞社として有名である。

   かつては 市中心部にあったようだが ここに移転してきたのだろうか?

   さすがに アヴァズ新聞とは ライバル関係からか! 
   一方は “高さ”を誇れば こちらは “横に長い”ビルになっている。


東欧旅行(183) アヴァズ・ツイスト・タワー

2013-06-04 | 東欧5カ国紀行

 

                   左の黄色のビルは「ホリデイインサラエボ」

    

    前回に続き タワービルの話題
   写真右奥に建つ 大きなタワーは「アヴァズ・ツイスト・タワー

   2009年に完成した ボスニア・ヘルツェゴビナで 最も高く142mのビル。
   アンテナを含めれば その高さ172mになる。

    “ツイスト”の名のとおり ひねって見える。
  サラエボ中央駅が近くにある。

    このビルには 新聞社のアヴァズ社(アヴァズとは「声」)が入っていて
   31階は レストラン 35階は カフェが入っているほか
   36階には 吹き抜けの展望台があって
  市内360度一望でき 一般観光客にも開放されているとのこと。

 


東欧旅行(182) ツインタワービル

2013-06-03 | 東欧5カ国紀行

 

  前回の 「ホリデイインサラエボホテル」の写真にもあるように

  ここにも 「ツインタワービル(UNISビル)」があった。 

  このサラエボのツインタワービルは 
  84年2月開催の冬季オリンピックのとき 町は建設ラッシュに沸き
  そのシンボル的ビルとして出来上がっている。


  しかし その8年後には サラエボ包囲のおり 
  世界中に炎上する このビルがニュースとして流されている。

    現在は 立派に”復興”して 
  再び町のシンボルとしての役目を果たしている。 

  どうしても ランドマークとなる建物は 格好の標的になる。
  当方 このビルを見て 直ぐに アメリカの9.11事件
  ワールドトレードセンタービルを
思い出したが・・・。

 


東欧旅行(181) ホリデイイン サラエボ ホテル

2013-06-02 | 東欧5カ国紀行

 

             
                    現在のホテル全景(資料から)

  ツアーバスは 「スナイパー通り」を疾走していく。
  途中 この「ホリデイイン サラエボ ホテル」のアナウンスがあって
  写真を構えたが 撮り損ねてしまった。

  説明では 冬季オリンピック用として 84年に建設されたが

  このホテルを有名にしたのは 93年に始まった紛争で
  サエヴボが包囲され 最前線から300mという距離であった。

  唯一市内で 各国ジャーナリストや国家関係者が
  泊れるように営業していたそうだ。 

  紛争時からホテル前の通りは「スナイパー通り」と呼ばれていて
  そこを歩く者はセルビア人スナイパー(狙撃兵)によって
  容赦なく狙撃されていたが 危険を冒しながらこれらの様子などが
  ここに宿泊していたジャナリストによって戦況が発信していたそうだ。 

  現在も 当時のままの黄色の彩られいる。