トイレ休憩で 寄った村の農家を覗いたら
適当な長さに割られた薪があり 我が子供当時を思い起こさせた。
当時は 飯も釜で焚いていたので 薪割りは 当然 私の役割!
この地方では まだ薪の世話になっているようで
煙突からは 紫煙があがっている。
来る途中でも 煙を上げる家々は見られたが
紛争以来20年 一般市民の生活はまだまだのようだ。
最近は薪も森林を伐採するのではなく
枝や倒木を利用することで見直しされてはいるが。
トイレ休憩で 寄った村の農家を覗いたら
適当な長さに割られた薪があり 我が子供当時を思い起こさせた。
当時は 飯も釜で焚いていたので 薪割りは 当然 私の役割!
この地方では まだ薪の世話になっているようで
煙突からは 紫煙があがっている。
来る途中でも 煙を上げる家々は見られたが
紛争以来20年 一般市民の生活はまだまだのようだ。
最近は薪も森林を伐採するのではなく
枝や倒木を利用することで見直しされてはいるが。