5月24日は
江戸前期に日本に帰化した
明の儒者 朱 舜水
(しゅ しゅんすい・1600-1682)が
亡くなった日
「朱舜水先生終焉の地」として
東京大学農学部の敷地内に
記念碑が置かれている。
説明文には
「東京都指定旧跡 朱舜水記念碑
日本に亡命した中国明末の遺臣。
明の万暦28年(1600)10月12日
浙江省餘姚に生まれた。
名は之瑜(しゆ)、字は魯璵(ろよ)、
号は舜水(しゅんすい)、
朱水祐、張肯堂、呉鐘巒について
学び特に詩書に通じていた。
舜水は祖国明朝の復興運動に
挺身したが果たさず、
万治2年(1659)
七度目の長崎訪来にあたり、
安東省庵の懇請により日本に留まり、
寛文5年(1665)
小宅生順(おやけせいじゅん)の
推挙で水戸藩に招かれて東上した。
同8年 光圀の別荘
(現在の東京大学農学部)に入り、
以後の生涯をこの地に過ごした。
彼の学風は、陽明学と朱子学との
中間に位置する実学(実行の学)で、
空論を避け、道理を重んじ、
水戸光圀や安積澹泊(あさかたんぱく)、
林鳳岡(ほうこう)、木下順庵らに
大きな影響を与えた。
天和2年4月17日83歳で没し、
常陸太田の瑞竜山に葬られた。
死後「朱舜水先生文集」28巻が
徳川光圀輯・徳川綱条(つなえだ)
校として刊行された。
この記念碑は日本渡来 250年祭に
あたり朱舜水記念会が
建てたものである。
平成2年12月27日 再建
東京都教育委員会」
とある。
光圀の招きで水戸藩を訪れ、
水戸学思想に多大な影響を与え
水戸学=朱舜水と言ってもよい。
朱舜水から教えを乞うた安積澹泊は
「大日本史」の編纂で有名だが
水戸黄門に登場する格さん
(渥美格之進)のモデルとされている。
こちらは
茨城県常陸太田市の瑞竜山の
水戸徳川家の墓地であるが
舜水の死後
光圀によってここに葬られた。
なお 常陸太田市は
朱舜水の生誕地の縁で
中国浙江省餘姚市と
友好都市交流を結んでいる。